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2.無垢な箱庭

 ラフィーナが生を受けてもうすぐ16年。彼女はその間木々に囲まれたこの小さな離宮から一歩も外に出ることなく育った。全ての窓にはめられた格子。内側からも外側からも鍵がなければ開けることのできない扉。


 それがラフィーナとジジョをこの離宮の内に閉じ込めている。とは言ってもラフィーナ自身に閉じ込められている、という思いはない。


 窓から見る空と木々、格子の間から入ってくる光と風。風に乗って吹き込む葉とたまに遊びに来る鳥。数少ない限られた人間。それだけが彼女の世界の全てだった。



 だから、ラフィーナは何も分からない。



「王女殿下、ドラウゼン王国は我がレガルディア帝国との戦争に負けた。王女殿下には帝国へ嫁いでいただく」



 ラフィーナは首を傾げる。自分と同じ言葉。だというのにその意味を理解することはできなかった。



「レガル……? センソウ? トツイデイタダク……?」



 自分が「オウジョ」と呼ばれる存在であることはばあやから聞いて知っていた。父が「オウサマ」という仕事をしていることも。知ってはいたが理解はしていない。そして彼の言葉は初めて聞く言葉ばかりで全く意味が分からない。


 ラフィーナは父に助けを求めて視線を向ける。父はラフィーナを見ることなく冷たい目で彼を見つめた。その横顔にいつもの笑顔はない。



「娘は怯えている。嫌がる娘を無理やり連れて行くのがお前たち帝国のやり方か?」



 分からない。父が男達を連れて来た理由。話している内容。自分はどうしたらいいのか。今すぐにここから走り去りたい衝動に駆られるこの感情は何なのか。何も分からず、ただ立ち尽くすことしかできない。


 男の目がギラリと光り、ラフィーナから父へと映った。



「やり方に関してはそちらに倣ったまでだが……よくそのようなことが言えたものだな」



 父の目もギラリと光った。しかし男は全く気にした様子を見せずに続ける。



「そも、我らの不仲の原因がどちらにあるか、戦争を始めたのはどちらか、勝ったのはどちらか。ドラウゼン王国の王はお忘れか?」


「黙れ! 若造が知ったような口をきくな!」



 父の大きな声。初めて聞いた声にビクッと体が揺れた。途端、父が床に膝をついた。項垂れるように下げた首。呻く声。その表情はラフィーナからは見えない。



「お父様? どうなさったの?」



 聞こえる苦しそうな声にラフィーナは駆け寄ろうとしたが、急に体が重くなって動けなくなった。立っているのがやっと。これはなんだろう。体が重いのももちろん原因ではあるが、ラフィーナはこの状況に困惑して動くことができなかった。


 開いたままの扉から、葉がひとひら吹き込むのが視界の端に見えた。



「私はレガルディア帝国の皇帝の代理としてここへ来た。私への侮辱は我が皇帝への侮辱と捉えるがいかに?」


「……調子に乗るなよ、青二才が」



 吐き捨てるような言い方に次いで、「ぐっ……!」と苦しそうな声が聞こえる。今のラフィーナの頭の中は「分からない」という単語のみしかない。



「調子に乗っているように見えるか? 事実、私達はいつでもお前を殺すことができる。娘に汚い死に様を見せたくなければすぐさま口を閉じろ」



 背筋がひんやりとするのを感じ、ラフィーナはふるりと震えた。今の言葉でラフィーナに分かったのは、彼が父に喋ってはいけない、と言ったということだけ。だけどその声に嫌な汗がじわりと滲んだ。


 父は俯いたまま何も言わなくなった。その時、ラフィーナの体がふっと軽くなった。と言うよりも体の重さが戻った、と言った方が正しいだろう。冷たい目がこちらへ向く。



「……お前は何故靴を履いていない」



 温度のない声の問いかけに、それが自分へ向けたものだとすぐには分からなかった。だが彼の視線の先には自分がいる。



「わたくしは外に出ないもの」



 靴は外に出る人間が履くものだと父が言っていた。だから自分には必要ない。ラフィーナの口にした言葉に男は眉を寄せた。相手が何か嫌な気持ちを表しているのは分かったが、その原因は分からない。


 首を傾げたラフィーナに話しかけたのは、今度は別の男だった。



「お父様は離宮の中でも靴を履いておられますよ。裸足だと足が汚れるのではありませんか?」



 穏やかな声と微笑み。胸が少しだけ軽くなる。誰よりも高いところにあるその目を見上げた。



「お掃除はわたくしとジジョでしているわ。今日はお洗濯が終わってからしようと思っていたからまだだけれど」



 父が来ると知っていたら朝起きてすぐにしていただろう。でも今日来ることは聞いていなかったから。穏やかな男は「王女殿下が?」と驚いたような表情を浮かべた。



「しかし掃除をしていても細かな砂は残ってしまうのでは?」


「ええ、それがどうなさったの?」



 現にラフィーナの足は砂のザラザラを感じている。どんなに掃除をしても砂は風に運ばれて来る。転がった葉がカサリと音を立てた。



「ですから足が汚れますよ、と」



 その言葉にラフィーナは首を傾げた。



「砂でしょう? 汚れじゃないわ」



 当たり前にそこにあるもの。何故それが汚れなのか。きょとんとするラフィーナを、穏やかな男は目を丸くして見た。ラフィーナはなぜ男がそんな顔をする分からず、また首を傾げる。



「……話にならん」



 温度のない声が吐き捨てるように言った。



「靴なんてどうでもいい。ここを出る用意を侍女にさせろ。終わり次第帝国へ向けて発つ」



 膝をついたままの父。鋭い目の男。穏やかな男。そして指示を待つことなく2階へ向かおうとするジジョ。



「ここを出る……?」



 それはつまり離宮から出るということ? 外の世界へと?



 小さな離宮。たった4人の人間。静かで穏やかで、平坦。だけど幸福と愛情に溢れた世界。大海を知らない彼女の無垢な箱庭。


 それは意外に呆気なく扉を開いた。

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