第二十四話
アルエットがオルガに呼び出されて受け取ったのは、ミラベルの訃報を報せる手紙だった。
筆跡はハインツのもの。セシリアの代筆を行うのはいつも彼だった。セシリアの言葉を一字一句違えることなく書き記すのは彼しかいない。そう信頼してのことだ。
セシリアはよく手紙をくれた。アルエットを気遣う言葉。近況を伝え、自分は平気だから心配いらないと気丈に振る舞う言葉。そして最後はいつも、早くまた一緒に暮らしたいと願う言葉で締めくくられていた。
ミラベルの体調が思わしくないことはセシリアが報せてくれる近況で知っていた。もともと健康的とは言いがたく、美しいけれど青白い顔をした人だった。それがあの一件以来、床に伏しがちになり、気力も体力もみるみる衰えていったという。
離れたことは間違いだったのか。アルエットは自分の選択を後悔したが、セシリアはそんなアルエットの気持ちを先読みするように、母は幼い頃から走るのもままならないほど体が弱かったこと、もし母が衰弱するきっかけがあったのなら、それは自分を産んだからだと記していた。
アルエットが後悔すれば、同じ分だけセシリアは自分を責める。だからアルエットは己の選択に胸を張ることにした。あの優しい姉に、産まれてこなければ良かったなんて言わせたくはないから。
迎えの手配ができ次第、使いを出すと手紙には追記があり、使者は亡き父の弟ロドルフに仕える者たちとのことだった。
ロドルフはアルエットがミラベルの実子ではないと知る数少ない人間だ。加えて、彼の元守護者であり今も侍従として仕えている騎士はハインツの父親でもある。アルエットが本当の神子だとは伝えていなかったが、きっと何か察してはいたはずだ。手紙のやり取りをする際にも、事情を勘繰ることなく彼の家の者を貸してくれた。迎えの使者には、侍女ニーナの親族であるオルガから子供を託されたと伝えてあるそうだ。
いつか戻らなければいけない日が来ることはわかっていた。ただし、その時は聖王としてではなく、姉を支える妹として。聖王にふさわしいのはセシリアなのだから。
ミラベルのために一晩泣いて、その後はセシリアのことだけを考えるようにした。けれど――
「あのね、レンに……君にだけはどうしても話しておきたいことがあるんだ。だから、今晩、聖堂に来てほしい。……その……ひとり、で」
オルガのもとを離れる間際、なぜか口を利いてくれなくなったレンに、扉越しにそう伝えた時は心臓が弾け飛びそうだった。
オルガはもちろん、カーラとハンナ、エリーとマリーも本当の家族のようで大切な人たちだ。けれどレンは特別。遠慮の欠片もない彼と馬鹿な遊びをしていると、王女だとか聖王だとか神子だとか、そんなものを一時、忘れていられた。ただの子供でいられた。聖王としての役割を引き受けてくれているセシリアに申し訳ないと思いながらも、彼と一緒にいるのは、ただただ楽しかった。
だから彼にだけは本当のことを伝えたい。隠し事を、秘めた想いを秘めたままで、別れたくはなかった。
夜になって、真新しい服に袖を通した。成長に合わせてオルガが毎年用意してくれていた女物の服。いつか帰る時に必要だろう、と。
鏡に姿を映してみて、笑いそうになった。違和感しかない。三年間ずっと男の子の服を着て、男の子として暮らしてきた。染料で染めて本来より暗い色をした髪は短い。上品で可愛らしい格好なんて、ちっとも似合っていなかった。
「レンも笑うかな……」
いや、笑われるならまだ良い。気持ち悪いと拒絶されるかもしれない。想像したら急に怖くなってきた。もう行かなきゃいけないのに。
鏡の前で溜め息をひとつ。それと同時に、部屋の扉が控え目に叩かれた。
待ってと言う暇もなかった。鍵を掛けていなかった扉が、キィ、と小さく音を鳴らして開く。
その隙間から顔を覗かせたのは、カーラとハンナだった。
「あ、あの、あのね。これにはちょっと訳があって……」
