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第四十六話 兆し

 異変が表に出たのは、週明けの朝だった。


 出勤してすぐ、小夜は共有端末に入っていた連絡を見つけた。

 情報管理部からの転送。件名は簡潔で、文面も短い。外部からの問い合わせ対応について、確認したい点がある――それだけなら、以前にもあった類いの連絡に見える。


 だが、添付されたやり取りの記録を開いた瞬間、小夜の指先が止まった。


 文面の癖が似ていた。

 言い回しは丁寧で、踏み込み方も一見穏当だ。けれど、知りたがっている範囲の寄せ方が、あの一件とよく似ている。直接、危機管理室の運用を問うてはいない。だが、周辺から輪郭をなぞるような聞き方をしている。


 小夜はすぐに記録番号を控え、過去の一覧を開いた。


「おはようございます」

 高橋が入ってくる。

「おはよう」

 返事をしながらも、小夜は画面から目を離さなかった。

「高橋さん、少しいいですか」

「何かあった?」

「これ、見てください」


 高橋は鞄を置くと、そのまま小夜の端末をのぞき込んだ。

 本文を追ううちに、表情がわずかに変わる。首の後ろに手をやり、黙ったまま最後まで読み切った。


「……似てるな」

「ですよね」

「同じとは言い切れないけど」

「でも、寄せ方が」

「うん」


 その短いやり取りだけで、小夜の胸の奥にあった引っかかりは、ほとんど確信に近いものへ変わった。


 前回の件が止まってから、しばらく動きはなかった。

 だからこそ、形を変えて来るなら次はもっと分かりにくくなると思っていた。実際、今回の問い合わせは前よりも薄い。単独で見れば、通常の確認として流してしまいそうな程度だ。


 けれど、危機管理室はもう一度同じ見落としをするつもりはなかった。


 澪が出勤してきたのは、その少しあとだった。

 小夜は挨拶もそこそこに、端末の画面を向ける。


「朝からごめんなさい。これ、確認してほしくて」

「何?」

 澪はコートを椅子に掛け、画面に目を落とした。

 数秒、何も言わない。

 それから静かに訊く。

「高橋さんは見た?」

「はい」

「どう見てる?」

「前の件と、かなり近いです」

 高橋が答える。

「文面は薄いですけど、知りたい範囲の寄せ方が似てる」

「小夜は?」

「私も同じです。単独なら普通に見えます。でも、前の一覧に重ねると違和感があります」


 澪はもう一度、最初から文面を読み返した。

 その横顔に大きな変化はない。けれど、視線の止まり方で、軽くは見ていないのが分かる。


「記録、出してもらえる?」

「はい」


 小夜は前回の照会一覧と、今回の問い合わせ記録を並べて表示した。

 問い合わせ元の名義は違う。担当者名も一致しない。連絡先も表面上は別だ。だが、照会の向き方が似ている。危機管理そのものではなく、その周辺の運用や連携に触れようとしている点が同じだった。


「前より慎重ですね」

 小夜が言う。

「ええ」

 澪がうなずく。

「前回の止め方を見て、少し変えてきた感じはあるね」

「同じ相手でしょうか」

「まだ断定はしないほうがよさそう」

 そう言いながらも、澪の声は少し低かった。

「でも、無関係とも言い切れない」


 高橋が画面を見たまま言う。

「前回は部署の外側から薄く探ってましたけど、今回はもっと周辺に散らしてます」

「一本の線に見えないようにしてる」

「はい」

「そのぶん、拾いにくい」

「でも、拾えた」

 小夜が言うと、澪はそちらを見た。

「そうね」

 その一言が、思ったより深く胸に残った。


 午前中いっぱい使って、三人は今回の問い合わせを前回の記録と照合した。

 文面の構造、質問の順番、照会先の選び方、時期。完全一致するものはない。だが、似ている点は確かにある。特に、相手が知りたがっているのが「個別の答え」ではなく「組織の動き方」だというところが、前回とよく重なっていた。


