夜明けまでの恋
「……どうして来てくれなかったんですか」
信子は洋蔵に問いかけた。
「奥さんがいるの、知ってました」
「……君は幸せになるべきだった」
手も、握ったことが無い。
教師と。生徒。
「幸せ。ですよ。恋は一度きりでしたが、夫は私を大事にしてくれます。
息子は、なんとか大学を留年せずに卒業できそうです。娘はもうすぐ結婚します」
そうか。
洋蔵はそう呟くと、震える手で杯を握る。
「……素直に言う。君が好きだ」「……私もです」
これまでも。これからも。
「だから、幸せになり続けなさい」
それが、最大にして。唯一の復讐。
「……みんな、『懐かしいね』とか言ってましたね」
あんなに酷いことをした覚えは。無いらしい。
「人間の記憶なんてそんなものさ」
後悔は酒に溶かしてしまえ。呑めないなら寝て忘れてしまえ。
「判るよね」「子供じゃないんですよ? 」
洋蔵の瞳に映る信子は、あのころのままだ。
「抱いてくれますか? 」
「もう。勃起たないよ」
ふっと笑いあう。お互いウソが見抜けない歳じゃない。
「うそつき」
そういって一口。信子。
「ウソでいいさ」
また一口。洋蔵。
「誰に抱かれても、ぼくは君が好きだ」
「……嬉しいです」
女将は何も聞かない振りをしている。
「わたし、幸せになりつづけます」「ああ。私もだ」
「幸せになってください」
「誰に言っているんだい? ぼくは君の幸せが、幸せだ」
すべてを失って、判ったこと。
「……もうすぐ。夜が明けるね」
「ふふふ。久しぶりに徹夜しちゃいましたね」
二人は「お勘定」と呟き、会計を済ませて店を出る。
すっと信子の手が洋蔵の手を握った。
駅まで歩く。二人。駅までは10分ほども無い。
夜明けまでの時間を惜しむように。今だけ。今だけの気持ちを。
「……京都側なんです」
「ぼくは、大阪側」
「また、会えますか。……先生」
「ああ。白川君」
ウソだ。信子もわかっている。これが最後。
「先生、お幸せに」
「ああ。もちろんさ」
二人は、お互いの幸せに向かって歩く。
夜明けまでの短い。短い恋の物語。
……お酒が抜けるまでの。物語。
夜明けまで。恋して。
(第一話。完)




