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Griffe et Aile ~死神の爪と恩寵の翼~  作者: 淡路帆希
幸福な過去
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第十二話

「おい、起きろ」

 知らない声がした。頬を軽く叩かれ、意識が戻る。

 ぼやけた視界に映ったのは、印象の薄い顔をした若い男だった。

「おぉ、よしよし。生きてるな」

 目を開けたレンに、男は笑みを向けた。その朗らかさに、ますます何が起きたのかわからなくなる。

「……誰?」

 声を出したら胸に痛みが走った。肋骨が折れているようだ。しかしその痛みのおかげで薄ぼんやりしていた意識がはっきりとしてくる。

 男の薄い顔の向こうに明け方の月が見えた。おかしい。だって自分は聖堂の中にいたはずだ。なのにどうして空が見える。

 ひとつ気づくとまた別のことにも気がつく。自分は今、瓦礫の中に横たわっていて、その瓦礫はどうやら聖堂であったものだということ。

 それに、この焦げ臭いにおい。嫌な考えが過ぎって、身をよじって起き上がる。全身が痛んだけれど構っていられない。

 瓦礫の中から這いずりだして立ち上がり、顔を上げ――その光景を見た。

 焼け落ちた母屋。二階建てだった家が今は辛うじて元の形がわかる程度に骨組みを残しているばかりだった。

「なんで……」

 それ以上の言葉が出なかった。

 母さん、カーラ、ハンナ、エリー、マリー、それから――ファルコ。

 その姿を探した。呆けたように視線だけをきょろきょろ動かして。けれど何も見えない。生きているものの動く気配がない。

 そんなレンの肩を背後から叩く者があった。あの男だ。

「大人がひとり、子供が五人。合ってるか?」

 その言葉の意味はすぐにわかった。レンの家族の人数だ。

 振り返って男の顔を見る。希望を見出した眼差しで。皆どこか安全な場所に避難できていて、この人が助けてくれたのだと思った。

 しかし男は小さく首を横に振って、その希望を打ち砕く。

「全員黒焦げだ。男か女かもわからんくらいな。お前ひとり生き残っただけでも奇跡みたいなもんさ」

 男が言い終わる前に、レンは膝を折ってその場にしゃがみ込んだ。

 最後に全員揃って顔を合わせた食卓を思い出す。明日にファルコが家を出るからと、少しだけ豪華だった食事。それを目の前にしてもめそめそ泣くエリーとマリーを、自分たちも涙目になりながら慰めていたカーラとハンナ。少し寂しげながらも微笑みを湛えて見守っていたオルガ。

 そんな中でも普段通りだったファルコ。大丈夫また会えるよと、何度も言っていた。

 何度も言っていたのに。

 視界が歪んで涙が零れた。噛みしめた唇が裂けて血の味が口の中に広がる。

 どうしてこんなことになったんだ。どうして。

「暗殺だよ」

 我知らず声に出していたのか、隣に立ったままの男が応えた。

「この教会にいた子供たちの中に、高貴な産まれの子がいてな。複雑な家庭の事情ってやつでここに預けられていたみたいだが、状況が変わって相続争いに担ぎ上げられたもんだから、暗殺者を差し向けられたんだ」

 ファルコのことだとすぐに悟った。時々、王子様のような顔で笑う少年。貴族の産まれだったオルガを頼って古い知り合いから預けられたのだから、ファルコもまた貴い血筋の持ち主であってもおかしくはないだろう。

 だが、しかし。

 先ほどから妙に訳知り顔で語るこの男はそもそも何だ。会ったこともない。近隣の村や町で見かけた記憶もない。それがどうして、この状況で、さも当然のようにここに立っているのか。

「俺はその暗殺者に対抗するために雇われた者だ。要するに俺も暗殺者だよ。毒をもってなんとやらだな」

 レンの感情の機微を目敏く察したらしい男が、話しながら軽く足を動かした。足元に転がっていた丸いものを鞠か何かのように、レンの眼前へと蹴り出す。

 それと、目が合った。虚ろに虚空を見つめる目。頬が裂け、舌がだらりと垂れている。

 若い男の、首だった。

「……!?」

 レンは仰け反って後退った。なんだこれは。誰だこれは。混乱と恐怖で声も出ない。

「俺の標的はこいつだ。一足遅くて、先にお前の家族を殺されちまったがな」

 そう言って男は転がる首をがつんと蹴り、レンの視界から遠ざけた。

「なぁ、坊主。お前は俺と一緒に来い。どうせ行く当てもないんだろう?」

 問われても、返事なんかできなかった。思考が止まっている。何も考えられない。

 そんなレンに、男は苦笑を浮かべた。暗殺者というには凄みに欠ける、特徴のない顔で。

「ゆっくり考えればいい。さぁ、この水を飲め。痛み止めが入ってるんだ。楽になるぞ」

 男が差し出したのは腰に提げていた水筒だ。

 正直、嫌だった。得体の知れない男が持っていた水なんて。でも、手を出した。喉が渇いていたよりも、拒絶することで己の身がどうなるのか、それが怖かった。

 一口飲んで少し噎せる。その後は一気に流し込んだ。痛み止めの薬とやらはすぐに効いてきて、視界が揺れた。

 揺れていたのは視界だけでなく、レンの体もだった。座っていることすらままならなくなり、仰向けに倒れる。

「おっと」

 頭をぶつける直前、男が支えてくれた。まるで長年共に暮らした兄のような微笑みを、意識を手放す直前に見た。

「よしよし」

 昏倒したレンの頭を男が優しく撫でる。

 それがヘラルドとの出会いだった。

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