34.閉じた世界
3日間部屋に篭った。足が痛かったから。侍女が何人も減ってイリスが忙しかったから。というのは口実で、その実部屋から出たくなかっただけ。
痛い靴を履いてまで外に魅力を感じない。それまでほとんど晒されたことのなかった人の悪意に、ラフィーナは完全に心折れていた。
『姉さま、今日もどこにも行かないの?』
4日目の朝。今日も部屋の中で過ごす気だったラフィーナに、タリアがツインテールをふわふわと漂わせて言った。退屈そうな表情に、ラフィーナは『いいのよ』と微笑む。
『わたくしはここにいるけれど、タリア様は遊びに行かれたら?』
タリアは3日間毎日部屋に来ていた。お茶を飲んだり、タリアの魔法で遊んだり、話をしたり。おかげでラフィーナは楽しく過ごせているが、タリアは退屈そうだ。
タリアは『んー』と、少し考える素振りを見せた後、軽い動きで立ち上がった。
『じゃあそうする!』
ぴょん、と一度跳ねたタリアは扉の前でくるりと振り向き、『じゃあね』と満面の笑みで手を振った。ラフィーナも微笑みを返す。廊下を走る軽い足音が遠のくのを聞きながら、ラフィーナは一人、机の上の読みかけの本を手に取った。
「タリア様、イリス、クレイトス、ネストル様、エリオス様、侍女が二人、エリオス様の護衛騎士の女の人。それからお父様とばあや」
閉じた本を片手に持ったまま指折り数える。10人。たくさん。
数えたのはラフィーナが会っても苦にならない人。会うと嬉しくなる人。たった数人しかいない閉じた世界で生きてきたラフィーナにとって、それは充分な数だった。
ネストルは言った。好きなようにしろ、と。だからこれでいい。
そう思っても心に引っかかるものはあった。3日前、ここへ来たのに一歩も部屋に入らなかったネストル。自分の部屋に入ることをエリオスから禁止されていると聞いた覚えがある。ならば自分がこの部屋から出なければ、ネストルとは部屋の中と外でしか会えない?
……それではお茶を淹れてあげることもできないわ。
なんて思いながら本を開いた時、唐突にノックの音が響いた。今部屋の中にはラフィーナだけ。驚きで固まる。またノック。ハッとして「はい」と答えた。足音が聞こえない人。ネストルかもしれない。
一文字も読んでいない本を閉じて机に置く。立ち上がると同時に扉が開いた。思った通り、そこにはネストルが立っていた。ネストルは部屋の中をさっと見まわし、「一人か」と静かな声を落とした。
「ええ、どうしたの?」
ネストルが部屋に入って来ないなら自分が移動しなければ。ラフィーナがそちらへ歩み出そうとした時、ネストルが中へ入って来た。
「入ってもいいの……?」
駄目だと言われたから3日前も入らなかったのでは? それともエリオスの禁止令はもうすでに解かれたのだろうか。ネストルは表情を変えずにツカツカとラフィーナの前まで歩いた。
「お前が言わなければ分からない」
それはつまり入ってはいけないのでは? と思うが、確かに今日はクレイトスも一緒じゃないし、イリスもいない。自分が言わなければ誰にも分からない。それもそうね、と一人頷いていると「座れ」と鋭い声が聞こえた。
反射的に腰を下ろす。先ほどまで座っていた椅子が思いのほか近かったのか、お尻をしたたかに打ってしまった。
「ひゃあっ……!」
驚きと痛みから変な声が出た。咄嗟に手で口を押さえたが、それで出た声が戻るわけでもなく、恥ずかしさに顔が熱くなる。
しかしネストルは一切気にした様子なく、座ったラフィーナの前に立った。その時になって気が付いたが、ネストルは布に包まれた何かを持っていた。
「なあに?」
ラフィーナの問いを受けてネストルは無言でそれを机に置き、布を解く。包まれていたのは靴と靴下であった。明らかに自分のものであろうデザイン。ラフィーナの表情が微かに曇った。
履くのが普通だとしても、靴はやはり苦手。やっと足の痛みがなくなったのに、また履かなければいけないのだろうか。
「履け」
短い言葉にラフィーナは少し迷って、靴下を手に取った。履きたくはない。だけど履かなければネストルは怒るかもしれない。
膝を追って足を椅子へとあげると、さらりとスカートが滑り落ち、脚があらわになった。布で覆われていた脚が空気にさらされる。解放感に目を細めて靴下に足を入れると、ネストルのため息が聞こえた。
顔を上げて首を傾げる。何に対してのため息だろう。靴下の履き方が違っただろうか。もしかして向きを間違えた? しかしぴったりと足に合った靴下に違和感はない。ネストルは床に視線を落としたまま、もう一度ため息をついた。
「……男に肌を晒すなとクレイトスは言わなかったか」
「言われたわ」
ここへ来て最初の頃。袖は手首まで、スカートは足首まで。服を着て隠れるところは絶対に異性には見せてはいけない、と。何度も何度もしつこく言われた。それがどうしたのだろう。
ネストルは眉を寄せる。不可解そうなその表情の意味が分からない。
「ならば脚を隠せ」
「クレイトスは婚約や結婚をした人にだったら見せてもいいと言ったわ。ネストル様はわたくしの婚約者なのでしょう?」
ラフィーナはちゃんとクレイトスの言葉を守っている。勉強中に袖が邪魔だと思っても捲らないようにしているし、長いスカートが鬱陶しくてもたくし上げないようにしている。
でも今ここにいるのはネストルだけ。他に男の人なんていないもの、と重ねて言うと、ネストルはまたため息をついた。視線はずっと床に向かっている。
「私の前でも肌を晒してはならぬ」
「ならば誰だったらいいの?」
言われた通りに脚を隠し、スカートを整えながら尋ねると、ネストルは眉を上げてラフィーナを見た。




