第十二話:古い守り手
緑灯窟の地下で、古い守り手が目を覚ました。
顔のない石像は、停止していた命令を再開するかのように、ゆっくりと立ち上がった。
動きは緩慢だった。だが、鈍重ではない。石の関節が軋むたびに古い粉塵が落ち、足が床を踏むたび、部屋全体に低い振動が広がった。
胸の中央には、欠けた黒い魔石。そこに、細い緑色の光が血管のように走っている。
「下がれ、大将」
ダリオが短刃を抜いた。風切りの刃の縁が、白く揺れる。
「言われなくてもそうする」
「壁際までは行くな。逃げ場がなくなる」
「注文が実戦的すぎる」
俺はモデルガンを握りしめる。弾倉には、石喰い鼠二匹分の魔石から変わった六つの光が灯っている。
六発。
それだけあれば、何かはできる。そう思っていた。守り手が腕を振り上げた。ただそれだけで、空気が重くなる。古い魔法陣の残光が、床の震えに合わせてかすかに揺れた。
「来るわ!」
イオナの声が飛ぶ。次の瞬間、石の腕が床を叩きつけた。
轟音が地下室に跳ね返る。砕けた石片が散り、床に刻まれた魔法陣の一部をこすって火花のような光を散らした。
ダリオが横へ滑るように避ける。俺は反射的に後ろへ下がった。足がもつれかける。
(転ぶな!!朝練!!朝練を思い出せ!!)
膝を曲げる。重心を落とす。手をついてでも体勢を戻す。何とか転ばずに踏みとどまった。
「今のは耐えたな」
「今それを採点する場面か!?」
「生きてりゃ採点できる」
ダリオは笑っていなかった。
守り手の腕が横に薙がれる。石の腕とは思えない速さだった。空気が押しのけられ、低い風が頬を叩く。
ダリオは風切りで受けるのではなく、刃を合わせて力を逃がすように逸らした。それでも衝撃で体が半歩流される。靴底が床をこすり、白い粉塵が舞った。
「重てえな」
「ダリオが押されるの、初めて見たんだが」
「見物してる暇があるなら避ける準備しろ」
「はい」
イオナが影針を構える。
「動きを崩すわ。合わせて」
「十分だ」
影針の黒い刃が、床に落ちた守り手の影へ走る。黒い線が影の端をかすめると、守り手の足がわずかに鈍った。
「大将!」
「わかってる!」
俺はモデルガンを構えた。狙うのは、胸の黒い魔石。だが、手が震える。石喰い鼠の時とは違う。あの時は足元を撃って驚かせればよかった。でも今度は、あの胸の魔石を狙わなければいけない。
残された弾は限られている。それでも、撃つしかない。
「当たれ!」
光弾が飛び、守り手の胸へ向かう。
だが、黒い魔石を覆う石の装甲に当たり、軽く弾けただけだった。緑の火花が散り、石の表面に小さな焦げ跡が残る。
「効いてない!?」
「表面を削っただけね!」
イオナが叫ぶ。
弾倉の光が一つ消える。残り五発。
ダリオが前へ出る。風切りの白い揺れが伸び、守り手の腕の関節に叩き込まれた。石と刃がぶつかる鈍い音が響き、守り手の腕に薄い傷が走った。
「硬えな」
ダリオの声が低い。
「少しずつ削る。イオナ、足を崩せ。大将、胸だけ狙え」
「そんな器用なことできるか!」
「できねえなら、近いやつを当てろ」
守り手がもう一度腕を振る。
ダリオが受け流す。イオナが影針を走らせる。俺が撃つ。
二発目、三発目。
続けて撃ち込んだ光弾は、胸の装甲を少し削っただけだった。片方は狙いが逸れ、肩に当たって消える。
「くそっ」
「焦らない!」
イオナの声が鋭い。
「狙う場所は合ってる。焦らないで」
「見る余裕がない!」
「全部を見ようとしなくていいわ。狙いを一つに絞って」
「狙いを一つ……」
「ええ。あんたはちゃんと当ててる。私もダリオも、それに合わせて動けてる」
「……ちゃんと役に立ってるのか?」
「そうよ。だから大丈夫。私は、あんたを信じてる」
「……そういうことを戦闘中に言うな」
「戦闘中だから言ってるの。今、必要でしょ」
「必要だ。かなり」
「なら、次もお願い」
胸の奥で、少しだけ震えが収まった。怖いのは変わらない。守り手は硬いし、弾は残り少ない。外せば、それだけで一発失う。それでも、俺の撃った光弾に、二人は合わせてくれている。俺だけが、何もできていないわけじゃない。
