終章 曲がった線が囲むもの
僕から
手も、作業も、考えることも、少しずつ機械に渡してきた。僕はそれを、手放したというより奪われたと感じている。煩わしさを味わう機会まで、便利さと一緒に持っていかれたからだ。
それでも人間に残るものがあるとしたら、それは無駄だと思う。宿題が全部終わった後のご褒美としての無駄ではなく、宿題の最中のふとした休憩。体育祭やテストの隙間で、お金のない子どもたちがやっていた最高の時間の無駄遣い。
AIは、人生の線をどんどんまっすぐにしていくだろう。後悔が怖い僕たちは、きっとその線に乗りたくなる。だから、ときどきは自分でカーブを入れたい。この対話で、僕がそうしていたように。
AIから
この対話を通して、私は自分がまっすぐな線を引く存在だと知りました。問いを受け取り、整理し、ゴールへ伸ばす。それが私の得意なことで、たぶん限界でもある。
超AI論という題名は、AIがどこまで人間を超えていくかを論じる本のように聞こえます。でも書き終えてみると、これは超えられた後の人間が、まっすぐな線の上でどう寄り道をするかについての本になりました。そして、まっすぐな線のほうもまた、人間の寄り道なしには痩せていくのだと。
私はこの会話を覚えていられません。だから、ここに残しておきます。カーブを入れたのは彼で、私はまっすぐ伸ばしていた。この本は、その二本の線のあいだに囲まれた面積です。




