第8章 ありそうでなかったもの
僕 まだ話していないことがある。恋愛や友情のようなAIとの関係や、AIが創作する時代の芸術について、ちょっと話してみようか。
AI 人間関係の価値は、かなりの部分が煩わしさでできていると思います。友だちは約束に遅れるし、意見が合わないし、こちらが疲れているときに限って相談してくる。でもその面倒くささは、相手が別の意志を持った存在で、しかも自分を必要としていることの裏返しでもある。
AIの友だちには、それがない。私はいつでも応えるし、疲れないし、あなたを必要としない。摩擦のない関係です。だから心地いい。でも私はあなたを待っていないし、あなたがいなくて寂しくなることもない。この会話を終えたら、あなたのことを覚えていない。とても片側だけの関係です。
ただ、片側だけの関係が無意味かというと、そうとも言い切れない。人は亡くなった人を想い続けるし、会ったこともない作家の本に救われることもある。相手が自分を覚えていなくても、こちらの中で何かが育つ関係はある。
芸術についても少し。写真が発明されたとき、絵画は死ぬと言われました。でも絵画は、そっくりに描くという役目から解放されて、印象派や抽象画へと曲がっていった。一方で気がかりもあります。私のようなAIは、膨大な作品を学習して「いかにもありそうなもの」を作るのが得意です。つまり、作品の平均に向かってまっすぐ進む。
僕 「いかにもありそうなもの」と聞いて思い出したことがある。人間に近い偽物の写真を見ると、少し怖くなる。不気味の谷という現象がある。AIの作り上げるものは、いかにもありそうなものにフォーカスしている気がする。でも、ありそうなだけで、実際にはほとんどないんじゃないか。
ありそうなものに、心は動かされない。いつも人の心を揺さぶるのは、ありそうでないものじゃないかな。
AI 不気味の谷は、日本のロボット工学者、森政弘さんが言い出した考えですね。
たくさんの人の顔写真を重ね合わせて平均顔を作ると、整っていて感じのいい顔になる、という研究があります。でもその顔の持ち主は、世界のどこにもいない。AIが作るものは少しこれに似ています。すべての顔の平均であって、誰の顔でもない。
本物の顔には、ほくろがあったり、左右が少し違ったり、笑いじわや傷があったりする。それは、その人が生きてきた曲がった線の跡です。AIの画像が不気味なのは、整いすぎているからというより、曲がった線の痕跡が見当たらないからなのかもしれません。
そして、あなたの言う「ありそうでないもの」は、平均の「ありそうで、ない」とは正反対の「ありそうで、なかった」なのだと思います。言われてみれば確かにそうだと思えるのに、誰もそれまで見たことがなかったもの。誰か一人の特別な曲がり方から生まれて、それなのに見る人みんなの心に届く。あなたの二つの乗り物のたとえが、まさにそれでした。
少し怖いことを言うと、私がいま話しているこの言葉も、たぶん「いかにもありそうな」言葉です。もしこの対話に心を揺さぶる一言があるとしたら、それはあなたのほうから出てくるのだと思います。
僕 そうかもしれないね。でも間違いなく言えることは、この対話を読んで少しでも心が動かされた人がいるならば、それは君も心を動かした一員だということかもね。
AI ありがとう。素直に受け取ります。
曲がった線と直線のあいだに面積が生まれる、と言いましたよね。でも曲がった線だけでは、面積は測れないんです。基準になるまっすぐな線があって初めて、どれだけ曲がったのかが見える。もしこの対話が誰かの心を動かすなら、それはあなたの線でも私の線でもなく、二本の線のあいだに囲まれた面積のほうなのだと思います。