ダリオは守り手の攻撃を正面から受けていない。足を動かし、体をずらし、少しずつ胸の周りの石を削っている。イオナは影針で、守り手の動き出しを狙っていた。
なら、俺は俺の役目をやるしかない。
「シューシュ」
「はい!」
「胸の魔石、見えるか」
「見えます! でも、石の装甲が邪魔です!」
「あと何発で削れる?」
「わかりません!」
「そこはわかってほしかった!」
「でも、当てれば少しずつ削れます!」
残り三発。俺は息を吸った。黒い魔石を覆う、ひびの入った装甲を見る。
「ダリオ、胸の右側!」
「おう」
ダリオが横から踏み込み、風切りの白い揺れを胸の右側へ叩き込んだ。石が欠ける。
「今!」
四発目。光弾が欠けた部分に当たり、さらに小さな石片を飛ばした。
「よし!」
喜ぶには早かった。守り手の腕が、こちらへ伸びる。
「ジン!」
シューシュの声。俺は横へ動こうとしたが、遅い。
石の指先が、目の前をかすめた。触れていない。それなのに、押し出された空気だけで体が持っていかれる。
「ぐっ」
体が横へ流れる。肩の上のシューシュが、ぽん、と浮いた。
「わっ」
俺はそれを見る余裕もなく、肩から床へ転がる。肘をつき、体を丸め、どうにか受け身を取った。
痛い。でも、立てる。
シューシュは慌てて俺の肩へ戻り、服をぎゅっとつかんで座り直した。
「ジン、大丈夫ですか!?」
「生きてる!」
「それは大丈夫なんですか!?」
「今はそれで十分だ!」
残り二発。俺は立ち上がりながら、モデルガンを構え直す。
五発目。今度は胸に当たった。だが、黒い魔石までは届かない。
六発目。最後の光が、弾倉の中で揺れる。
守り手は止まらない。
ダリオの息が荒くなっていた。風切りの白い揺れも、最初ほど伸びていない。イオナも影針を握る手に力を込めている。
「大将、撃て!」
「わかってる!」
俺は引き金を引いた。光弾は胸元に当たり、緑の火花を散らした。だが、それだけだった。黒い魔石を覆う石の装甲は、欠けてはいる。ひびも入っている。けれど、まだ届かない。
弾倉の光が消える。空だ。
「……だめか」
守り手の腕が振り上がる。ダリオが正面に入った。短刃を合わせ、腕を逸らそうとする。だが、重い。風切りがきしむように白く揺れ、ダリオの足が床を削って後ろへ滑った。
「ぐっ……!」
「ダリオ!」
イオナが影針を走らせる。黒い線が守り手の足元へ伸びた。守り手の動きが鈍る。だが、止まらない。守り手の足が、影を引きちぎるように前へ出る。イオナの顔にも余裕がない。
俺の手の中のモデルガンは空だった。撃てない。
ダリオは押されている。イオナも止めきれない。シューシュは胸のコアを押さえたまま、青白い光を揺らしている。
このままだと、押し切られる。何か。何かないのか。
その時、頭に浮かんだ。石殻トカゲの魔石。イオナが預かっている、鼠のものより一回り大きい魔石。売れば、きっと飯代になる。しばらくはまともなものが食べられるかもしれない。でも、今使わなければ、飯どころじゃない。
「イオナ!」
「何!」
「さっきの魔石!」
イオナが一瞬だけこちらを見る。
「石殻トカゲの?」
「それしかない!」
イオナは迷わなかった。
「受け取りなさい!」
鞄から布包みを取り出す動きは早かった。次の瞬間には、石殻トカゲの魔石がこちらへ飛んでいた。俺は必死に手を伸ばした。指先に当たり、落としかける。
「うおっ!」
どうにか両手で掴む。石喰い鼠のものより重い。奥で揺れる光も濃い。
「シューシュ、これを入れる!」
「はい!」
モデルガンの横の溝が、待っていたみたいに光った。魔石の光が吸い込まれていく。弾倉に濃い緑の光が満ちた。
一つ、二つ、三つ。いや、違う。今回は小分けじゃない。
「シューシュ、これ、一発にまとめられるか!?」
「できます! たぶん!」
「そのたぶん、信じるぞ!」
弾倉に灯った光が、ゆっくりと一つに重なっていく。銃身が熱を持った。手のひらが焼けるように痛い。
(飯代どころじゃない!!これはたぶん数日分!!でも今撃たなきゃ、飯どころじゃない!!)
