焦げた花
003話 焦げた花
◇◇◇
―第2世界 カサヴァシア―
森にこびりつく匂い。
もう永遠に取れることないのではないだろうか。
まるで鼻腔に湿気た墨をこすりつけられたようだ。
偵察兵ガクは、火災後の独特な焦げの匂いに、いい加減うんざりしていた。
全てを流す雨は、この村の残骸を燻すように煙を立ち上げている。
「こりゃ酷いものだな。
俺も長いことこんな仕事してるがここまでのは..」
初老のマルは、草むらで肩を揺らして嘔吐するガクを横目に、鼻の奥にこびりついた匂いを追い出すように息を吐いた。
そして手にする魔獣の嘴で作られた古びた武器をひと振りする。
土砂が空高く飛散すると、地面を大きくえぐり抜いた。
「 ..」
マルは、熱で収縮し、腕を突き出した子供の遺体を抱き上げた。
そして、そっと土の中に返してあげた。
「す..すいません」
ガクが口についた胃液をぬぐいながら戻ってきた。
「おう、大丈夫か?」
「はい、なんとか」
「お前、こういうのは初めてか?」
「いえ、そうでもありませんが、こちらへの急な配属替えでしたので..
ここまで酷い現場だとは知らされていませんでした」
「そうか..
それなら仕方がないな。
こんな現場なら、事前に心の準備が必要だ」
「しかし、これは何があったのですか?」
二人の目の前には、折り重なる消し炭があった。
それは村人の変わり果てた姿だった。
おそらくは、一斉に出入り口へ殺到したのだろう。
完全に炭となった死体。
人の形をかろうじて残したままの死体。
そして、重なる死体の一番下からは、子供の腕が何かを掴むように伸びていた。
「ここは、かつて―奇跡の村―と呼ばれていた集落だった」
「き..奇跡の村。
なるほど..
だからこんな分厚い巨木で村の出入口を封鎖したのですか。
そんな村なら賊による遺品の略奪も起きますからね」
「 ..いや、この村は蓋をされた上で燃やされたんだ」
「蓋?
蓋って、まさか!?」
ガクは、巨木の内側が黒く焦げ付いていることに気づいた。
今も出入口を塞ぎ続ける巨木を両腕で押してみるが、動かすどころか傾かせることすらできない。
「こいつは馬老樹だ。
普通の樹木の五倍は重い。
そんなごつい筋肉を持ったお前でも動かせやしない」
「もしかして、バクス族ですか..?
こんな小屋より大きい馬老樹を動かせるのは、彼ら以外にいません」
「ああ。王は本気で狩りを始めたんだろう」
「マル班長、この―奇跡の村―で起こったこと、知ってるんですね。
教えてもらえませんか?」
突風にあおられた細かい霧雨がマルの顔に当たり、顎先から地面へと落ちていく。
「 ..俺に話させるかよ。
まぁいい。
この先、お前もこんな現場を担当するんだ。
話してやる。
ここでは、こんなことが起きたんだ――」
―それは十日ほど前のことだった。
「..ゲハッ、ゲハッ」
年の頃二十そこそこの青年が、叫ぶような激しい咳をしたあと、
喉を鳴らすコヨーテのように苦しそうに空気を吸い込んだ。
「ホルヌ..
大丈夫かい..
だ、誰か!
誰か出てきてください!
どうか息子を助けてください!」
親と思われる女性が、青年の背中をさすりながら叫んだ。
太陽が頭上にある真昼だというのに、村には人の気配がまったくなかった。
巨樹の株を利用して作られた家々の扉は、どれも固く閉ざされている。
青年は胸を突き出し、仰け反ったまま血を吹き出した。
「お願いします..
このままじゃ私の息子が、ホルヌが死んでしまう。
噂を聞いてやってきたんです。
どうかお願い!
お願いします!」
「その噂とは、どのような噂でしょうか?」
やけに冷静な声に驚いて振り向くと、
さらさらの髪をそよ風に泳がせた女性が、月の影の中に佇んでいた。
「えっ..
ええ、この村に来れば奇跡が起きる。
私の子ホルヌの病気も治ると..」
その女性は氷のような瞳で、浮腫だらけのホルヌの顔を一瞥すると告げた。
「もうあきらめなさい。
キイチゴ症の末期です。
そこまで進行しているなら..
すでに骨まで腐り始めている。
手の施しようがありません」
「そ、そんな..