「これ、単発で返したらだめですね」

 小夜が言う。

「うん」

 澪は短く答える。

「今回も一本化しておこうか」

「情報管理には?」

「こちらで引き取る形で伝えておいて」

「はい」


 小夜はすぐに連絡文面を整えた。

 以前なら、こういう判断はもっと先で下されていたかもしれない。だが今は違う。違和感を拾った時点で止める。その流れが、少しずつ危機管理室の中に根づいてきていた。


 昼前、情報管理部から折り返しが入った。

 問い合わせ自体はまだ一度きりで、相手も強くは出ていない。ただ、返答を急がせるような含みが少しあるという。


「急がせるんですね」

 小夜が受話器を置きながら言う。

「前と同じだな」

 高橋が返す。

「薄く入って、通るならそのまま進む」

「通らなければ?」

「別の口を探す」


 その言葉に、澪は少し考え込んだ。

「今回は、止めるだけじゃ足りないかもしれないね」

「といいますと?」

 小夜が訊く。

「向こうがどこを見ているのか、こちらでも見ておいたほうがいいかもしれない」

「探り返すってことですか」

「そこまで大げさじゃないけど」

 澪は端末の画面を閉じ、静かに続けた。

「どの部署に、どの順番で、どういう聞き方をしているのか。流れとして見ておきたい」


 高橋がうなずく。

「点じゃなくて線で追う」

「そう」

「前回より広くなりますね」

「なると思う」

 澪は言った。

「でも、今ならまだ追えるはず」


 午後、危機管理室は前回より一段踏み込んだ整理に入った。

 今回の問い合わせだけでなく、ここ数週間の外部照会全体を洗い直し、似た傾向のものを拾い上げていく。件名だけでは分からないものもあるため、本文の要旨まで確認しながらの地道な作業だった。


 小夜は一覧を追いながら、何度か目を止めた。

 明確に怪しいわけではない。だが、似たような角度で運用に触れようとする照会が、思ったより散っている。


「これ……」

「何かあった?」

 高橋が訊く。

「似てるのが、他にもあります」

「見せて」


 小夜が拾った三件を並べる。

 部署は違う。問い合わせ元も違う。だが、質問の向き方が近い。緊急時の連絡体制、判断の分岐、担当の切り替わり。どれも単独なら普通の確認に見えるが、並べると妙に寄っていた。


「増えてるな」

 高橋が低く言う。

「前回の一件じゃなかったんですね」

 小夜の声も自然と小さくなる。

「たぶん」

 澪が答える。

「前回は、たまたま見えやすい形で出ただけだったのかもしれない」


 その言葉で、室内の空気が少し変わった。


 これまでは、一件を止めたつもりでいた。

 だが実際には、もっと広い流れの一部を見ていただけなのかもしれない。


「報告、上げますか」

 高橋が訊く。

「上げておこう」

 澪は迷わなかった。

「今回は“単発の不審照会”というより、“継続的な接触の可能性”として出したほうがよさそう」

「分かりました」

「小夜、一覧を整理して」

「はい」

「前回との共通点と、今回新しく見えた点を分けてまとめてもらえる?」

「やります」


 小夜は端末に向き直り、深く息をついた。

 指先は落ち着いている。けれど胸の奥では、はっきりと緊張が広がっていた。


 前回は、違和感を拾って止めた。

 今回は、その違和感が一件では終わらないと分かった。


 つまり、ここから先は「対応」だけでは足りない。

 見えない流れそのものを追わなければならない。


 夕方、報告用の要点がまとまった。

 複数部署にまたがる外部照会の中に、危機管理運用の周辺を探るような傾向が継続して見られること。

 問い合わせ元は分散しており、単独では通常照会に見えるものが多いこと。

 前回の事案と共通する特徴があり、継続的な接触として把握する必要があること。


 澪はそれを確認し、静かに言った。


「これでいこうか」

「はい」

「次は、来たものを見るだけじゃなくて、来る前提で構えたほうがよさそう」

「前提で、ですか」

 小夜が訊く。

「ええ」

 澪はうなずいた。

「もう“たまたま”では見ないほうがよさそうね」


 その言葉に、高橋がまた首の後ろへ手をやった。

 小夜はその仕草を見て、ふと気づく。

 高橋の違和感と、自分たちが記録から拾う違和感は、少しずつ同じ場所を指し始めているのかもしれない。


 退勤時刻を過ぎても、三人ともすぐには席を立たなかった。

 端末の画面には、まだ整理しきれていない照会記録が残っている。今見えているものだけが全てではない。むしろ、見えていないもののほうが多いのだろう。


「小夜」

 澪に呼ばれ、顔を上げる。

「はい」

「最初に止まれたの、よかったと思う」

「……ありがとうございます」

「こういうのって、見つけた時点で半分は勝ってるようなものだから」

「半分、ですか」

「残り半分は、これからかな」


 小夜は小さくうなずいた。


 危機管理室の仕事は、何かが起きてから始まるわけではない。

 起きる前の兆しを拾い、形になる前に止める。

 そのために記録を見て、流れを読み、違和感を残す。


 前回の件で学んだことが、今ようやく次の段階へつながり始めていた。


 外に出ると、夜の空気は思ったより冷えていた。

 一件が終わったと思っていた場所から、また別の線が伸びている。

 それは不安でもあったが、同時に、危機管理室が本当に向き合うべきものの輪郭でもあった。


 小夜は息を吐き、夜空を見上げる。


 まだ何も起きていない。

 けれど、何も起きていないままでは終わらない。


 そんな確かな兆しが、もうそこまで来ていた。


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