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14.厳しい問い

 ネストルは片眉を上げ、「何が分からない」と問うた。何も分からない。ネストルの言いたいこと、怒っている理由。どこを見たらいいのか、何と言えばいいのか。何も分からなくて視線が彷徨う。


 膝の上に置いた手が震える。ネストルは深いため息をつき、ほんの少しだけ冷たさの薄れた声で言った。



「クレイトスやタリアに外に誘われただろう。何故出ない。出たくはないのか」



 ネストルの言う通り、外へ出ようと何度か誘われた。クレイトスやタリアやイリスに。だがラフィーナはそれに一度として頷かなかった。その理由はラフィーナにも答えられる。



「お父様が外へ出てはいけないと言ったもの」



 父が駄目だと言った。理由なんてそれで十分。父の言葉を守らないと迎えに来てもらえない。


 知識をつけることに関しては「知らなくていい」と言われていただけで明確に禁止されていたわけではない。だけど外に出ることは明確に禁止されていた。だから出てはいけない。


 途端、ほんの少しだけ鋭さの和らいでいたネストルの目にまた鋭さが戻った。



「お前の父親はここにはいない……!」



 突然の大きな声にラフィーナは目を大きく見開いた。驚きと怯え、困惑。ネストルは大股でラフィーナとの距離を詰める。途中で銀の髪が光を受けて煌めく。しかしそれは一瞬のことで、すぐに光を失った。


 荒々しい手が胸元を掴み、圧がかかる。背中が椅子に押し付けられ、息苦しさを感じた。


 イリスの息を呑む気配があり、次いで駆け寄ってくる足音を聞いた。イリスの手がネストルの腕を掴む。



「おやめください……!」



 しかしイリスの姿など見えないとばかりに、ネストルの腕に更に力がこもった。顔が近くに寄る。近距離で覗いた目に熱が見えた。目を逸らすことができなかった。



「お前の父親の言葉なんてどうでもいい。お前が出たくないのか、と聞いている」



 低く唸るような声。生まれて初めて聞くような声に体は震え、息苦しさに喘いだ。言葉は何も出ず、ただネストルの薄い色の瞳を見る。燃えるようなその目に焼かれそうな気がした。



「俺はお前の意思を問うている」



 クラリと何かが揺れた。今まで父や兄の言葉通りのことしかしてこなかった。自分での意思決定など生活の中の些細なものだけ。外に出たいなど、ばあやがいなくなったあの時にほんの少しだけ心をよぎった程度で考えたこともない。ラフィーナは父の望む生活と、父の望む言葉だけを与えられて生きてきた。1年前まで、ずっと。


 知識や常識というものを頭に入れた今でもラフィーナの心の中には第一に父の言葉がある。


 分からない。苦しい。それだけが頭の中を埋め尽くす。



「お前はどうしたい。答えろ」



 わたくしがどうしたいのか……?


 初めて向けられた問いに言いようのないざわめきが胸を侵す。困惑と不安と罪悪感。それからーーほんの少しの期待。それに気が付いた瞬間、時が止まったような気がした。


 ネストルの目に映る自分の顔。大きく見開いた目。その目が何かの感情を映すように揺れる。


 その時だった。扉が音を立てて開いた。止まっていた空気が動き出す。



『ネストル様! おやめください……!』



 部屋に飛び込んできた声にラフィーナはハッとした。胸元を押さえるネストルの手からわずかに力が抜けた。



『何してんの、兄さまの馬鹿……!』



 軽い足音が駆けて来て、ラフィーナの服を掴む手を払った。体が空気を吸って喉が鳴る。咽せた。ラフィーナはそこで、自分が息をしていなかったことに気が付いた。



『姉さま大丈夫!?』



 背中をさするタリアの手。ラフィーナは咳をしながらもネストルへと視線を向けた。ネストルの目もラフィーナへと向いていて、視線が交錯する。しかしそれはすぐに逸らされた。



『あなたは何を考えているのですか』



 クレイトスの焦りと呆れを含んだ声が聞こえた。珍しい声だわ、と思う。咳が落ち着き、顔を上げるとそこにイリスの姿がないことに気が付いた。いつの間にいなくなったのかしら、と思うと同時にイリスが二人を呼んで来たのだと察した。



『ごめんね、姉さま』


「大丈夫よ」



 そう言った声は少しだけ掠れていた。ラフィーナは控えめな咳払いをもう一度する。



「どうしてタリア様が謝るの?」



 そう聞いた時だった。



「本当に、妹に謝らせて兄として恥ずかしくないのか?」



 穏やかだけど責めるような声だった。視線を扉へと向ける。エリオスとイリスが立っていた。



「タリアが呼んでいると聞いて来てみれば……1年経っても変わっていないようで、僕は涙が出そうなほど嬉しいよ、ネストル」



 エリオスは深いため息をつきながらそう言った。その表情はとてもではないが嬉しそうではない。嬉しいならもっと嬉しそうなお顔をすればいいのに、と思い、それが皮肉だと気が付いた。


 ネストルは微かに眉間に皺を寄せたが、すぐに冷たい表情へ戻る。



「部屋で話を聞こう、ネストル。クレイトス、お前も来なさい。それから……」



 言葉を切ってエリオスは微笑みを浮かべた。



「ラフィーナ、少しだけイリスを借りてもいいかい?」


「ええ……」


「ありがとう。タリアはラフィーナと一緒にいてあげなさい」



 そう言ったエリオスは、微笑んだまま厳しい目をネストルへ向けた。ほんの一瞬。だけどラフィーナはそれを見逃さなかった。エリオスはいつもにこやかで優しい。あんなにも厳しい目をすることに驚いた。


 ネストルはエリオスの視線を無視して部屋を出て行く。その直前に足を止め、振り向いた。目が合う。



「何故外へ出てはいけないのか。何故言葉も文字も知識も与えられずに育てられたのか。何故人に会うことを禁じられたのか。お前の父親がお前に何を望んでいるのか。ーー考えたことがあるか?」



 並べられたいくつもの問い。自分に向けられたそれの答えをラフィーナは持っていない。どれも考えたこともない。小さく頭を振る。



「ならば考えろ。父親の言葉も侍女の言葉も私の言葉も全てを疑え。見つめて、疑って、考えて、お前の心に残ったものだけを信じろ。お前の目に映るほど世界は美しくも優しくもない」



 そう言うだけ言うとネストルはラフィーナに背を向けて歩いて行ってしまった。



「すまないね、ラフィーナ。謝罪は後日改めて来させるよ」



 申し訳なさそうにそう言ったエリオスも、クレイトスとイリスを連れて出て行く。ラフィーナは半ば呆然としたまま、閉じた扉を見つめた。

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