プロローグ1
俺の名前は、九楼仁。三十八歳。男。独身。
一般企業の会社員で、役職なし。出世欲もないし、結婚願望も今のところ特にない。こうして並べてみると、ずいぶん味気ない自己紹介だと思う。だが実際、俺の人生はだいたいそんな感じだった。
ごく普通の家に生まれた。長男で、妹が一人いる。妹は俺よりずっと社交的で、今では結婚して家庭を持っている。それに比べて俺は、一人暮らしの会社員だが、別に自分の人生に不満はない。
朝起きて、会社に行って、仕事をして、帰る。帰りにコンビニで弁当とビールを買う。部屋に戻ったら、誰にも邪魔されず、自分の好きなものを眺める。それだけで、わりと幸せだった。
問題があるとすれば、俺の好きなものが、世間一般では「しょうもないもの」に分類されることくらいだ。
俺は、ガラクタが好きだ。
いや、こう言うと少し語弊がある。何でもいいわけじゃない。汚ければ価値を感じるわけでもない。高価な骨董品や、希少なアンティークを集めているわけでもない。
男なら誰だってあっただろう?小学生の頃、きれいな石を見つけて家に持って帰ったりしたことが。何に使われるのかわからないけど、なんか格好いいネジ。ファンタジー映画に出てくるようなシンプルな形の古い鍵。何かの機械に使われていたであろう変わった形の金属片。
一般的な大人なら見向きもしないようなものが、妙に良く見える瞬間が。役に立つかどうかじゃない。値段がつくかどうかでもない。
ただ、なんかいい。
その「なんかいい」を拾い集めるのが、俺の趣味だった。もちろん、人にはあまり言わない。会社で「趣味は何ですか」と聞かれた時は、だいたい「散歩です」と答える。嘘ではない。散歩中に変なものを拾うだけだ。
その朝も、いつも通りだった。スマホのアラームが鳴る。目を閉じたまま手を伸ばし、画面も見ずに止める。
「……あと五分」
そう呟いた直後に、俺は自分で自分を否定した。五分寝たところで何も変わらない。むしろ支度が五分圧迫されるだけだ。
「……起きるか」
体を起こし、洗面所へ向かう。鏡に映る自分は、いつも通りだった。寝癖を直し、髭を剃り、ワイシャツに袖を通す。 表情も整える。眠そうすぎず。機嫌が悪そうすぎず。楽しそうすぎず。会社に持っていく顔としては、これくらいがちょうどいい。
俺は効率的な人間に見られている。たぶん、間違ってはいない。仕事に関しては、無駄を減らす方が楽だ。余計な会話も、余計な衝突も、余計な手戻りも、できるだけ避けたい。
面倒ごとを避けるために先回りしていたら、いつの間にか「九楼さんは仕事ができる」と言われるようになった。
違う。俺はただ、面倒が嫌いなだけだ。
会社に着くと、すぐに後輩が声をかけてきた。
「九楼さん、この資料なんですけど、午後までに確認お願いできますか?」
「今見ます」
「え、今ですか?」
「午後に回すと確認待ちが増えるので」
資料を受け取り、必要な箇所に目を通す。誤字。数字のズレ。先方に確認すべき曖昧な表現。そういうものを、淡々と潰していく。
「ここ、先方の前回資料と数字が違います。確認した方がいいです」
「あ、本当だ。助かります」
「あと、この表現だと責任範囲が曖昧なので、こっちに変えた方がいいです」
「九楼さん、ほんと早いですね」
「後で揉める方が面倒なので」
後輩は苦笑いして、資料を受け取った。俺は席に戻り、パソコンの画面を見る。午前中は資料確認。昼はコンビニのおにぎり。午後は会議。会議では、話が横道に逸れそうになったところで口を挟んだ。
「すみません。今日決める必要があるのは、納期、担当範囲、先方確認の期限、この三つです」
場が少し静かになる。
「そこだけ決めれば、細かい調整はメールで済みます」「そうですね。じゃあまず納期から」
会議は予定より十五分早く終わった。誰かが「九楼さんがいると話が早いですね」と言った。
「いえ」
短く返す。便利な人間。効率的な人間。無駄がない人間。会社での俺は、たぶんそう見えている。
でも、本当は違う。
俺は無駄が好きだ。無駄な時間こそ必要で、無駄な物にこそ愛着が湧き、無駄なこだわりを持って生きている。ただ、それを表に出すと面倒だから隠しているだけだ。
仕事を終えた俺は、いつものようにコンビニへ寄った。 唐揚げ弁当。枝豆。缶ビール。明日の朝用のパン。それから、レジ横の安売りコーナーに置かれていた小さな菓子をひとつ。
別に欲しかったわけではない。パッケージの謎のキャラクターが、妙に間抜けで良かった。
(これは買うしかない!! この絶妙にゆるい顔!! 商品企画担当者は何を思ってんだ!? いや、むしろありがとう!!)
顔には出さず、買い物かごに入れる。会社帰りの俺は、クールな顔を崩さないが、内心では朝に拾ったもののことを考えてワクワクしていた。
そう。通勤途中に見つけた石だ。
それは、住宅街の道端に落ちていた。最初はガラス片かと思った。けれど近づくと、石だった。手のひらに収まるくらいの大きさ。表面には土のような汚れ。その奥から、淡い緑の光が滲んでいた。
「……珍しいな」
俺はしゃがみ込んで、それを拾った。冷たい。でも、不思議と手に馴染む。
(うひょー!!)
内心では、完全に声が出ていた。
(なにこれ!? めちゃくちゃいいじゃないか!!緑に光る石!?自然物!?人工物!?いやどっちでもいい!!とにかく良い!!かなり良い!!)
もちろん顔には出さない。
「……ただの石か」
そう呟いて、ポケットにしまった。
(ただの石なわけあるか!!今日の晩酌の主役、決定!!いや、もうこれは棚のセンター候補だろ!!)
その時の俺は、その石が本当にただの石ではないなんて、知るはずもなかった。




