25.お披露目の話
「無駄話をする為に来たのです?」
ネストルの言葉からはラフィーナでも分かるような棘を感じた。エリオスは全く動じることなく「まさか」と返す。隣に立つクレイトスを見上げ、小声で聞いた。
「ネストル様はエリオス様のことがお嫌いなの?」
クレイトスは「どうしてですか?」と笑みを浮かべる。
「なんだかチクチクしてられるもの。仲が良くても嫌いなことってあるの?」
「難しい質問ですね」
クレイトスはふふ、と笑うと顔を上げた。ラフィーナもクレイトスの視線を追う。ネストルもエリオスもこちらを見ていた。ネストルは無表情で、エリオスは微笑んで。
話の邪魔にならないように声を落としたのだが、聞こえていたようだ。
「ネストル兄さまは嫌いな人とは話もしないよ」
答えは別のところからあった。
「エリオス様は嫌いじゃないってことかしら?」
タリアは「そうだよ」と頷き、ラフィーナの手を取って引っ張った。浮き上がりはしないもののふわりと体が軽くなる。タリアに引かれるまま、ラフィーナはソファへと腰掛けた。奇しくも昨夜座ったのと同じ場所だった。
「人間って難しいよね。特にネストル兄さまは」
タリアはラフィーナの隣に座ると、はあ、とわざとらしくため息をついた。
「生きている人たちみんな、あたしや姉さまみたいだったらいいのにね」
「地獄だ」
短い言葉。だけどその声から本気で嫌なことは伝わってきた。エリオスもクレイトスもイリスも笑っているけど、どこか引き攣っているようにも見えた。
「なんでよ。そしたらきっと戦争なんて起こらないよ。皆幸せに暮らせるよ?」
「寝言は寝て言え」
ネストルが馬鹿にするように鼻で笑う。タリアはむっとした表情を浮かべたが、文句が声になる前に穏やかな声が言った。
「僕はラフィーナも難しいと思うよ」
「難しい……?」
ラフィーナは首を傾げる。自分はネストルのように冷たいわけじゃないし、思ったことは素直に口に出している。何が難しいのだろう。エリオスは笑みを浮かべたがそれ以上のことは言わなかった。
「本題に入ろう。そろそろラフィーナのお披露目をしなければならない」
「お披露目……?」
「パーティーだよ。知らない?」
タリアの問いにラフィーナは頷く。
「人がいっぱい集まって、お酒を飲んだり、ご飯食べたり、お喋りしたり、踊ったりするの」
お酒。ご飯。お喋り。踊り。想像がつかない。
「ラフィーナを表に出せと言う貴族が多くてね。まあ、表向きはネストルとラフィーナの婚約パーティーだよ」
表向き。その言葉に引っ掛かりを覚えた。だがラフィーナが口を挟む前にエリオスは更に言った。
「ラフィーナのドレスはもうできている。そうだな、月がふた巡りする頃にしようか」
月がふた巡り。長くもないが短くもない。タリアがにこっとラフィーナに笑いかけた。
「姉さまは座って微笑んでるだけでいいからね。姉さまよりも身分が高い人ってあたし達だけだし、誰かに気を遣う必要もないから」
国で一番偉いのは王様。レガルディアでは皇帝。ラフィーナはドラウゼンの王の娘。それはレガルディアに来ても変わることはない。ただの貴族の身分とは比べるまでもない。クレイトスはそう言っていた。ラフィーナは首を傾げる。
「皇族ってタリア様達しかいないの?」
「あー、うん、いや……」
タリアは言葉を濁して視線を逸らした。聞いてはいけないことだったのかしら、と思った時だった。
「他にもいるよ。父上とかね。ただ療養中でね。表には出てこないんだ」
エリオスが言った。リョウヨウ……療養。聞きなれない言葉をどうにか理解し、次いで驚いた。
「父上……? エリオス様達にもお父様がいらっしゃるの?」
