第四十四話 決着
動きがあったのは、その三日後だった。
午後二時過ぎ、総務から危機管理室に内線が入った。
例の問い合わせ元から、今度は名指しで確認を求める連絡が来ているという。内容はこれまでより一歩踏み込んでいた。担当部署間の連携手順と、緊急時の判断系統について知りたがっている。
電話を受けた高橋が、受話器を置くと同時に澪を見た。
「来ました」
「内容は」
「運用の中身です。かなり寄せてきてる」
「つないで」
「はい」
澪はすぐに総務と短くやり取りし、問い合わせへの返答をいったん保留にした。その間に高橋が過去記録を開き、小夜はこれまでの照会内容を一覧で並べ直す。
もう、ただの確認依頼ではなかった。
相手は明らかに、危機管理の運用そのものを探っている。
「ここで切る」
澪が言った。
「これ以上は通常照会として流さない」
「先方にはどう返しますか」
高橋が訊く。
「確認に時間を要するとだけ。情報は出さない」
「了解」
小夜は一覧を見つめながら、喉の奥が固くなるのを感じていた。
ここまで来ると、相手の意図が何であれ、放置はできない。知りたいのは単なる履歴ではなく、組織の動き方そのものだ。
「小夜」
「はい」
「これまでの照会の流れ、口頭で説明できるようにして」
「できます」
「なら、今ここで」
「はい」
小夜は息を整え、一覧を見ながら説明を始めた。
最初は履歴の有無だけを問う浅い照会だったこと。
次に担当部署の運用へ触れ始めたこと。
名義や担当者名を少しずつ変えながら、危機管理に近い部署へ接触していたこと。
時期が、人の入れ替わりや引き継ぎの時期に偏っていたこと。
話し終えると、澪が短くうなずいた。
「十分」
その一言で、小夜の肩から少し力が抜けた。
「高橋さん、関係部署へ共有。単発処理禁止、窓口一本化」
「了解」
「小夜は記録の更新。今日の連絡も時系列に追加して」
「はい」
危機管理室が本格的に動き出したのは、その瞬間だった。
総務、法務、情報管理へ順に連絡が入り、同種の照会はすべて危機管理室を通すよう整理される。問い合わせ元には、必要な確認中であることだけを返し、それ以上の情報は出さない。過去の接触履歴も洗い直し、関連の可能性があるものまで含めて一本の線にまとめていく。
表向きには静かな対応だった。
だが、室内の空気は張りつめていた。
夕方近く、法務から折り返しが入った。
例の問い合わせ元について、外部でも似たような照会を重ねていた可能性があるという。詳細はまだ不明だが、少なくともこちらだけを見ていたわけではないらしい。
「試してるのか」
高橋が低く言う。
「あるいは、通るところを探してる」
澪が返す。
「どちらにしても、ここで止める」
小夜は記録を打ち込みながら、その言葉を反芻した。
ここで止める。
それが今、自分たちの役目だった。
そのとき、総務から再び連絡が入った。
問い合わせ元が、返答を急かすような言い回しに変えてきたという。これまでの丁寧な文面とは少し違う。確認の必要性を強調し、担当者への直接接触も示唆している。
「変わりましたね」
小夜が言う。
「ええ」
澪は画面を見たまま答えた。
「通らないと分かったから、圧を変えてきた」
「どうします」
「同じ。窓口は変えない」
高橋が首の後ろに手をやり、短く息をついた。
「これで十分ですね」
「十分」
澪が言う。
「意図の断定まではしない。でも、通常照会として扱う理由はもうない」
危機管理室としての判断は、そこで固まった。
問い合わせ元からの一連の照会は、通常の確認依頼ではなく、運用把握を目的とした不審な接触として扱う。
以後の対応は危機管理室で一元管理し、関係部署には個別回答を控えさせる。
必要に応じて上位へ報告し、外部対応の整理も進める。
決定事項をまとめながら、小夜は自分でも驚くほど落ち着いていた。
怖くないわけではない。だが、今やるべきことがはっきりしているぶん、迷いは少なかった。
「小夜」
澪に呼ばれ、顔を上げる。
「はい」
「上への報告用、要点を三つに絞って」
「三つですか」
「長くいらない。何が問題で、何を止めて、今後どうするか」
「……分かりました」
小夜はメモを開き、短く打ち込んだ。
一つ、複数部署への照会が継続しており、内容が危機管理運用に寄っていること。
一つ、名義や担当者名を変えながら接触しており、通常照会としては不自然な重なりがあること。
一つ、今後は窓口を危機管理室に一本化し、個別回答を停止すること。
打ち終えて読み返す。
余計な言葉はない。だが、必要なことは入っている。
「できました」
澪はそれを確認し、うなずいた。
「これでいい」
その瞬間、小夜ははっきりと実感した。
自分はもう、守られるだけの側ではない。
この場で判断の一部を担っている。
夜になるころには、関係部署への共有と一次報告までが終わっていた。
問い合わせ元への返答も、危機管理室管理のもとで統一された文面に切り替わる。少なくとも、これまでのように部署ごとに薄く探られることはなくなる。
「ひとまず、ここで一区切りですね」
高橋が言う。
「ええ」
澪が答える。
「一件としては、ここで止めた」
「でも」
高橋が続ける。
「また形を変えて来る可能性はあります」
「ある」
澪は即答した。
「だから記録を残す。今回だけで終わると思わない」
小夜も同じことを考えていた。
今回、危機管理室は止めきった。
だが、それは相手が消えたという意味ではない。こちらの体制に穴があれば、また別の形で探ってくるかもしれない。
端末を閉じる前、澪が静かに言った。
「よくやったわ」
高橋にではなく、小夜に向けた言葉だった。
「最初に拾ったのが大きかった」
「……はい」
「次も同じように見てね」
「はい」
小夜はうなずいた。
外に出ると、夜風が少しだけ冷たかった。
一件としては収束した。危機管理室としても、必要な対応は打てた。
それでも胸の奥には、すっきりしないものが残っている。
止められた。
だが、余裕があったわけではない。
今の体制で拾えたのは、たまたま最初の違和感を見逃さなかったからだ。
もし誰も気づかなければ、もし照合が遅れていれば、もっと深く入り込まれていたかもしれない。
小夜は歩きながら、ふと振り返るような気持ちになった。
危機管理室は、この一件を片づけた。
けれど同時に、今のままでは足りないことも見えてしまった。
それが、この件の本当の後味だった。




