第十六話 模倣
翌朝、高橋が最初に持ってきたのは、AIで整理した比較結果だった。
「匿名投稿と、藤崎さんの過去メールを比較してみました」
共有モニターには、簡潔な分析結果が表示されている。断定を避ける言い回し、説明不足を印象づける文の運び、語尾の処理。近い傾向と、はっきり違う傾向が並んでいた。
澪は椅子を寄せ、画面を見上げた。
「どう出た?」
「似ている要素はあります」
高橋が言う。
「ただ、完全一致ではないです。むしろ、特徴的な部分だけを拾って寄せている感じが強いです」
「寄せている」
「はい。しかも、投稿の中には現場寄りの言い回しも混ざっています。藤崎さんの過去メールだけでは、少し説明しきれません」
澪は画面を見つめた。
似ている。
だが、同じではない。
昨日から胸の奥に引っかかっていたものに、ようやく輪郭がついた気がした。
午前の打ち合わせは短く終わった。相沢は比較結果を一通り見たあと、腕を組んだままモニターを見上げた。
「便利だな」
そう言ってから、視線を外さずに続ける。
「ただし、便利なものほど結論を急がせる」
「はい」
高橋が答える。
「AIは傾向を拾う。責任までは取らない」
相沢は低く言った。
「この“似ている”を、そのまま一本線にしたら終わりだと思う」
「分かっています」
「だが、整理には使える」
澪は黙って聞いていた。
「見せ球かな」
相沢が言う。
「秘書が書きそうな文に寄せてる。だが、寄せ方が少しうますぎる」
「うますぎる?」
澪が尋ねる。
「本当に本人なら、わざわざ特徴が見えるところだけ残さない」
相沢は言った。
「気づかせたい人間がいる書き方かな」
「……柿谷さんに」
「そこまではまだ分からない」
相沢は澪の言葉を切った。
「だが、誰にでも分かる雑な偽装じゃない。ある程度、見慣れてる人間にだけ引っかかる寄せ方だ」
そのとき、会議室の扉が軽くノックされた。
「失礼します」
入ってきたのは小夜だった。手元に薄いファイルを抱えている。
「相沢さん、先ほど頼まれていた資料です」
「ああ、ありがとう。そこ置いといて」
「はい」
小夜は机に資料を置き、すぐに下がろうとした。だが、相沢が声をかける。
「柿谷」
「はい」
「昨日のメールの件、もう少し見せてもらうかもしれない」
「分かりました」
小夜は頷いた。そのまま出ていくかと思ったが、少しだけ迷うように足を止める。
「何かあるのか」
相沢が言う。
小夜は一瞬だけ澪を見て、それから口を開いた。
「似ているとは思うんですけど」
「うん」
「でも、同じではない気もします」
会議室の空気がわずかに変わった。
「どう違うの」
澪が尋ねる。
「藤崎さんのメールは、最後にちゃんと受け止める形で終わるんです」
小夜は言った。
「でも、匿名投稿は、不満だけを残す感じが強いというか」
「逃がさない?」
「はい。少しだけ、悪意が前に出ている気がします」
相沢が目を細めた。
「なるほどな」
短くそう言ってから、小夜に向かって顎を引く。
「ありがとう。助かる」
「いえ」
小夜が出ていったあと、しばらく誰も口を開かなかった。
「似てるが、同じじゃない」
相沢が言う。
「はい」
澪が答える。
「寄せている可能性があります」
「だろうな」
高橋が小さく息をついた。
「気持ち悪いですね」
「何が」
相沢が視線だけ向ける。
「気づく人を選んでるみたいで」
高橋が言う。
「ただ荒らしたいだけなら、もっと露骨に書けばいいのに」
「そうだな」
相沢は淡々と答えた。
「だから余計に、表に出す順番を間違えるな」
午後、投稿はまた一件増えた。
“近くで見ていれば、違和感は最初からあった”
“気づいている人は、もう黙っていないと思う”
澪はその文面を見た瞬間、息を止めた。
気づいている人。
昨日の“見えている人には分かる”と同じだ。読む側の中に、選ばれた側を作ろうとしている。
「反応を見てますね」
高橋が低く言う。
「昨日より、少し寄せてきてる」
「ええ」
「社内の空気を読んで、言い回しを調整してる感じがします」
澪は画面を閉じた。
投稿者は、ただ書いているだけではない。
投げた言葉がどう受け取られるかを見て、次を変えている。
そのやり方は、内部の混乱を広げること自体が目的であるようにも見えた。
夕方、小夜から転送された追加のメールを、澪は一通ずつ開いて確認した。どれも事務的で、表面上は何の問題もない。だが、読み進めるほどに、あの投稿と同じ感触が指先に残る。
不足を示す。
断定はしない。
相手に判断を委ねる形で、不安だけを残す。
その書き方を、意図して使っているのだとしたら。
だが、一通の末尾で、澪の指が止まった。
“ご不安が残るようでしたら、私の説明不足です”
“必要であれば、改めて整理してお伝えします”
匿名投稿にはない一文だった。
不足を示しても、最後は引き受ける。
そこにあるのは、少なくとも“相手を不安のまま放置しない”姿勢だ。
似ている。
だが、決定的に違う。
その違いを、最初に言葉にしたのが小夜だったことが、妙に心に残った。
終業間際、相沢が澪の席の横で足を止めた。
「篠宮」
「はい」
「線は二本持った方がいい」
「二本」
「藤崎本人が関わっている線。誰かが藤崎に寄せている線。どっちかに絞らない事」
「分かりました」
「あと」
相沢は少しだけ声を落とした。
「柿谷の周りも見ておくように」
「……柿谷さんの?」
「あいつが気づいたこと自体を、向こうがどう使うか分からない」
澪は一瞬、返事を失った。
小夜が気づいた。
その事実さえ、誰かにとっては材料になる。
「了解です」
ようやくそう答えると、相沢は短く頷いて去っていった。
窓の外は、もう薄暗くなっていた。
社内のどこかに、流れを作っている人間がいる。
しかもその人間は、ただ情報を持っているだけではない。人がどこで疑い、どこで口を閉ざし、どこで線を引くかを見ている。
見られている。
試されている。
そう思った瞬間、澪は無意識にフロアを見渡していた。
誰もがいつも通りに働いている。
電話の声、キーボードの音、コピー機の駆動音。
そのどれもが日常のままなのに、その内側にだけ、見えない手つきが混じっている気がした。
そして、その手つきは少しずつ、こちらの反応を確かめるように近づいてきていた。




