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15.疑問

 宙に上がり消えていく湯気をぼうっと眺める。椅子がガタリと音を立てて視界がくっきりとした。



「ごめんね、姉さま。あたし自分でお茶を淹れることってあんまりないから、味の保証はできないけど」



 タリアが椅子に腰掛けるところだった。ふわりと髪が揺れる。テーブルの上には湯気が立つお茶。いつの間に。



「いいえ、ありがとう」



 イリスもエリオスと一緒に行ってしまったから、残ったタリアがお茶を淹れてくれたようだ。自分がぼんやりしている間に。


 下を向くと耳にかけていた髪が落ち、その色がネストルを思い出させた。


 ーー俺が今問うているのはお前の意思だ。


 ネストルの言葉が頭の中で巡る。あの瞳が忘れられない。いつもは凍えるような冷たさを発している、あの燃える瞳が。



『ねえ、あたし帝国語で話してもいい? やっぱり帝国語の方が喋りやすいんだよね』


「ええ……」



 ラフィーナは聞かれた問いに頷きはしたものの、実のところ上の空でよく聞いていなかった。



『姉さま、大丈夫? どこか痛い? やっぱり医師呼ぼうか?』



 気遣うようなタリアの声にハッとして顔を上げる。タリアに相談してみようかとも思ったが、自分の心の内を表す言葉が何も思い浮かばず、ラフィーナは作ったような笑みを浮かべた。



「いえ、大丈夫よ。少し驚いただけだもの」



 そう、驚いたのだ。いつもと違うネストルの瞳に。いつもと違うクレイトスの声に。いつもと違うエリオスの視線に。恐怖と同じくらいの戸惑いと驚き。



「……エリオス様も厳しいお顔をなさるのね」



 呟くと、タリアは当たり前のように頷いた。



『そりゃあね。エリオス兄さまだって優しいばっかりじゃないよ』



 それはそうかもしれない。ばあやもいつも優しかったけれど、悪いことをしたら叱られた。それと同じ。だけどエリオスはいつもにこにこしていて穏やかだから、厳しい顔なんてしないのだとも思っていた。



『エリオス兄さまは怖いよ。あのネストル兄さまも勝てないんだから』


「え……?」



 あのネストルが勝てない? あんなにも怖いネストルが? エリオスはあれよりももっとずっと怖いのだろうか。想像ができない。


 眉をひそめるラフィーナを見て、タリアは可笑しそうに笑った。



『怖いって言ってもネストル兄さまみたいなのじゃないよ。にこにこしてて、言葉も優しいのに、何故か勝てないの』



 分からない。



「そうなのね」



 想像することは諦めてそう頷いた。カップを持ち、お茶を飲む。少し冷めたそれは少し渋い。


 はあ、と小さなため息が落ちた。まだ胸にあの圧が残っているような気がする。まだこの目にあの熱が張り付いているような気がする。


 タリアの笑みが消える。



『姉さまは悪くないからね。悪いのはネストル兄さまだから。気にしないでね』


「ええ、ありがとう」



 帝国語と王国語が行き交う。最近のラフィーナは日常会話を帝国語で行っていたが、ネストルに聞き苦しいと言われてから口から出るのは王国語ばかり。



『……姉さま、勘違いしないでね。ネストル兄さまは誰に対してもあんな感じなの』



 タリアの気遣う言葉にラフィーナは頬を緩ませた。



「ええ」



 タリアは優しい。エリオスも優しい。でもネストルは怖い。怖いけど、何か違う気もする。怖いなんて一言では表せない何か……。あの目に宿っていたのが怒りなのだとしたら、それはなんて真っ直ぐなのだろう。


 再び視線を下げて考え込む。そんなラフィーナを見てタリアは立ち上がった。どうしたのかと視線を上げるとにっこりと笑う顔があった。



『今日は勉強できなさそうだし、あたし部屋に戻るね』


「え、ええ……」



 笑顔で手を振るタリアに、ラフィーナも手を振る。ふわふわと軽やかな足取りで部屋を出て行くタリアの背を見て、気を遣わせてしまったわ、と少し反省をした。だけどやっぱりネストルの言葉が離れない。


 お父様はわたくしに何を望んでいたのかしら? どうしてわたくしは外へ出てはいけないのかしら? どうしてわたくしはこの広い世界を知らずに育ったのかしら?


 それはラフィーナには到底思い付かない問いで、答えなんていくら考えても出ない。この部屋の外に答えがあるのだろうか。外へ出ようなどと考えてもいいのだろうか。それは父へ対する裏切りではないだろうか。自分は愛してくれた父を裏切るのか。それでも父は迎えに来てくれるのだろうか。


 自分の育った環境の異質さはもう理解している。この世界が思っている以上に広いことも。ラフィーナはちゃんと理解していて、それでも部屋に閉じこもっていた。ラフィーナの根底が、父の言葉がそうさせている。



「見つめて、疑って、考えて、心に残ったものを信じる……」



 ネストルの言葉を噛み締めるようにゆっくり口にした。父の言葉に従って狭い世界の中でただ生きていただけのラフィーナ。分からない。何も分からない。


 外に出たら厳しい顔のエリオスや呆れるクレイトスやふわふわしていないタリアがいるのだろうか。優しいネストルも?


 分からない。出た先に何があるのか。自分がどうしたいのか。ラフィーナはカップの中の静かな水面を眺めながらそんなことを延々と考えた。考えて、考えて、それでも辿り着くのは一つ。


 お父様は外へ出てはいけないって言ったもの。


 ーー何故外へ出てはいけないのか。


 ふっとネストルの声が蘇った。



「どうして出てはいけないの……?」



 その理由をラフィーナは知らない。聞きたくとも父は近くにいない。クレイトスは言った。ラフィーナのような育ち方をしている人は本当に珍しいことだと。誰もが広い世界を見て生きているのだと。



「どうしてわたくしだけ……?」



 父や兄を疑ったことなどない。父の言葉に疑問を覚えたこともない。だけどネストルの言葉が凪いだ心に波を起こした。



「……お父様はわたくしをどうしたかった?」



 風が頬を撫でた。窓が開いている。いつから開いていたのだろう。四角く切り取られた風景。街と遠くの山と空。格子に区切られていない外の世界。


 ネストル様はあの全ての問いの答えを持っているのかしら。すっかり湯気の消えたお茶に口をつけ、そう考えた。

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