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16.答え

 ラフィーナの部屋に前触れのないノックが響いたのは数日後だった。ラフィーナの耳に届かない足音。突然のノック。それはネストルの来訪を表す。ラフィーナは少し躊躇い、イリスに開けるよう頼んだ。


 開いた扉の向こうでネストルは座ったままのラフィーナを見た。その足は床から離れず、部屋へと踏み入らない。イリスがネストルへ入るように促しても、そちらを一瞥するだけ。



「あの……?」


「答えは出たか」



 静かな声。冷たいけれど怒ってはいない声。ラフィーナはテーブルへと視線を落とし、ゆるゆると首を振った。



「分からないの」



 膝の上に置いた手をぎゅっと握る。ネストル様はまた怒るのかしら、と思うと鼓動が速くなる。



「わたくしには何も分からない……」



 父の意図も自分の意思も。外に出たら全部分かるのだろうか。だけどそれは父の言葉に背くことだと、頭の中で誰かが言っている。



「分からないけれど……」



 ゆっくりと顔を上げると鋭い目が見えた。ラフィーナは震える手に力を入れて、ネストルを見る。ネストルの眉がピクリと動いた。


 分からない中、一つだけ確かなこと。眼下見えるお城の広い庭は花を咲かせた。遠くの山も緑を取り戻した。



「……ここにも、春の香りはあるの?」



 声は揺れていた。


 窓から風が吹き込み、ラフィーナの髪を揺らした。この部屋が高い位置にあるからだろうか。それとも離宮のように木々の中にないからだろうか。風は何も運んでこない。


 自分が外に出たいのかは分からない。父の気持ちもネストルの気持ちも分からない。ただ一つ分かるのは自分があの香りを望んでいること。それだけ。


 ネストルは温度のない、感情を映さない表情のまま、じっとラフィーナを見る。沈黙が降り、その居心地の悪さにラフィーナは俯いた。



「ついて来い」



 静かな声。顔を上げるとネストルが片足だけ返して、半身でラフィーナを見ていた。イリスの驚きと期待に満ちた表情も見える。


 ついて来い。その短い言葉にラフィーナは考える前に立っていた。立ったけれど足は動かない。決して外へ出たくないわけではない。ないのだがーー。



「……お父様は怒るかしら」



 ポツリと呟きが落ちた。父がたまに見せていた冷たい顔。あれが怒りだったとしたら、またあの冷たい顔をさせるかもしれない。自ら外へ出た自分に、裏切った自分に父は「愛している」と二度と言ってくれないかもしれない。


 静かな声はその心を切り捨てるように放たれた。



「だからなんだ。お前の父が怒ったところでお前には何の関係もない」



 視線が彷徨った。



「お、お父様はわたくしを嫌いになるわ」



 ラフィーナはネストルのようには考えられない。狭い世界。父の存在は唯一無二で、ラフィーナにとっては神にも等しい存在。



「それがなんだ」



 ネストルの温度のない声が言う。ラフィーナの大きな目が見開かれる。どうしてそんなふうに言えるのだろう。



「嫌よ、お父様に嫌われるなんて……もう会いに来てくださらなくなるのよ? そうしたらわたくしは独りになってしまうわ……」



 視界の端で自分の髪が揺れる。同じ色。だというのに、目の前のもう一つの銀色は酷く冷たく見えた。


 ネストルは口を開く。しかし声が出る前に閉じられた。何か言葉を飲み込んだようだった。



「……くだらん」



 吐き捨てるように落とされた鋭い声に、ラフィーナの体はビクリと揺れた。怒らせてしまった。心がズンと重くなる。



「私の記憶が正しければ、お前は今日で17になったはずだ」


「え……?」



 ネストルの視線が真っ直ぐラフィーナに向く。



「今日で17……17歳?」



 ラフィーナがイリスを見ると、頷きが返ってきた。


 ラフィーナはこれまで肌で、目で、耳で季節を感じ、時を重ねてきた。自分の誕生日はいつもイリスが用意する、いつもより少し豪華な食事で知っていたし、イリス以外の誰かがそれを知っているとも思わなかった。


 だからネストルの口からそんな言葉が出たことに驚きに似た衝撃を受けた。しかしネストルはそんなラフィーナを気にせず言葉を重ねる。



「親に道を示してもらわねば歩めぬような子供ではない。甘えるな」



 今度はガツンと頭を殴られたような衝撃だった。クレイトスが言っていた。17歳は結婚できる年齢だと。親の元から去る目安の年齢でもあると。



「私と共に来るのか、この部屋の中で一生を終えるのか、選べ。お前の好きなようにしたらいい。お前が私と共に来る気がないと言うのなら私はもうここへは来ない」



 立ち尽くす足が震えた。どうしてだろう。ネストルが来ないのならそれでもいい。怒ってばかりの、怖いばかりのネストルにもう会わなくていいなら願ってもいないことだ。


 それなのにーー何か違う気がするのは何故だろう。


 気が付くとラフィーナは足を踏み出していた。理由のない違和感に背を押されて。


 ラフィーナを見るネストルの目が微かに細められた。ネストルの感情も自分の感情も分からない。


 それでもラフィーナは選んだ。ネストルと共に行くことを。

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