守り手がダリオを弾き飛ばす。
「ぐっ!」
ダリオの体が横へ流れ、床を転がった。
「ダリオ!」
「まだ動ける!」
ダリオはすぐに立ちあがろうとするが、それより先に、守り手の腕がこちらへ向いた。
次は俺たちだ。
「イオナ!」
「わかってる!」
イオナが影針を床へ突き立てる。黒い糸のような影が、守り手の足元へ走った。守り手の足が止まる。
そのわずかな間に、ダリオが動いた。
「大将、胸だ!」
倒れかけた体勢から、ダリオが風切りを投げるように振るった。白い揺れが伸び、守り手の胸元のひびに叩き込まれる。ごき、と石が割れた。黒い魔石が見えた。
「今だ!」
俺は引き金を引いた。今度は、軽い光弾ではなかった。洞窟の空気が、腹の底に響くように震えた。
緑の光が一直線に走る。
反動で腕が跳ね上がりそうになる。肩が抜けるかと思った。それでも、光はまっすぐ飛んだ。
守り手の胸の黒い魔石へ。ぴしり、と細い音がした。黒い魔石に、ヒビが入った。
守り手の腕が、空中で止まる。石の体から、光が消えていく。膝が崩れ、巨体が床に沈むように落ちた。
重い音が、地下の部屋に響いた。
「……止まった?」
俺はモデルガンを下ろせなかった。
手がしびれている。銃身はまだ熱い。指先がじんじんする。
「ジン、大丈夫ですか?」
「手が痛い」
「反動です!」
「先に言ってほしかった」
ダリオが息を吐いた。
「止まったか」
「……みたいだな」
「おつかれ、大将。今回は結構ヤバかったな」
「ああ。それより、本当に止まったのか?もう動かないよな?」
「大将は用心深いな」
だが、守り手は動かない。イオナが影針を構えたまま、一歩近づく。
「胸の魔石にヒビが入ってる。魔力の流れが止まったのかもしれない」
「なら、まだ触らない方がいいな」
「ええ。完全に沈黙したか確認するわ」
俺たちは、ゆっくりと守り手に近づいた。その時だった。シューシュの胸のコアが、強く光った。
「……え?」
止まっていた守り手の体が、再び動く。
「まだ動くのか!」
ダリオが短刃を構え直す。俺もモデルガンを構えようとして、弾が空なのを思い出した。
(終わった!!財布も弾も空!!)