エリオスとネストルとタリアの父親。確かに魔力が父親譲りだとは聞いたことがある。でもそれ以上のことは知らない。3人の父親というのはどんな人なのだろう。
「いるに決まっているだろう。生物には必ず父親と母親がいる。そうでなければここに存在できない」
ネストルが淡々と言った。それはクレイトスに教えてもらっている。だけど考えたことがなかった。
「じゃあわたくしにもお母様がいるの?」
ラフィーナの中で知識が実体へと変わりかけていた。ネストルへ向けた視線を動かさずにいると、ネストルは「当たり前だ」と頷いた。
「そうなのね」
父と兄しか知らなかった世界。母もいたとは。
「だがお前の母親はもういない」
いない。いないとは? 首を傾げてクレイトスを見る。クレイトスは少し言葉を探し、言った。
「命がない、ということです」
命がない。確か「死」だ。頭の中にあったものを繋ぎ合わせてそこへと辿り着いた。ラフィーナはもう一度「そうなのね」と頷いた。タリアが「え?」とラフィーナを見る。
「それだけ? 悲しくないの?」
「悲しい? どうして?」
問いに問いを返すと、タリアは身を乗り出すように、ずいと顔を近付けた。漂う髪が頬に触れそうで触れない。
「もう会えないんだよ。悲しいじゃない」
ラフィーナにはよく分からない。
「どうして?」
こてんと首を傾げると、タリアは「どうしてって……」と困惑したように呟いた。
「母さまに会いたくないの?」
そんなこと聞かれても分からない。父には会いたいと思うけれど。
「わたくしお母様にお会いしたことないもの」
ラフィーナは笑みを浮かべて答えた。会ったことも、その存在を考えたこともない相手だ。どんな人かも知らないし、母と言われてもよく分からない
「それはあたしだってそうだけど、でも」
途端、空気が硬くなったような気がした。タリアもそれを感じたのか、ハッとしたように口を押さえる。その顔はみるみる青ざめていく。
「ごめん、違う、間違えた、違うの、ごめんなさい……」
震える声でそう言いながら頭を振るタリア。青白い顔。震える手。今にも倒れてしまいそうに見えた。
あまりにもタリアらしくないその様子に驚きで言葉が何も出ない。ラフィーナは戸惑い、助けを求めるように視線を滑らせた。
クレイトスの硬い表情とネストルの感情がすっぽり抜けたような無表情。エリオスの仕方のなさそうなため息。
「クレイトス、イリス、すまないがタリアを部屋まで送ってくれ」
エリオスの言葉でイリスが不思議そうな表情を浮かべながらもタリアの体を支えるように立たせる。クレイトスの開けた扉から3人が出ていくのをラフィーナはただ見るのみ。
よく分からない。だけど脳裏に残るタリアのあの様子に少しぞっとした。まるで怖がっているように見えた。何が? 謝っていたのは誰に? 考えていると、エリオスと目が合った。
「驚かせたね、すまない」
いつもの穏やかな声に少しほっとした。だけどやはりその表情はいつもよりも硬くて、笑みはない。
「いいえ、タリア様は大丈夫なの?」
「……素直で純粋な子だ。だが考えの浅いところもある。不用意な発言が人の傷を抉ることもあるのだともっと自覚してくれるといいのだけどね」
返ってきた言葉にラフィーナは首を傾げた。もっと簡単に言ってもらえると嬉しい。そんなラフィーナを見てエリオスは微笑みを浮かべた。
「クレイトスとイリスが戻るまでここで待っていてくれるかい?」
「ええ」
どうせ一人で出ても迷うだけだ。エリオスは「僕は仕事に戻るよ」と部屋を出て行った。扉が閉まり、足音が遠のいていく。
ネストルは長い息を吐くと、椅子の背もたれに体を預け、足を組んだ。
ソファに座ったままのラフィーナと、無表情のネストル。二人きりの部屋の中に重い沈黙が降りた。




