魂の比重
【前話までのあらすじ】
カサヴァシアに渡ることができた果樹園パーティ。しかし二人の戦士が襲撃してきた。彼らはライスたちを―異邦人―と呼んだ。時空間を越えたばかりのライスたちは、本来の力を発揮できずに苦戦する。
010話 魂の比重
◇◇◇
肥大化する緑炎のサンショウウオは、巨大な口で空気を吸い込んでいた。
朱色の空さえも呑み込んでしまいそうだった。
「爆裂まで三十秒。こいつは濁流となり、森は緑炎に呑み込まれる。お前たちは彫刻のように石となるのだ。まぁ、気が向いたら噴水の飾りにしてやるわ。では、さようならだ、弱き異邦人よ」
老戦士は、霞のように目の前から消えた。
サンショウウオの表皮は風船のようにパンパンになっている。
少しでも刺激を与えれば、たちまち破裂してしまいそうだ。
「ライス、動いて! そうだ、白虎をだしなさい!」
リジはライスの腕を引っ張るが、まるで大地に根が張ったように動かない。
「リジ、もう無理.. リジだけでも逃げて..早く!」
リジはギガウを見た。
立ち上がるギガウの脚はひび割れた大地のようにズタズタで、それ以上動けないことはすぐに理解できた。
「リジ、お前は逃げろ.. ライスは俺が助ける。何とかなるさ」
ギガウの表情から、命と引き換えに何かをしようとしていることは明白だった。
リジは聖剣――イブキ――を構えて覚悟を決めた。
「私も残る。あんな炎、私が切り裂いてやる。まだ殺られるわけにはいかないんだ」
そんなリジの髪が、そよ風に揺れた。
「そのとおりだ、リジ・コーグレン。私たちはここでは死なない」
「アシリア!」
リジの覚悟をたたえるような眼差しを向け、アシリアは静かに微笑んだ。
しかし、視界を塞ぐほど巨大になったサンショウウオから、目玉がこぼれ落ちた。 限界を越えたのだ。断末魔とともに爆裂し、緑炎の火柱が天を突いた。
轟音が森を揺らし、炎の濁流は森を呑み込んだ。
アシリアは氷のように冷静な眼差しで迫る濁流を見据えた。
そして、その手にルースの笛を顕現させ、唇に当てた。
笛の音が森を貫いた瞬間、濁流は一斉に枯葉へと形を変え、朱い空へ舞い上がった。
大量の枯葉が空から降ってくる。
その中に、たった一枚の白い花びらがアシリアの手のひらにスンッと舞い降りた。
「森の巫女ルレイサ.. あなたの花の詩はちゃんと届きました」
アシリアの声を聴くと、白い花びらは風に流れていった。
「アシリア、これはどういうこと?」
ライスが語りかけると、アシリアは背中を向けた。
「あの炎は、エルフの無念.. 悲しみの炎なんだ」
ぎゅっと握った拳が震えていた。
・・・・・・・・・・
・・・・・・
・・
「アシリア、大丈夫? ..あの ..これ、近くで採れたんだ」
木陰で休むアシリアに、ライスが野イチゴを持ってきた。
「ありがとう、ライス」
「どういたしまして」
ライスはアシリアの隣に腰を落とした。
「不思議だ.. お前とこうして会話していると身体が軽くなる。わずかだが精霊の力を感じるんだ。これがセイラの言っていたことなのだろうか」
「ああ、私自身が――世界の窓口――になっているって話? 手数料いただきまぁす。なんてね」
ライスの冗談に、アシリアの顔がわずかに明るくなった。
「もしかしたら魔人の加護のおかげなのかもしれないな。あいつらは今もお前を守っているのかもな.. 」
「さぁ、どうかな。私にはよくわからないけど.. それより野イチゴ、おいしいよ」
アシリアは野イチゴを口に含むと、こぼれる笑顔をライスに向けた。
・・・・・・・
・・
「どうだ、アシリアは?」
「うん、少し良くなったって。それより、ギガウは大丈夫?」
「ああ、アシリアの丸薬のおかげで何とか歩けそうだ.. しかしな.. 」
ギガウの体に刻まれたタトゥの数が、以前より明らかに少なくなっていた。
それは精霊フラカの力が弱まっていることを意味していた。
「やっぱり、この世界に精霊が住んでいないせいなのかな」
「そうかもしれない。やはり力の使い方を考えていかなければ、すぐにガス欠を起こしかねないぞ。ところで、お前はどうなんだ?」
