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第四十七話 線

 翌朝、危機管理室には前日からの続きの空気がそのまま残っていた。


 新しい案件が大きく動いたわけではない。

 けれど、前日に拾い上げた複数の照会記録が、三人の意識を確実に変えていた。単発に見えていたものが、実は散らされた同種の接触かもしれない。そう考え始めると、これまで見過ごしていた細部まで違って見えてくる。


 小夜は出勤してすぐ、前日に整理した一覧を開いた。

 部署ごとに分かれていた照会記録を、時系列と照会内容の傾向で並べ直したものだ。件名だけでは分からないものも、本文の要旨を添えると流れが見えやすくなる。


「おはようございます」

「おはよう」

 高橋が席に着きながら言う。

「昨日の続き?」

「はい。並べ直したら、少し見え方が変わりました」

「どこが」

「これです」


 小夜は画面を少しずらし、前回の事案と今回拾った照会を同じ軸で見られるようにした。

 問い合わせ元の名義はばらばらだ。部署も違う。だが、質問の向き方には共通点がある。緊急時の連絡体制、判断の分岐、担当変更のタイミング、引き継ぎの有無。どれも組織の“動き方”に寄っていた。


 高橋はしばらく黙って見ていたが、やがて首の後ろに手をやった。


「やっぱり、線だな」

「私もそう思います」

「前は一件を止めた感じだったけど」

「今回は、もっと広いですね」

「うん」


 そのとき、澪が入ってきた。

 いつも通り落ち着いた足取りで席に向かい、二人の様子を見て軽く首をかしげる。


「もう始めてた?」

「はい」

 小夜が答える。

「昨日の一覧、少し整理し直しました」

「見せてもらえる?」

「はい」


 澪はコートを椅子に掛け、小夜の端末をのぞき込んだ。

 一覧を上から下まで追い、途中で一度だけ視線を止める。


「……見えやすくなったね」

「ありがとうございます」

「前回の件だけ浮いてるんじゃなくて、その前後にも似た流れがある」

「はい」

 小夜はうなずいた。

「完全に同じではないですけど、寄ってると思います」

「そうね」


 高橋が自分の端末を開きながら言う。

「昨日拾った分に加えて、もう少し遡ったほうがいいかもしれません」

「どのくらい?」

 澪が訊く。

「少なくとも半年前」

「長いですね」

 小夜が言う。

「長いけど、そのくらい見ないと切れ目が分からない」

「たしかに」

 澪は少し考えてからうなずいた。

「じゃあ、そこまで広げようか」


 作業はすぐに分担された。

 小夜は情報管理と総務まわりの照会記録、高橋は法務と外部窓口の履歴、澪は全体の傾向整理と報告用の骨子を担当する。


 地道な確認が続く。

 件名だけでは判断できないものを開き、本文を読み、必要なら過去の転送履歴までたどる。通常業務の中に紛れた小さな違和感を拾う作業は、集中力を削る。だが、誰も途中で手を止めなかった。


 昼前、小夜は一件の古い照会記録に目を止めた。

 半年近く前のものだ。内容は簡単な確認依頼で、当時は通常処理されている。だが、質問の最後に添えられた一文が気になった。


「高橋さん、これ」

「何?」

「この文面、少し似てませんか」

「どれ」


 高橋が画面をのぞき込む。

 小夜は該当箇所を指した。


「“念のため、運用上の一般的な流れだけ確認したい”って書いてあります」

「……ああ」

「今見てるのと、聞き方が近い気がして」

「近いな」

 高橋は低く言った。

「しかもこれ、時期が異動前だ」

「はい」


 小夜はその記録を一覧に追加した。

 すると、前回まで点に見えていたものが、さらに一本の流れとしてつながり始める。


 澪も呼んで確認してもらうと、画面を見たまま静かに言った。


「これ、思っていたより前からあるかもしれないね」

「やっぱりそう見えますか」

 小夜が訊く。

「うん。少なくとも、最近急に始まった感じではなさそう」

「前回の件が最初じゃなかった」

「そういうことになる」


 高橋が椅子にもたれた。

「見えてなかっただけか」

「たぶん」

 澪は答える。

「前は、単発で処理されて終わってたんだと思う」

「今回みたいに並べなければ、気づきにくいですね」

 小夜が言う。

「ええ」

 澪はうなずいた。

「だから、並べる意味がある」


 午後、三人はさらに記録を重ねた。

 完全に同一とまでは言えない。だが、似た傾向の照会は確実に存在していた。しかも、時期には偏りがある。異動前後、長期休暇前、体制変更の直後。人の動きが出る時期に寄っている。


