第十八話
大きな岩陰に飛び込んでしゃがみ、額の汗を拭う。隣ではアルエットも同様に、上がった息を整えていた。走ったために暑いのか、首を覆う襟に指を引っかけて風を送っている。雨はもう止んでいたが、空気がまだ湿っぽい。
細い首だ。その下にあるのは、ささやかながらも女性らしい膨らみ。とても偽物には見えないが――
「レン?」
名前を呼ばれて顔を上げると、金色の瞳とばっちり目が合った。まじまじと眺めてしまったことに気づいて目を逸らす。
「あの、殿下。ひとつ、訊いても?」
「どうぞ」
促され、まだ信じられない気持ちを抱えたまま、不敬にも彼女に指先を向けて先ほどと同じ問いを投げる。
「……ファルコ、なのか?」
「そうだよ」
憎らしいほどしれっと答えてくれる。レンはとうとう頭を抱えた。
「いや、待て。じゃない、待ってください? えぇ? んん?」
もう自分でも何を言っているのかわからない。標的だった王女が死んだはずの親友であり弟だった。
「どういうことだよ……」
漏らしたのは独り言だ。さっきまで握っていた手は温かかった。幽霊ではない。だが問題はそれどころではない。
混乱するレンの横でアルエットは膝を抱え、膝頭に額をつけて肩を震わせて笑いを堪えていた。
「笑うな……ください」
混乱したままのレンが言うと、んぐぅ、と奇妙な声を漏らしてアルエットは顔を上げ、ひぃひぃ苦しそうに笑い出した。
「ごめん、だってレンの言葉が可笑しいから。――ねぇ、お願い。普通に話して? そんなんじゃまともに会話できないよ。それに君の敬語なんて気持ち悪い。ずっと我慢してたんだよ、わたしは」
「気持ち悪いって……。でも、なんて呼べば?」
苛つき、眉間に皺を寄せて尋ねると、アルエットは頬に指を当てて少し思案し、口角を上げて悪戯っぽく笑った。
「僕はファルコでもいいよ?」
その声。その表情。間違いなく彼だった。いや彼女か。いやいやいや。
「……どっちだ!?」
また独り言だ。しかしアルエットは察したように、真剣な眼差しで自身の胸元に手を添える。
「触ってみる?」
「だからっ! 恥じらいっ!」
小声で怒鳴る。顔が熱い。からかわれているのかと思いきや、アルエットも頬を赤くしていた。
「こんなことレンにしかしないよ。だけど、こうでもしないと信じてくれないでしょ? わたしは姉様と違って小さいし……。あの時も全然気づかなかったもんね」
「あの時?」
「おんぶしてくれたよね? 木から落ちて怪我した時だよ」
言われ、あぁ、と思い出す。たしかにそんなことがあった。丁度こんな森の中で、雨が降ってきて。記憶が鮮やかに蘇る。
そして、それを知っているということは――
「本当に、ファルコなんだな……?」
「……うん」
ようやく受け入れたレンに、アルエットは頷く。その瞳が潤んで、また涙が零れそうになる寸前、俯いた彼女は飛び込むようにしてレンにしがみついてきた。あまりの勢いにレンは慌てて抱きとめる。
「……あの日、わたしが呼び出したせいで君は死んだんだって思ってた。信じたくなかったけど……。でも、生きてた。生きて戻って来てくれた」
レンの胸に顔をうずめたままアルエットが言う。その声は震えていた。
「すぐにわかったよ、レンだって。なのに君は別の名を名乗って、武器を隠し持って……そういうことでしょう? わたしを恨んでるんでしょう?」
「違う、俺は……!」
言いかけた言葉は続かなかった。二人は弾かれるように身を離して互いに武器を取り、背中合わせに立ち上がる。
周囲の茂みにわずかな気配。見つかってしまったようだ。
「話は後だ。訊きたいことが他にも山ほどある。死ぬなよ」
「わかった。任せて」
背後から聞こえた頼もしい声。そうだ。聞けば聞くほどファルコの声だ。どうして忘れていたのだろう。
姿の見えない相手を探るように、眼差しに力を込める。
訊きたいことがあるのは、こちらに対してもだ。




