第十九話
先に動いたのは相手だった。茂みの中から人影が飛び出してきた。目元以外すべて布で覆って顔はわからない。
物音も立てず無駄のない動き。手にしているのは幅広の剣。刺突や斬撃に加え打撃力もある武器だ。
小刀では受け止めきれない。レンはアルエットの背中を庇うように、左手の拳を突き出し攻撃を防いだ。鋭い金属音と同時に火花が散る。
鉄甲鉤だ。鋼鉄の篭手と鉤爪を一体化させたもの。外套と袖の下に隠していたそれは武器と同時に防具にもなる。
その攻撃法はあたかも獣であるかのように、打撃とともに肉を切り裂き抉る。レンは拳を翻して相手の顔面を狙ったが、大きく後ろに飛び退かれ再び茂みの中へ隠れてしまった。まるでレンがこの武器を扱うのだと知っていたような反応速度だった。
「レン、上!」
背後からアルエットの声。レンは視線を上げることなく右手の小刀を振るった。先ほどと同じ矢を斬った手応え。
樹上にいる。おそらく複数。飛び道具が相手では防戦が中心になる。
接近戦のみでは敵わないと自覚があるようだ。なるほどよく教育されている。
苦い思いを噛み潰すようにレンは口角を上げた。
相手の居所さえ掴めれば容易い。レンは彼らより速く、しなやかに動ける。だから単独での仕事を任されている。猫が小鳥を捕るように、ひとりずつ追い詰めて狩れるだろう。
ただ、今は事情が違う。守らなければいけないものがある。今度こそ失うわけにはいかない。
背後にいるその存在を、気配を確かめる。アルエットは優れた武人だ。怯える様子もなく落ち着いている。
だが、どんなに強くとも彼女は訓練での戦い方しか知らないはずだ。本物の殺し合いなどしたことはないだろう。その経験の有無は刃を交える一瞬に歴然と現れ、命取りとなる。
彼女を守りながらどう戦うか。あるいはこの場を逃れるか。油断なく周囲に殺気を飛ばしながら最善策を思案し――背後の気配が動いた。それと同時に斬撃を受け止める金属音。
先ほどとは違う覆面の男がアルエットと切り結んでいた。互いに長剣での攻防だが、細身のアルエットの剣ではやや分が悪い。剣をへし折られれば終わりだ。
だというのに彼女は自ら前へ踏み込む。微笑みさえ浮かべて。
「わたしを殺したいの? でも無理だから諦めて」
まるで世間話でもするような口ぶりで、繰り出したのは相手の眉間を狙った刺突。覆面の男は咄嗟に顔を庇うように左手を突き出したが、アルエットの剣はその手を躊躇うことなく貫いた。
膂力が足りず相手の頭に切っ先が届くことはなかったが、男は低く呻いて強引に自身の手を刃から引き抜くと森の中へ姿を消した。負傷した足手まといは素早く退く。これも鉄則だ。
緋色の髪を風に靡かせ立つアルエットの後ろ姿。血振りの所作にも動揺した様子はない。
振り返ったアルエットと目が合い、金色の瞳にレンの姿が映り込む。
二人、同じ顔をしていた。人を斬ることへの迷いを捨てた者の顔だった。
見つめ合ったのは一瞬。アルエットの視線がわずかに下へ向き、ぱちりと瞬きをする。
「レン、それ……」
彼女が指差したのはレンがもつ小刀――ではなく、袖に隠れている手首だった。袖口から覗き見える赤い腕輪が仄かに光っている。
もうすっかりただの飾りと化していた聖剣。何かを訴えるように、光が脈動していた。
「な、なんだ?」
レンの意識が腕輪に向いた、その一瞬。背筋に怖気が走った。感じたこともない強い気配と青白い光が木々の間を縫って飛来し、レンの足元へ突き刺さる。
レンは咄嗟にアルエットを抱きかかえてその場から跳んだ。正体不明の光は、先ほどまで二人が立っていた一帯に広がる。
波紋のようなそれが氷だと気づいたのは着地してからだった。広がり続ける氷にレンの足が捕らわれる。両の膝まで凍り付いてしまった。
動けない。その隙が見逃されるはずもなかった。全方位から向けられる殺気。
空を切る射出音。複数同時だ、捌ききれない。
レンは覆い被さるようにアルエットを抱きかかえた。せめて盾に。そう覚悟を決めたのと、閃光が視界を奪ったはほぼ同時だった。
顔を上げたレンの目に映ったのは、翼だった。アルエットを中心に、光の翼が二人を包み込んでいた。
この光は見たことがある。あの時、すべてを失ったと思ったあの日に。
ほんの一時、過去の記憶を見ていたレンの耳に、いくつもの悲鳴が聞こえた。樹上から何かが落ちる音もした。
レンもアルエットも無傷である。先ほどの閃光が射かけられた矢をすべて弾き返し、射手を襲ったのだと理解するのに少し時間を要した。
「言ったでしょう? わたしを殺すのは無理だって」
腕の中でアルエットがつぶやく。その声は自嘲めいて聞こえた。彼女を守るように現れた翼は光の粒となって消え、辺りには静寂が広がった。
何かが動く気配はある。負傷した者たちが撤退を始めている。正しい判断だ。暗殺者であるならば。
だが、まだこちらに向いている視線をレンは感じ取っていた。先ほどの攻撃を行った何者かだろう。超常的なこの力は導士か、あるいは――
「やっぱりお守りを持たせていて正解でしたね」
それは突然、頭上から降ってきた。いまいちやる気を感じない、女の声。
花弁めいた軽やかさで空から舞い降りたのは、ゆるく波打つ栗色の髪を靡かせた少女だった。




