第四十三話 照合
翌朝、危機管理室の空気は前日より少しだけ固かった。
小夜が出勤すると、すでに高橋は端末を開いていた。画面には前日まとめた照会記録の一覧が並んでいる。澪もいつもより早く来ていて、机の上には関係部署へ確認するためのメモが置かれていた。
「おはようございます」
「おはよう」
澪が短く返す。
「昨日の件、朝のうちに当たる」
「はい」
小夜も席に着き、端末を立ち上げた。昨日の違和感は、一晩置いても薄れなかった。むしろ、時間を置いたぶんだけ輪郭がはっきりしてきた気がする。
高橋が一覧を見ながら言う。
「表記揺れを拾い直したら、やっぱり件数が増えました」
「どのくらい」
「同一と見ていいものが六件。関連の可能性があるものまで入れると九件」
「十分多いな」
澪が言う。
「照会先の偏りは?」
「総務、法務、情報管理、それと危機管理に近い窓口です」
「直接じゃなく、周辺をなぞってる」
「はい」
小夜はその言葉を聞きながら、昨日のメールを開いた。改めて読むと、文面そのものは丁寧で、強引さはない。だが、知りたい範囲が少しずつ深くなっているのが分かる。
「小夜」
「はい」
「総務に入った最初の照会、原文まで遡れる?」
「確認します」
共有記録をたどり、転送前の履歴を探す。いくつかのフォルダをまたいだ先で、最初の問い合わせ文面が見つかった。小夜はそれを開き、黙って読み込んだ。
「ありました」
「どう」
「最初はかなり浅いです。履歴の有無だけ聞いてます」
「二通目は?」
「担当部署の運用に触れてます」
「三通目が来たら、たぶんもう一段入るな」
高橋が言った。
澪は少し考え込み、それから立ち上がった。
「確認を取る。高橋さんは一覧の精査を続けて。小夜は問い合わせ元の接点を時系列で並べて」
「はい」
午前中いっぱい使って、三人はそれぞれの作業を進めた。
総務から返ってきたのは、似たような違和感だった。最初は通常の照会として処理したが、再確認の段階で少し踏み込み方が変わったという。法務にも確認すると、過去に似た名前から問い合わせが入っていた記録が見つかった。ただし、担当者名は違う。だが連絡先の一部が重なる。
「名義を少しずつ変えてる」
高橋が言う。
「完全に別件には見せたいんでしょうね」
小夜が返す。
「でも、切り分けるには雑だ」
「雑というより、薄く広くやってる」
澪が言った。
「一件ごとの印象を弱くしてるのね」
その言い方で、小夜は腑に落ちた。
一つひとつは小さい。だから流れる。だが、まとめて見れば偏りがある。最初からそこを狙っていたのだとしたら、かなり厄介だった。
昼前、澪が関係部署との確認結果を簡単に共有した。
「現時点で実害はない」
「はい」
「でも、照会の重なり方は無視できない」
「目的は何だと思いますか」
小夜が訊くと、澪は少しだけ視線を落とした。
「まだ断定しない。ただ、内部の運用や連携の癖を見ている可能性はある」
「試されてるってことですか」
「そうかもしれないし、別の準備かもしれない」
高橋が首の後ろに手をやった。
昨日から何度か見ている仕草だった。疲れというより、何か引っかかるときに無意識に出る動きに見える。
「嫌な感じはします」
「ええ」
澪がうなずく。
「だから照合する。感覚のままにしない」
午後、小夜は問い合わせの時系列を整理しながら、ある一点に気づいた。
照会が入る間隔が、完全な不定期ではない。社内で人の動きが多い時期、体制変更や引き継ぎが発生しやすい時期に寄っている。
「澪さん」
「何」
「これ、時期にも偏りがあります」
「見せて」
小夜がまとめた表を澪に渡す。高橋も横からのぞき込んだ。
「年度替わり前後」
「人事異動の時期ですね」
「長期休暇の前もある」
高橋が言う。
「窓口が緩む時期を見てるのか」
「あり得る」
澪は表を見たまま言った。
「単に情報が欲しいだけじゃない。通りやすい場所を探してる可能性がある」
小夜の背筋が冷えた。
昨日までは、ただの違和感だった。だが、照会先の偏り、名義の揺れ、時期の重なりまで並ぶと、もう偶然では片づけにくい。
「ここまでで十分ですか」
高橋が訊く。
「十分、というより」
澪は一度言葉を切った。
「警戒に値する」
その言葉で、ようやく小夜の中でも線が引かれた。
気になる、ではない。
警戒する、だ。
夕方、危機管理室としての一次整理がまとまった。
問い合わせ元は名義や担当者名を少しずつ変えながら、複数部署に照会を重ねている。内容は一見ばらばらだが、危機管理に近い運用や連携に寄っている。時期も、人の入れ替わりや引き継ぎが起きやすい時期に偏っている。
「共有は最小限でいい」
澪が言う。
「まだ騒ぐ段階じゃない。でも、見逃していい段階でもない」
「監視対象として置きますか」
高橋が訊く。
「置く。次に来たら、単発で処理しない」
「分かりました」
小夜は記録を保存しながら、昨日自分が書いた一文を思い出していた。
偶然ではない気がする。
あれはもう、気がする、では済まないところまで来ていた。
端末を閉じる前、澪が小夜に言った。
「最初に引っかかったのは正しかった」
「……はい」
「こういうのは、証拠がそろってから気づいても遅いことがある」
「はい」
「だから、次も同じように拾って」
小夜は小さくうなずいた。
退勤時刻を回るころには、室内の空気は前日とは違っていた。
曖昧な違和感は、照合を経て、はっきりした警戒に変わっている。
まだ相手の意図は見えない。
まだ実害も出ていない。
それでも、危機管理室として見るべきものは見えた。
次に来たときは、もう偶然では済まされない。
小夜はそう思いながら端末を落とし、静かに席を立った。