私たちは東のボンザラキ国の商人ラリスさんからここの噂を聞いて、長い旅路を来たのです。
どうか、お願いします!」
母親は縋りつくように懇願した。
その手をさっと振り払うと、女性は言った。
「私はこの巨葉の森・フルーネ村を預かるルレイサです。
噂は忘れなさい。
とても迷惑です。
どうぞお帰りなさい」
「そ、そんな..」
母親は息子を抱き、小さな肩を震わせて泣いた。
その様子をしばらく見つめていたルレイサは、戸惑うように唇をわずかに動かした。
「 ..ただ
..ひとつだけ」
「えっ?」
母親が振り返ると、ルレイサは傾き始めた太陽をじっと見つめていた。
「あの..
今なんて?」
母親が聞き直した。
「この村の北にキペラ渓流があります。
そこで白い花を見つけたら持ってきなさい。
その花びらはキイチゴ症の特効薬になります。
ただし、見つけるのは難しい。
もしもその花を持ってこれたなら、私が薬を調合して差し上げましょう」
そう告げると、ルレイサは背を向けて歩き始めた。
「 ..ありがとうございます。
その花の名は?」
「リリラス。
リリラスの花」
母親は村に息子を預けると、すぐにキペラ渓流へと出発した。
―母親がリリラスの花を手に帰ってきたのは、三日後の、星が落ちてきそうな夜のことだった。
草履が脱げてしまったのか、血の滲む足を引きずりながら、母親は村の中央にある広場へ向かった。
広場にルレイサの姿を見つけると、母親は歩を早め、
言葉より先に白いリリラスの花を差し出した。
「よく見つけましたね。
この花は、本気で願う者の前でしか咲きません。
あなたが―本気で願う者―だと確認しました」
ルレイサはその花をそっと宙へ放った。
白い花びらが星空に広がっていく。
花びらに包まれたルレイサの美しさに、母親は息を呑んだ。
月明かりに照らされ、そこに立っていたのは――
花びらの形をした耳を持つ、若きエルフだった。
「エ..エルフ」
「はい。あなたの持ってきた清き白い花が、私の森の巫女の血を蘇らせたのです」
今までの冷淡な表情とは違い、その温かな微笑みは、母親の不安を包み込むような優しさを帯びていた。
ルレイサの右手に竪琴が顕現し、彼女はそっと弦をつま弾いた。
その響きは耳には不協が混じったように聞こえたが、
心には湖の細波のような心地よい旋律として広がった。
地面に散っていた葉が宙へ舞い上がり、螺旋を描きながら回転する。
やがて黒い光とともに、ルレイサの手の上で丸い薬へと変わった。
ルレイサはその丸薬を母親に差し出した。
「これはエルフに伝わる秘薬。
この薬に―愛する気持ち―を乗せて、口移しで飲ませるのです。
息子さんの病も治るでしょう」
「あ..ありがとうございます、ありがとうございます」
広場に集まった村人たちが見守る中、母親は息子の口へそっと丸薬を流し込んだ。
その横で、森の巫女ルレイサは癒しの竪琴を奏で始めた。
ホルヌの体中の浮腫から、一斉に膿が噴き出し、地面へと流れ落ちていった。
乾いた浮腫が剥がれ落ちると、細胞が新しい皮膚を再生し始めた。
腐ったイチゴの匂いは、いつしか霞の香りへと変わっていた。
再生した皮膚は、まるで赤子のように瑞々しく、弾力に満ちていた。
ホルヌの頬が紫からほのかな紅色へと変わると、
彷徨い続けていた意識がゆっくりと戻り始めた。
わずかに開いた瞼は、今の状況を確かめるようだった。
ルレイサの頬に触れようと、ホルヌの手がゆっくり伸びる。
次の瞬間、その手が彼女の視界を覆った。
― バヂンッ バジジン
あまりにも突然だった。
切断した弦の鈍い音が、森の静けさを切り裂いた。
怪しい光を放つ青紫の短剣が、竪琴ごとルレイサの胸を貫いていた。
「 ..くっ、こ、これは..」
「すいません。あなたの命、この―短剣・新月の落潮―にて奪わせてもらいます。
あなたの悠久の命は、今終わります」
脈打つ紫の光に、ルレイサの何千年分もの生命が吸い取られていく。
瑞々しい若い肌は、みるみるうちに干しブドウのように皺だらけになり、干からびていった。
「 ..うう ..な、なぜ」
地面にうつ伏せになりながら、ルレイサは問いかけた。
「わ、私の故郷を救うためです。
あなたはずるい。
そんなに長い生命を独り占めしている。
故郷に蔓延するキイチゴ症で苦しむ人々を救うには、エルフたちの生命力を世界に解放する必要があるんだ」
「そ..それで..