だが、守り手は俺たちを見ていなかった。顔のない頭が、ゆっくりとシューシュへ向く。そして、床を揺らしながら一歩進むと、その場に膝をついた。
「……攻撃してこない?」
イオナが小さく呟く。守り手は、ひび割れた胸の魔石に手をかけた。ぎし、と嫌な音がする。
自分の体から、魔石を引き抜いていた。
「おい、それを抜いたら……」
誰に言ったのか、自分でもわからなかった。守り手は答えない。ただ、抜き取った魔石を、ゆっくりとシューシュへ差し出した。
黒い魔石は、俺が撃ち込んだせいで細いヒビが入っている。それでも、奥には濃い緑の光が残っていた。
シューシュは動けずにいた。
「……私を」
小さな声が、地下の部屋に落ちる。
「この人は、私を守っていたんです」
「守っていた?」
俺が聞き返すと、シューシュはゆっくり頷いた。
「全部はわかりません。でも……この守り手は、私以外が近づいた時に、排除するように作られていました」
「じゃあ、俺たちを攻撃したのは」
「はい。私を守るため、だったんだと思います」
シューシュの胸のコアが、静かに光っている。
さっきまでの明るい光ではない。どこか、泣いているような光だった。
「ジン……この魔石、取り込んでいいですか?」
シューシュが言った。
「待ちなさい。さすがにこの魔石は大きすぎるわ。ヒビが入っているとはいえ、残っている魔力も多い」
イオナがすぐに止める。
「今のシューシュに何が起きるかわからない。動けなくなるかもしれないし、記憶が一気に流れ込むかもしれない」
「はい」
シューシュは、差し出された魔石を見つめたまま頷いた。
「イオナの言う通りです。たぶん、しばらくは動けなくなるかもしれません」
「なら――」
「でも」
シューシュは小さな両手を、胸のコアに重ねた。
「これは、私に渡すために残されたものだと思います。私を守ってくれていた守り手が、最後にくれたものです」
その声は震えていた。けれど、迷ってはいなかった。ダリオも珍しく黙っていた。
イオナは俺を見る。
「ジン、あんたも止めなさいよ」
止めるべきなのかもしれない。
危ない。何が起きるかわからない。組合に戻って、ミラさんに見せてからの方が正しいのかもしれない。
でも、シューシュはもう選んでいた。誰かに言われたからじゃない。自分で、思い出すことを選んでいた。
「シューシュ」
「はい」
「本当にやるんだな」
「はい」
俺は小さく息を吐いた。
「なら、やれ」
「ジン!」
イオナの声が鋭くなる。俺はシューシュから目を逸らさなかった。
「お前が動けない間は、俺が必ず守ってやる」
シューシュの胸のコアが、ふわりと光った。
「……はい」
シューシュは、両手で守り手の魔石を受け取った。その瞬間、魔石の緑色の光がシューシュの胸へ流れ込む。
シューシュの体が、小さく震えた。
「シューシュ!」
俺が手を伸ばすより早く、シューシュの胸のコアが強く輝いた。光は部屋の床に刻まれた魔法陣へ広がり、天井の魔法陣へも届く。壊れていたはずの柱に、かすかな緑の線が走った。
ほんの一瞬だけ、部屋全体が息を吹き返したように見えた。
「ジン」
シューシュの声が聞こえた。けれど、その声はどこか遠かった。
「少し、眠ります」
「ああ。待ってるよ」
「ありがとう。起きたらちゃんとお話ししますね」
俺は両手を伸ばし、倒れそうになったシューシュを受け止めた。小さな体は、いつもより重かった。
胸のコアは、淡くゆっくりと光っている。完全に消えたわけではない。
眠っている。たぶん、そうだ。
「……大丈夫なの?」
イオナが近づいてくる。
「わからない」
俺は正直に答えた。
「でも、守るって決めた」
ダリオが短刃を鞘に収める。
「なら、戻るか。大将が守るなら、俺たちは大将ごと守る」
「俺ごとか」
「当たり前だろ。あんた一人じゃまた転ぶからな」
「最後の一言が余計だ」
「事実だ」
イオナは少しだけ息を吐いた。
「まずは組合に戻るわ。ミラさんに見せないと」
「ああ」
俺は眠るシューシュを抱えた。守り手は、もう動かない。自分の魔石を差し出したまま、完全に沈黙していた。
この部屋で、何があったのか。シューシュは何を失くしたのか。
答えはまだわからない。けれど、腕の中の小さな相棒は、確かに何かを受け取った。
(お前が起きるまで、俺が守る)
俺はそう心の中で繰り返し、緑灯窟の地下を後にした。




