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Griffe et Aile ~死神の爪と恩寵の翼~  作者: 淡路帆希
幸福な過去
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第十三話

 その男についてはヘラルドという名前以外、何も知らない。

 出会った当時は二十歳前後。それも見た目でレンが判断しただけだ。

 彼は気さくで優しかった。暗殺者だと言っているのは悪い冗談なんじゃないかと思えるほどに。

 レンが最初につれて来られたのは山の中の小さな集落だった。幾人かの若者と、レンと同年代の子供が十数人。家は仮住まいのような掘っ立て小屋で、定期的に住処を解体しては各地を転々とする。身寄りの無い者同士が身を寄せ合って暮らしているような流転の集団に見えた。

 同じ年頃の子供たちがいたことに、最初は安堵した。しかしすぐ、ここはあの教会のような優しく穏やかな場所ではないと悟った。子供たちは誰一人としてにこりとも笑わず、無駄口を叩かず、指導役と思しき若者たちに従順に従っていたから。

 そんな若者たちの中で、ヘラルドは一番上の立場だった。あからさまに媚びへつらうようなことはなかったし、ヘラルド自身も決して偉ぶったりしなかったが、皆が一歩引いて応対しているのはすぐにわかった。

「この世界は実力がすべてだからな。お前もいずれこうなるさ。俺はお前に期待してんだ。それに、強くなりゃいつかお前の家族を殺した奴に復讐できるかもしれないぜ」

 そう言って彼はレンをことのほか可愛がってくれた。

 普通、新入りは先にいた子供たちから雑用を押しつけられる。しかしヘラルドは頻繁にレンを集落から連れ出し、狩りに誘った。

 狩りという言葉に最初は驚いたが、それは文字通りの狩猟だった。集落で食べるために森の中に入って動物を狩る。罠の仕掛け方、獲物の絞め方、すべて彼が教えてくれた。手際が良いと誉めてくれたし、他の子には内緒だと言って菓子をくれたりもする。暗殺者なんていうのはやっぱり嘘で、きっと猟師なんだろう。その頃は本気でそう思っていた。出会った当初に抱いた彼への恐怖心はすっかり消え失せ、本当の兄のように慕うようになっていた。

 そうやって新しい生活に慣れてきた頃、レンの後輩となる子供が新たに集落へ連れてこられた。

 レンより少し年下。赤っぽい髪をしていて、容姿はまったく違うのに、ファルコのことを思い出した。

「困ったことがあればなんでも言えよ。まぁ、俺も来たばっかで教えられることなんてそんなにないけど」

 先住の子供たちは優しくない。だから自分だけでも、その少年に寄り添ってやろうと思った。

 しかし彼は心を閉ざしているのか、返事もしなければ目も合わせてはくれなかった。他の子供たちから命じられた雑用を淡々とこなし、理不尽に小突かれても文句も言わない。与えられる食事もほとんど手を付けず、どんどん痩せ細っていった。

 きっと彼も何か辛い記憶を抱えてここへ来たのだ。だから放っておけず、拒まれてもレンはその少年のことを気に掛け続けた。

 けれど、彼は死んだ。

 朝方のことだった。その日もレンはヘラルドに連れられ、昨日のうちに仕掛けた罠を確認するため山へと入った。

 その罠に掛かっていたのは、鹿でも猪でもなく、あの少年だった。

「夜中のうちに逃げ出したんだな。脱走者は例外なく死罪だ。まぁ、これは放って置いてもそのうち死にそうだが」

 輪にした縄に足を引っかけると矢が飛び出す仕掛けだった。矢は少年の胸元を貫き、倒れ伏した彼が浅い息をするごとに口の端から血の泡が漏れていた。

「お前が仕掛けた罠だろう。こいつはお前の獲物――標的だ。お前がやれ」

 そう言ってヘラルドはレンの肩を叩いた。大丈夫お前なら出来るさ、なんて、いつも狩りの時にしてくれるみたいな励ましを添えて。

 レンは瞬きもできずに、倒れた少年をじっと見つめた。もう助からないのは直感的にわかった。彼はレンが仕掛けた罠で、矢で、こうなったのだ。躊躇えば躊躇ったぶんだけ長く苦しむことになる。でも――

「考えるな、殺せ」

 背後、頭のすぐ後ろから囁くように投げかけられた言葉。水に垂らした墨のようにレンの意識を染めていく。

 気がつくと、目の前には野兎が倒れていた。縄に足をとられ、胸に矢を受けた野兎。

 あぁ、そうだ。これは兎だ。獲物だ。――標的だ。

 いつもの狩りと何も変わらない。絞め方もわかる。ヘラルドが教えてくれたから。

 頭に墨の靄がかかる中、腰に提げた短刀を引き抜いた。


 それから程なく、ヘラルドはレンを仕事の現場へ同行させるようになった。

 相変わらず彼は優しくて、仕事の合間、レンがかつて暮らした教会の近くへ立ち寄ることがあれば墓参りして行くかと尋ねてくれた。

 けれど、レンは首を縦には振らなかった。

 あの野兎の血が染みこんだ手で、家族の墓前に花を供えるなんて、できなかった。

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