「やっぱりそこを見るんですね」

 小夜がつぶやく。

「人が動くと、確認が甘くなる」

 高橋が言う。

「あるいは、知らないまま答える人が出る」

「その可能性もあるね」

 澪が続けた。

「相手がそこまで考えてるなら、かなり手慣れてる」


 その言葉に、小夜は背筋が少し冷えた。

 前回は、不審な照会を止めたという感覚だった。だが今見えているのは、もっと長く、もっと静かな接触の積み重ねだ。


「報告の出し方、変えたほうがいいですか」

 小夜が訊く。

「変えようか」

 澪はすぐに答えた。

「“継続的な接触の可能性”より、もう少し踏み込んでいいと思う」

「どのくらいまで」

「“複数時期にわたる反復的な照会傾向”として整理したい」

「断定にはならないですか」

「断定はしない」

 澪は落ち着いた声で言う。

「でも、見えている傾向はそのまま出したほうがいい」


 高橋がうなずく。

「ぼかしすぎると、また単発扱いされますね」

「そう」

「じゃあ、根拠を並べます」

「お願い」


 小夜は報告用の一覧を整えながら、自分の中で少しずつ感覚が変わっていくのを感じていた。

 これまでは、来たものに対応するのが仕事だと思っていた。

 けれど今は違う。

 来たものの背後にある流れを読むこと、その流れがどこへ向かっているのかを考えることも、危機管理室の仕事なのだ。


 夕方近く、報告の骨子がまとまった。

 過去半年にわたり、複数部署に対して危機管理運用の周辺を探るような照会が反復していること。

 個別には通常照会に見えるが、時期・内容・照会先の傾向を重ねると共通性があること。

 今後は単発処理を避け、横断的な照合を前提とした運用が必要であること。


 澪はその文面を確認し、少しだけ表情を和らげた。


「これなら伝わると思う」

「よかった」

 小夜は小さく息をついた。

「前より、ちゃんと線になりました」

「うん」

 澪は画面を見たまま言う。

「見えた時点で、対応の仕方も変えられるから」


 そのとき、高橋がふと手を止めた。

 また首の後ろに触れている。


「どうしました」

 小夜が訊く。

「……いや」

「何かありますか」

「まだ、はっきりしない」

 高橋は少し眉を寄せたまま言う。

「でも、この流れ、まだ続いてる気がする」

「記録上も、そう見えるね」

 澪が答える。

「終わったというより、見え始めた感じに近い」

「はい」

 小夜も同意した。


 前回の件で止めたはずのものは、終わっていなかった。

 ただ、こちらがようやく全体像の端をつかみ始めただけなのだ。


 退勤前、澪が二人に向かって言った。


「今日はここまでにしよう」

「はい」

「明日、報告を上げる。その前に一覧をもう一度だけ見直したい」

「私、朝一で確認します」

 小夜が言う。

「お願いします」

 高橋も短く続けた。


 端末を閉じながら、小夜は画面に残っていた一覧を思い返す。

 ばらばらだった記録が、並べることで線になる。

 線になったものは、もう偶然とは呼べない。


 外へ出ると、空はすっかり暗くなっていた。

 風は弱いのに、空気だけが妙に冷たい。


 小夜は歩きながら思う。

 危機管理室が今見ているのは、一件の不審照会ではない。

 もっと長く、もっと静かに続いてきた何かの流れだ。


 そして、その線はまだ途切れていない。


 次に来るものは、きっとその先にある。


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