33.わがまま
扉の開く音がした。ラフィーナも侍女もハッとしたようにそちらを見る。そこに立つ人を見てラフィーナは驚きながらも、どうしてここにいるのだろう、と首を傾げた。
だが侍女の反応はラフィーナとは全く違った。先程まで吊り上がっていた目は大きく見開かれ、止まらなかった口は歯の根が合わない状態。胸の前で両手を握りしめてガタガタと震えていた。
「……何事だ」
その人ーーネストルはラフィーナと侍女を順番に見ると、静かな声で言った。この侍女がイリスを自分から離そうとした。そう言おうとしたが、言葉になる前に遮られた。
『ネ、ネストル殿下……!』
裏返り、引き攣った声だった。
『ラフィーナ様が、わがままをおっしゃるのです……! 私はた、正しいことを教えて差し上げようと……!』
異様なほど必死な侍女。その様子からは怯えしか見えない。ラフィーナはこの人もネストル様が怖いのね、と納得した。
「わたくしはただイリスと一緒にいたいだけよ! それはわがままなの?」
苛立ちは隠せなかった。ネストルとその後ろに立つクレイトスへ問いかける。この二人も侍女と同じように思うのだろうか。イリスを必要ないと言うのだろうか。少し心臓が速くなった。痛む足で立ち上がると、ネストルが微かに眉をひそめた。
「その程度のことはわがままでもありません。それにイリス殿をラフィーナ様から離す理由などございませんよ」
クレイトスの穏やかな声。いつもと同じ調子の声に少しだけ胸の内が冷める。でも、とラフィーナは侍女を見た。真っ青な顔は懇願しているようにも見えたが、ラフィーナは特段気にせずに口を開いた。
「この方が言ったのよ。イリスは必要ないって」
『イリス様は……っ! ラフィーナ様のお言葉に返事もしませんでした! 侍女としてとんでもない失態にございます! 私は少し注意しただけです……!』
返事はちゃんとしていたのに。叫ぶように訴えかける侍女に、ラフィーナはもう一度言った。
『イリスはお返事していたわ。ちゃんと頷くところをわたくしは見たもの』
侍女の唇が震える。握った拳も震えているのが見えた。その時になってようやく、ラフィーナは不思議に思った。ネストルは確かに威圧感がある。だけどこんなにも怖がるほどだろうか。
「クレイトス」
ネストルが温度のない声でクレイトスの名を呼び、クレイトスは何も言わずに部屋へと入ってきた。何をするのかしら、とその動きを見る。いつもと変わらない表情のクレイトス。小さく悲鳴を上げ、後ずさる侍女。
クレイトスはツカツカと歩み寄ると、侍女の腕を掴み、そのまま両腕を背中で拘束した。
『クレイトス様! ネストル殿下! 申し訳ございません……! どうかお許しを……!』
『謝罪をする相手が違います』
クレイトスの声は冷え冷えとしていた。気が付くと前庭で見たあのとてつもなく冷たい表情をしていた。侍女が涙を流し、ラフィーナを見る。謝罪の言葉は遮られた。
「あの侍女は生まれつき声を持たなかった。そのせいか意識しないと喋りにくいそうだ」
ネストルだった。淡々とした言葉に、ラフィーナもそうだったのね、と思う。ラフィーナはイリスが言葉で返事をしないことを全く気にしたことがなかった。何故ならイリスが喋らないことになんの違和感もなかったから。
「侍女の仕事は主人の身の回りを整えることと、主人を不快にさせないことだ。あの侍女に対し王女は不快に思っていないのだろう」
ええ、と頷く。イリスを不快に思ったことなんて一度もない。ラフィーナとイリスの間には言葉などなくとも信頼がある。クレイトスに拘束された侍女は大きな涙を目から流し、はあはあと苦しそうに呼吸をしている。
「だがお前はどうだ? この王女を怒らせ、泣かせるほどだ。ただ注意しただけではなかろう」
『ち、ちが……っ!』
『黙りなさい。ネストル様が喋っておられます』
クレイトスは怒っている。顔を見たら分かる。ネストルも怒っているのだろうか。分からない。冷たい表情。だけどそれはいつもと同じにも見える。ネストルがちらりとラフィーナを見た。視線を向けられて、まだ濡れたままの頬に気が付いた。顔を背けてそっと袖で拭う。
泣くなんて子供みたい。一体いつぶりかしら。
「そも、あの侍女は王女が気に入っているから侍女としておいているだけだ。自分たちと同じだと思うな。本来ならばお前らがかしずかねばならぬほどの身分だ」
「そうなの?」
思わず口を挟んだラフィーナに、クレイトスは笑みと頷きを向ける。
蒼白な顔の侍女はその言葉にもはや反応を返さなかった。パニックになった様子で拘束された腕を解こうとしている。
「もうよい。連れて行け。王女につける侍女も見直す。この後皆を集めろ」
そう言い終わるや否や、ネストルはコツン、と踵を返した。一歩も部屋に入らないまま去ろうとする背中を呼び止める。振り向いたネストルの元へ駆けると、ズキリと足が痛んだ。
「わたくしイリスと離れたくないわ。必要ないなんて言わないで」
侍女を見直すと言う中にイリスも入っているのではないかと、ラフィーナは不安を隠せない。そんなラフィーナを見てネストルは無表情のまま言った。
「お前に必要な人間を離すつもりはない」
淡々とした声。ネストルはそれだけ言うと一人で歩いて行ってしまった。小さくなる背中を見ながらほっと息をつく。よかった、イリスと一緒にいることができそうだ。
「ラフィーナ様、何もお気になさることはございません。どうぞ、お心のままに。……ネストル様のお望みを叶えて差し上げてください」
クレイトスが侍女の腕を掴んだまま、部屋を出て来た。その手は筋が浮くほどに力が入っている。侍女は力なく項垂れ、半ば引きずられるように歩いていた。
「ネストル様はわたくしに何も求めていないとおっしゃっていたわ」
だから好きにすればいい、と。クレイトスの言葉は少し違う気がして首を傾げたが、クレイトスは「いいえ」と穏やかな笑みを浮かべた。
「あの方はラフィーナ様に強く望んでおられますよ」
何を、と問おうとすると、にっこりと笑顔を向けられた。咄嗟に口を噤んだが、クレイトスはそれ以上何も言わずに侍女を連れて行った。
一人残されたラフィーナは、分からないわ、と首を傾げながら部屋の中へと戻った。




