第二十話
レンとアルエットに背を向けて降り立った少女は身の丈ほどある錫杖で凍てついた地面をこつんと叩いた。すると、とたんに氷が粉々に砕け散る。
「アルエット様、賊はまだ近くにいますか?」
「いや、もう逃げたみたいだよ」
「念のためちょっと見てきますね」
言うなり少女は錫杖にひょいと腰掛け、舞い上がる木の葉のように軽やかに上空へ駆け上がった。そしてそのまま数度旋回し、再び二人の前に戻ってくる。
「ひとまずは安全みたいです。――ところで、いつまでそうしてるんです?」
緑色の目を冷ややかに細め、少女はじとりとレンに視線を向けた。
言われて、はっとする。ずっとアルエットを抱えたままだった。突然のことに呆気にとられ、氷から足が解放されたことにも気づかなかった。
慌ててアルエットを地面に降ろす。子供の頃に負ぶって歩いた時は彼女のほうが背が高かったけれど、今はレンのほうが頭ひとつぶん大きい。その華奢な体躯の軽さと柔らかさが手に残っていて気恥ずかしかったし、なぜかアルエットも照れくさそうに視線をそらしていた。
そんな二人を横目で見つつ、気怠そうに溜め息を零しながら少女は錫杖をくるくると回した。回転するごとに錫杖は小さく、短くなっていき、最後は絵筆ほどの短さになる。そして栗色の髪を手早くまとめ、団子状にして簪のように差した。
デジレ・クララック。アルエットの侍女。最初は誰なのかわからなかったが、この愛想の悪さ、間違いようもないくらいデジレだ。王女付きとは思えない性格とやる気のなさも侍女としてどうかと思うが、普通の侍女は空を飛んだり一面の氷を一瞬で砕いたりなんてできない。
「導士だったのか……」
「違いますよ」
レンの呟きをデジレが否定し、続けた。
「天才導士です」
何言ってんだこいつ。
しかも、しれっと無表情で。冗談なのか本気なのか判断がつかない。
とはいえ、こちらの様子を窺っていた者の気配は確かに消えていた。デジレの力量を見極め、瞬時に撤退を選んだということだ。
アルエットが彼女以外の護衛をつけていなかったのも納得がいく。慢心でもなんでもない。単純に、デジレだけで充分だったのだ。
「でも、どうしてここがわかったの?」
「それです」
アルエットの問いにデジレはレンを指差す。それとは何だと言いたくなったが、デジレの指先がレンの顔のやや斜め下、肩の辺りに向いていることに気づいて首を傾げるように自身の肩を見て――
「うぇっ!?」
そこにはカエル……ではなく、デジレ曰く猫がいた。木で出来ているはずなのに動いているし、けろけろ鳴いてる。
「それは対になってまして、持ち主の脈拍などから危険を察知すると報せてくれるんです。ちょうど試作品が出来たので実験したくて」
言いながらデジレが衣嚢からもう一匹のカエル……猫を取り出す。こちらもけろけろ鳴いている。
「いや、鳴き声……」
「何か?」
言いたいことは他にもいろいろあったが全部丸ごと飲み込む。
「ちなみにいざとなったら自爆します」
「はぁ!?」
「嘘です」
またしれっと無表情でこいつ。
さすがに腹が立ったのでレンは肩にへばりついているカエルを鷲掴みにすると振りかぶってデジレの足元にぶん投げた。木で出来ている作り物だから潰れるようなことはなく、元気にけろけろ鳴いている。
「ひどい。暴発したらどうするんですか」
などと言いながらカエルを拾い上げるデジレだったが、やはり無表情なのでもう何が本当なんだかわからない。
脱力し、大きく溜め息をつく。すると横から袖をくいくいと引かれた。アルエットだ。なぜかちょっと不機嫌そうな顔をしている。
「レン、いつの間にそんな面白そうなもの貰ってたの?」
「面白い? 馬鹿言うな、あんな変なもん。しかも実験とか言ってたぞ、こいつ」
つい以前のような調子で返してしまった。するとデジレが珍しく怪訝そうな顔をする。眉をぴくりと動かした程度だったが。
「レン? 誰です?」
首を傾げるデジレを前に、二人で顔を見交わした。
アルエットを殺す目的で名を偽って近づいた。それはもう隠しておけない。相応の処分は受けるつもりだ。レンは覚悟を示すためにアルエットに頷いて見せた。しかし彼女は首を横に振る。
「大丈夫。デジレは、ほら、こういう性格だから。言いふらしたりしないし、律儀に報告もしないし」
「なんかわかんないですけど、誉められてはないですね?」
不満そうなデジレに向き直るとアルエットは両手を合わせて頭を下げた。
「ごめんね、いろいろ黙ってて。実は、レンは昔、一緒に住んでて……あ、レンってマルセルの本当の名前で、事情があってそう名乗ってたんだけど……」
「はぁ。まぁ、なんでもいいですけど。あんまり興味ないんで」
ばっさりである。素っ気ないにもほどがある。仮にも仕えている王女相手なのに。
しかしアルエットは慣れた様子で、ほらね、と言いたげに肩をすくめた。
「ねぇ、レン。お互いにまだ何も話せてないよね。わたしも言いたいこと、話したいことたくさんあるんだ。だから、これから一緒に来てほしいところがあるの。そこで全部話すから」
「アル……いや、ファル……」
懇願するようにレンの手を握り、迫ってくるアルエットにたじろいでしまう。訊きたいことは山ほどあるが、デジレがいる手前、彼女が王女であることを意識すると、どう接するのが正解なのかまだ答えが見つからない。名前を呼びかけて今さら迷う。
「ねぇ、呼んでみて」
「ア、アルエット……様?」
「えー?」
不満そうに唇を尖らせる彼女に、ついに意を決した。
「……アルエット」
とたんに嬉しそうに、えへへと笑うアルエット。その笑顔があまりに眩しいものだから、目が眩みそうになって視線をそらす。するとデジレと目が合って。
「わたし、帰っていいですか?」
冷ややかな一言に、余計居たたまれなくなった。