「うん、最初はちょっとふらついたけど、黒炎に包まれたら良くなったんだ。私の場合、力を魔力よりも霊力に比重を置いたほうが調子がいい感じ」
しかし、それはライス自身の霊力――つまり魂の力を焚火にくべているようなものだった。
ギガウはその意味を知っているからこそ、心配でならなかった。
果樹園パーティで一番早くカサヴァシアに適応したのは、オレブランのスレイだった。
スレイはライスたちから遠くの丘に飛ばされたが、すぐに戦闘の音を察知し、合流することができた。
今はリジとともに、近くの森で食料の調達をしていた。
「あっち。あの草むらの向こうに獣の匂いがするよ、リジさん」
「わかった。私に任せなさい」
リジは草むらに飛び込むと、マルコブタを仕留めた。
「ところで、あんたは元気ね。アシリアと同じで、あなたもエルフの系譜なんでしょ?」
「うん。でも、僕の場合、超感覚のおかげかもしれない」
「どういうこと?」
「この世界――精霊の住まない世界――って言われてるけど、わずかだけど精霊の気配を感じるんだ。それと..ライスさんから流れ出る霊力も、この距離からはっきりわかる」
「へぇ。便利ね」
「うん.. 」
スレイはうつむきながら、気のない返事をした。
「どうしたの? 何か心配?」
「これってね、言い換えるとライスさんの霊力を奪っていることと同じなんだ。ライスさんに負担になることなんだ」
「..そっか。でも、私はそれは仕方がないことだと思う」
「え?」
「それも含めて私たちは覚悟を決めてきた。だから、スレイが元気でいることは、とても良い結果だと思うよ」
その言葉に、スレイの表情がふっと和らいだ。
「リジさんは体調どうなの?」
「私は結構平気なんだ」
「それは、リジさんが自分の魂を燃やしている状態だね」
「え? それってまずいんじゃないの?」
「ううん。それは普通のことだよ。人は誰でも、自分の限られた魂を力に変えて生きているんだ。僕たち精霊の仲間は、もともと莫大な霊力を分かち合いながら生きてるんだ。だから人間よりも長く生きていられるんだよ」
「じゃ、このカサヴァシアじゃ寿命が短くなるんじゃない?」
「うん。この世界に長いこと暮らす精霊がいたとしたら、人間のように老化しているかもしれないよね。だからこそ、ライスさんが心配なんだ」
「ライスにも凄い霊力があるから大丈夫でしょ?」
「それなんだ。アシリアさんも、地の精霊フラカも、リジさんの聖剣にいる風の精霊フゥも.. みんなライスさんから霊力を分けてもらっている状態なんだ。
でも、ライスさんは人間だ。
その負担は、きっと計り知れないよ」
スレイは、リジの聖剣にはめ込まれた魔石を見つめた。
「じゃ、速いこと目的を果たして帰りましょ。私たちの世界へ」
リジは改めて覚悟を決めた。
スレイには、もうひとつの不安があった。
もし敵になる者に、自分を上回る能力者がいたら──ライスの霊力は常に感知されてしまう。
しかし、スレイは今まで自分を上回る超感覚を持つ者などに会ったことがない。
老婆心だと、自分の胸の内にしまった。
「さっ、食料も手に入ったことだし、戻ろう。みんなのところへ」
その時、スレイがリジにそっと目くばせをした。
森の奥に潜む気配に、スレイが気づいたのだ。
「リジさん。さっき僕が言ったことですが.. やはり気のせいではなかったようです。エルフが僕らを見ています」
「ほんとう?」
「はい。僕らを惑わそうとしています。このまま術中にはまったふりをしましょう」
「うん」
こんな惑わし術など、スレイに効くはずがなかった。
むしろ森を抜けそうになるたびに、わざと間違った道へ進むように、何度も方向転換しなければならなかった。
「どうするの、スレイ? このまま一気に捕まえちゃう?」
「リジさん.. もう大丈夫ですよ」
「どういうこと?」
「今、この場に――惑わし術――に気づいた人が到着しましたから..」
木の葉が風に巻かれ、陰に潜んでいた男の足元へと絡みついた。
「――動くな。動けば殺す」
ジャスミンの香りとともに、氷のように冷たい刃が男の首筋へそっと当てられた。
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