女物の服を着ている姿を隠すように、アルエットは自分で自分を抱きしめた。そんなアルエットに、カーラは自身の唇に人差し指を翳し、シッ、と声を潜める。
「大丈夫だよ、わかってるから。わたしも、ハンナもね」
カーラの言葉にハンナが頷く。するりと部屋に入ってきた二人は、それぞれ花を生けた花瓶と小さな箱を抱えていた。
「わかってた、って……いつから?」
「うーん……割とすぐかな?」
「いや、普通気づくでしょ。いくらなんでも。レンがおかしいのよ」
アルエットの問いに苦笑いのハンナと、呆れかえるカーラ。ほっとするやら拍子抜けするやらで、全身から力が抜けた。
「そっか。そうだよね……気づくよね、普通は……」
呟くように言うと、三人同時に吹き出した。声を立てないようにくすくすと。オルガとエリーとマリーは眠っているはずだから。
ひとしきり笑って、アルエットは二人の友に微笑みを向けた。
「ずっと気を遣わせてたんだね。ごめんね、ありがとう」
「いいのよ。何か事情があるんでしょ? それより、今はこっち」
カーラはアルエットの腕を引いて椅子に座らせた。鏡の前には小箱と花瓶が置かれる。
「ハンナ、どう?」
「そうね、短いけどたぶんいけると思う」
アルエットの髪を弄りながらハンナが何やら考え込んでいる。一方カーラは小箱を開けて中に入っている道具を取り出した。平べったい焼き物の容器と刷毛、それから絵筆のようなもの。
「母さんの部屋から拝借してきたの。――大丈夫よ、自分の顔で練習したから。白塗りになんかしないわ」
そう言うカーラの顔は、たしかに普段より肌が明るく見えて大人びているようだった。
オルガはあまり化粧はしないが、手紙を運んでくる使者を迎える時などは、さっと白粉を頬の叩いて身だしなみを整えていた。その道具を持ち出してきたようだ。
カーラに化粧を施され、ハンナには髪を整えられる。花瓶の花を一輪取っては、器用にも短い髪へ編み込んでいく。
「レンが待ってると思うんだけど……」
「待たせとけばいいのよ。今の今まで気づかなかった罰ってことで。それに、最近ファルコのことずっと無視してたでしょ。子供みたいに拗ねちゃってさ。――よし、できた」
唇に薄く紅を引いて、カーラは満足げに頷くと、アルエットに立ち上がって鏡を見るよう促した。
そこには、少女がいた。髪に花を差して、華やいだ顔。窓から差し込む月明かりの中で、何かの儀式に臨むように上気した頬は仄かな桃色に染まっていた。
「ちょっと盛りすぎたかな……?」
「いいじゃない、花嫁さんみたいで。さすがハンナだよね、すごく綺麗」
仕上がりに少し不安そうなハンナだったが、カーラに誉められて安堵する。絵が得意な彼女は手先が器用で、短かったアルエットの髪に花を飾って品良く結ってくれた。
「二人とも、ありがとう。これならきっと、レンも笑わないね」
「笑ったりなんかしたら、わたしが蹴っ飛ばしてやるわ」
ふんっ、と鼻息荒く胸を張るカーラ。その隣でハンナも控え目に頷く。
そんな二人をアルエットは正面から抱きしめた。
「一緒に暮らせて楽しかったよ。どうか元気でいてね」
「やだ、そんなこと言われたらまた泣いちゃうじゃない――っていうかファルコが泣きそうなんだけど!? 泣かないでせっかく綺麗に塗れたのに!」
「あはは、そうだね。ごめん。でも、これだけは言わせて。僕の――わたしの本当の名前はアルエット。次に会った時はそう呼んで」
「……うん、わかった」
答えたカーラと、無言のままで涙ぐんでいるハンナが力強く抱き返してくる。けれどそれはほんの束の間で、二人は身を離すと扉を開いてアルエットを促した。
「さぁ、行って。思いっきり驚かせてやるのよ」
カーラの言葉に後押しされ、いざ出陣とばかりに踏み出す。長いスカートの裾をひらめかせ、一度だけ振り返ると、ぐっと拳を突き出した二人がいた。
同じように拳で応え、アルエットは静かに駆け出す。
もう怖くなんかなかった。この姿を見たレンがぽかんと口を開けて出迎えてくれるのを思い浮かべたら、可笑しくて可笑しくてたまらなかった。