助かると..誰が?」
「アーロス国の王がそう言ったんだよ。
これで私の本当の息子たちも助かる」
ホルヌに代わって、母親が震える声で答えた。
「な..なるほど.. そう..
あなたたちの願いに嘘はなかった。故郷を救いたいという願いは..本当の願い
..でも..とても愚かなこと..」
突然起こった目の前の殺戮。
村人たちの思考がようやく追いつき、現状を理解し始めた。
熊のような大男が雄たけびを上げ、ホルヌへ棍棒を振り上げた。
しかし、天災のごとく落ちてきた火矢が、大男の胸を貫いた。
夜空に輝く星々の数だけ、火のついた矢が空から落ちてくる。
村は一斉に灼熱の業火に包まれた。
人々は守護壁の唯一の出入り口へ殺到した。
だが、無慈悲にもその隙間は巨大な馬老樹で塞がれていく。
村の男たちが何度も体当たりしても、びくともしなかった。
何人かが守護壁をよじ登ったが、火矢の標的になるだけだった。
「助けてくれ!」
「せめて子供だけでも!」
「熱い! 助けて!」
絶え間なく、空へ放たれた火矢は、村へ吸い込まれるように落ちていく。
村から聞こえる悲痛な叫びが、赤い炎を揺らし続けた。
やがて昇り続ける業火と、爆ぜる木の音に、村人たちの声はひとつ、またひとつと消えていった。
ただひとつの声をのぞいて――
――どうかこの声よ、届いて..
森の巫女よ、種を守るのです。
それはやがて世界を編む。
きっと、私たちを解放する..
どうか花びらよ、私の最期の言葉を届けて..
どうか森の巫女へ――
白いリリラスの花びらが、風に流れていった。
**
――班長マルの話を聞き終えると、ガクは言葉を失った。
壮絶な出来事に、再び吐き気が込み上げ、草むらへ駆け込んだ。
その草むらで、ガクは何かを踏んだ。
そこには、大火傷を負い、小さくうめき声をあげる青年が横たわっていた。
ガクは込み上げる胃液を無理やり飲み込み、叫んだ。
「は、班長!!
マル班長!
生存者がいます!」
その声に、マル班長は一歩一歩、力強く近づいてきた。
「どれどれ、どれだ」
「ここです。
まだ生きています。
大急ぎで治療すれば助かります」
ガクの言葉に合わせるように、青年はかすかに意識を取り戻した。
「誰か.. た..助けて..」
「もう大丈夫だ。お前は運がいい。すぐ手当を――」
青年の横に膝をついたガクが言い終える前に、
マル班長の武具が青年の顔をえぐった。
飛び散った血がガクの頬にかかり、
彼は呆然とマル班長を見上げた。
「おう、大手柄だ。
こんなに早く仕事が終わるとは、でかした!」
「な.. なぜ」
顔をゆがめるガクを見て、マル班長は面倒くさそうにフードを脱ぎ、頭をかいた。
「お前、本当に何も聞いていないんだな」
そう言いながら、マル班長は青年の遺体をまさぐり、何かをつかんだ。
そしてガクの前に突き出して言った。
「こいつだよ。エルフの胸を貫いたホルヌって奴は」
「こ、この青年が..」
「ああ。
そして俺たちの任務は、これを回収することだ。
月からの贈り物―月の涙―だ」
月の涙――
それは、この世界にわずかしか存在しない-月からの贈り物。
時に道具へ、時に武具へと姿を変える。
そしてこの第2世界カサヴァシアでは、
この贈り物を多く持つ者こそが世界を握ることができるのだ。
「で、でも ..なんで?
殺す必要なんて..ないはず..」
顔をゆがめるガクを見て、マル班長はフードを被りなおした。
「ああ、そうか..
そういえば、配属されての初仕事だったな。
俺たち偵察処理隊の仕事はだいたいこんな感じだ」
鼻歌まじりに馬車へ向かうマル班長の背中を見た瞬間、
ガクはこびり付いた湿気た墨の匂いに、再び吐き気をもよおした。
次回は金曜日の22:00に投稿します




