18.白い薔薇
初めてこの城に来た時とは違う扉から外に出ると、前庭と似ているけど違う景色が広がっていた。それから馬車が一台。クレイトスとイリス。
クレイトスはネストルを見ると、深いため息をついた。
「ネストル様、ラフィーナ様へお会いすることは陛下から禁止されたでしょう」
咎めるようなその声にネストルは静かな声で答えた。
「されていない」
「部屋に立ち入ることを禁じられたでしょう」
それを聞いてラフィーナは納得した。それで部屋へ一歩も入らなかったのね、と。外へと踏み出すと、足の裏に廊下とはまた違う、石の冷たさを感じた。
「部屋へは入っていない。王女にでも侍女にでも確認してみろ」
淡々とそう言うネストル。
「そういうのを屁理屈と言うのです。部屋から出ないラフィーナ様の部屋へ立ち入ることを禁止されたのですから、それは会ってはいけないということです」
呆れたような声に、ネストルは何も言わずに馬車へと向かう。クレイトスが再び深いため息を落とした。
「あの大規模な魔法はなんですか? 迷惑になるのでおやめください」
ネストルが足を止め、一瞬だけ視線がラフィーナへ向いた。クレイトスもそれに気付き、ラフィーナを見る。そして、「なるほど」と小さく呟いた。
「余計なことは言うな」
そう言いながら再び背中を向けたネストル。ラフィーナも追いかけるように足を踏み出した。
影から出ると光がラフィーナの目を刺した。足を止めて目を細める。温かい風も眩しい日差しも窓から入ってくる。だけどこうして全身で感じると違う。
「……気持ちいい」
前庭ほどではないが広く綺麗な庭は色とりどりの花を咲かせている。ラフィーナはふらりと花へと近付いた。花びらが幾重にも重なる真っ白な花。指先で触れると柔らかなしっとりとした感触があり、ラフィーナは息を漏らした。
「なんて綺麗なの」
更に手を伸ばして花を包むように触れた時、ラフィーナの指先に痛みが走った。反射的に引いた指に赤い線が薄く走っている。
「な、何……?」
ラフィーナは困惑して、自身の手と花を見比べる。怪我をしている。どうして? 花に触っただけなのに。柔らかい花びらを撫でただけなのに。
「触れるな」
背後から聞こえた声に体が強張った。
「も、申し訳ありません」
ラフィーナは微かに痛む指先をもう一方の手で握り、触ってはいけないものだったのだわ、と反省をする。
振り返るとネストルが立っていた。待たせてしまったようだ。ラフィーナは慌てて馬車へと歩く。
すれ違いざま、小さな舌打ちが聞こえ、胸の重苦しくなった。ネストルを前に何度も感じた、まるで自分が小さくなったような感覚。
温かな風、眩しい日差し、踏み締めた石の冷たさ、美しい花、初めての触感。それによって彩られていたラフィーナの心は一気に鮮やかさを失う。
イリスの手を借りて馬車へと乗り、はあ、と小さなため息をついた。どうして自分はネストルを怒らせてばかりなのだろう。
「……きっとネストル様はわたくしのことが嫌いなのだわ」
そう結論付けた。何をしても怒らせてしまうのだから。
「だけどネストル様はお部屋に会いに来てくださったわよね……?」
嫌いになったらもう会いに来てくれないと兄が言っていた。だったらやはりネストルは自分のことが嫌いなわけではないのだろうか、と思った時だった。クレイトスが馬車の外から顔を覗かせた。
「ラフィーナ様、こちらを」
そう言って差し出されたのは一輪の白い花。先ほどの花だった。触ってはいけないと言われたけれどいいのだろうか。恐る恐る手を伸ばしてそれを受け取る。
「薔薇には棘があります。不用意に触れることはお控えくださいませ」
クレイトスの言葉でラフィーナはそれが自分の手を傷付けたことを知った。そして手の中の薔薇を見て首を傾げる。
「どこにあるの?」
つるっとした茎は多少のでこぼこはあるものの、棘というほどのものではない。クレイトスが微笑む。
「危ないので落としてあります」
ではこのガタガタが棘のあった箇所なのだろうか。ラフィーナは茎を指でなぞった。
「ありがとう」
綻んだ表情。そんなラフィーナを見てクレイトスはふっと笑った。
「そちらはネストル様からです。お礼は我が主人へ」
「ネストル様から……?」
聞き返すとクレイトスは笑みを深めて顔を引っ込めた。
「イリス殿もお乗りください。出発いたしましょう」
そんな声と共にイリスが乗り込んできた。ラフィーナは手の中の花へと視線を落とした。柔らかな花弁を撫でる。
「薔薇、というの……?」
「はい、薔薇でございます」
「……お花にも名前があるのね。もっと色々知りたいわ」
ラフィーナにとって花は花で、名前も種類も気にしたことがなかった。
「私に分かるものでしたらお教えします。ネストル様やクレイトス様もきっと教えてくださいますよ」
クレイトスはともかく、ネストルが花の名前を教えてくれるとはとてもではないが思えない。
棘のない真っ白な薔薇を見て、クレイトスの言葉を思い出した。
「本当にネストル様からなの……?」
ラフィーナには信じられない。その時、馬車が揺れ、走り出した。ガラガラという音の中、ラフィーナの耳は前方の声を拾った。
『まったく、素手で薔薇を折るなんて……袖が血だらけではありませんか』
呆れたようなクレイトスの声だった。ネストルもそこにいるのだろうか。
『それを洗濯する方の身にもなってくださいよ』
『水の……を使う者に……ればいい』
微かに聞こえる淡々とした声。それはクレイトスの言葉を否定しない。これが本当にネストルからのものなのだとラフィーナはようやく信じることができた。
冷たい顔、冷たい目、冷たい声。だけど自分の為にーー。
鮮やかさを失っていた景色がまた色を取り戻す。ラフィーナの心の奥で温かなものが膨らんでいく。そして彼女は蕩けるような笑みを浮かべた。




