第451話 赤き稚魚
僕は海面に浮かぶ樽を見つめていた。すると、一番端の樽が、クンッと音を立てて勢いよく沈み込んだ。
「おっ!?」
続けて、隣の樽も、その隣も。次々と樽が激しく動き出す。水面がバシャバシャと波立ち、何かが激しく暴れているのが分かる。
「エディ様! 何か来てます!?」
「樽が全部沈んじゃいそうですぅ!」
アザリエとシプレが声を上げる。まさか、樽が沈むほど反応があるとは、このまま放置するのも危なそうだな。
「よし、引き上げるぞ! みんな、力を貸してくれ!」
「応ッ!」
僕たちは一斉に網のロープを掴んだ。手に伝わる重みは、想像を遥かに超えていた。これは……大漁の予感だ! 網はずっしりと重く、手袋越しにロープが食い込む感触が伝わってくる。
「せーのっ! よいしょぉぉぉっ!」
騎士団員たちの掛け声に合わせて、僕も足を踏ん張り、体重をかけて網を引く。ホワイトロア号の船縁で、滑車代わりのローラーがキリキリと音を立てた。海面から、ピンク色の網が姿を現す。そこには銀色の鱗を煌めかせる無数の魚たちが、所狭しと絡まっていた。
『エディ! すごいぞ! 魚の壁だ!』
ヴァイスが興奮しているが、確かに、これは壁と言っても過言ではない密度だ。バシャバシャと跳ねる水飛沫が顔にかかるが、気にしている暇なんてなかった。
エイレーネとソニアも、最初は呆気にとられていたようだが、すぐに加勢に入る。
「嘘でしょ……こんな短時間で?」
「網を入れたばかりなのに、信じられません!」
二人の驚く声も無理はない。僕だって驚いたからね。通常の漁では考えられない効率だ。スパイダーの糸で作られた網は、細くて丈夫、しかも目立ちにくい。魚たちにとっては、気づいた時には逃げられない死の罠なのだろう。ようやく網の最後尾が甲板に引き上げられると、ドサドサドサッ! という重厚な音と共に、大量の魚が木の床に広がった。
「……これは壮観ですね」
アザリエが目を丸くしている。甲板の上は、まるで魚市場の競り場のような喧騒だった。太陽の光を浴びて、ビチビチと跳ねる魚たち。一般的なアジやサバのような魚から、見たこともないようなカラフルな魚まで、種類は様々だ。
「よし、まずは仕分けだ! 棘がある魚もいるかもしれないから気をつけて!」
僕の指示で、みんなが動き出す。これだけの量だ、手早く処理しないと鮮度が落ちてしまう。騎士たちが手際よく魚を氷の入った木箱へと移していく中、僕は少し変わった魚が混じっていることに気がついた。
「ん? これは……」
他の魚とは明らかに違う、深紅の鱗を持つ細長い魚体。ウナギのようにヌルヌルとしていて掴みにくいが、その顔つきは凶悪だ。口には鋭い牙が並び、エラ蓋のあたりには棘がある。そして何より特徴的なのは、その額だ。まるで金属のような硬質な光沢を放つ、小さな額当てのような甲羅がついている。
『エディ、美味そうな匂いの原因はこれだな』
ヴァイスが鼻を近づけてクンクンと匂いを嗅ぐ。
「これってもしかしてロートヘルムの稚魚じゃないか?」
僕の言葉に、作業をしていたクレストが手を止めて近づいてきた。
「エドワード様、拝見します……赤兜と呼ばれた兜は額当て程度の小さい物ですが、確かにロートヘルムの特徴と一致します」
「やっぱりそうか」
隻眼の赤兜と呼ばれたロートヘルムは体長十メートルを超える巨大さだった。この稚魚が二メートルぐらいなので、あの大きさになるにはどのくらいの月日がかかるのだろうか。
「へぇ、こんなに小さい時は、まだ兜じゃないんですね」
シプレがしゃがみ込んで、興味深そうに赤い魚をつついている。網にかかっているのは一匹や二匹ではない。ざっと見ただけでも数十数匹は混じっている。成体なら網を食い破っていたかもしれないが、このサイズならスパイダーの糸で大丈夫なようだ。
「ロートヘルムの群れに当たったのかもしれないな。これだけ獲れれば、今夜は串焼きにでもしてみるか」
『甘いタレのやつだな!』
ヴァイスの尻尾が千切れんばかりに振られている。
そんな様子を見ていたエイレーネとソニアが、真剣な表情で顔を見合わせた後、僕の方へと向き直った。
「エドワード様! お願いがあります!」
エイレーネが勢いよく踏み出してくる。
「どうしたの、改まって」
「この流し網漁……私たちに任せていただけないでしょうか!」
「えっ?」
元々お願いする予定だったとはいえ、予想外の申し出に、僕は目をぱちくりとさせた。
「これだけの成果が出るなら、安定した収入が見込めます。依頼として十分成り立ちます」
「毎回こんなに獲れるとは限らないからね?」
今回はヴァイスのおかげのような気がするし。
「それはもちろん分かっております」
「冒険者ギルドでやってくれるなら、僕としても助かるよ」
「本当ですか!?」
「うん。ただ、いくつか条件があるんだ」
ただ単に儲かるからといって、無制限に獲らせるわけにはいかない。
「まず、この網はフィレール侯爵家からの貸与という形にするよ。所有権はあくまで侯爵家にある」
「貸与、ですか?」
「そう。この網はスパイダーの糸で作られているから、紛失したり、悪用されると困るからね」
「「スパイダーの糸で出来ているのですか!?」」
ジャイアントスパイダーとまではいかなくても、スパイダーの糸もレア素材、二人もその価値を分かっているので大丈夫だろう。
「次に、漁の頻度と売却についてだ」
僕は甲板に広がる大量の魚たちを見渡した。 一度網を入れただけで、これだけの量が獲れてしまったのだ。
「見ての通り、この漁法は獲れすぎるんだ。もし、毎日これをやって、大量の魚を市場に持ち込んだらどうなると思う?」
ソニアが首を傾げる。
「えっと……みんな安く魚が買えて喜ぶ、とか?」
「消費者は喜ぶかもしれないけど、地元の漁師さんたちはどうかな?」
「あ……」
ソニアがハッとした顔をして、エイレーネが答える。
「魚の値段が暴落して、漁師たちからクレームが来るかもしれないですね」
「その通り。漁師よりもたくさん獲ってしまって今度は漁師の生活が脅かされるのでは意味がないからね」
領主である僕がやる分には、ある程度「領主様の気まぐれ」や「調査」で通るかもしれないが、漁師以外が営利目的でやるとなれば話は別だ。既存の利益構造を破壊することは、領内の安定を損なうことにも繋がる。
「だから、この漁は冒険者ギルドを通した定期依頼という形にしようと思うんだ」
「定期依頼、ですか?」
「うん。例えば、週に一回だけ、とか。あるいは、依頼が少ない日に限定するとかね」
冒険者の強みは、一般人よりも過酷な環境で動けることだ。 住み分けができれば、共存は可能だろう。
「獲れた魚の扱いも、冒険者ギルドと商人ギルドで調整して、市場価格を崩さないように設定する必要があるのと、魔物の討伐依頼よりも簡単に稼げるようでは困るかな」
魔物の討伐よりも楽に稼げてしまうと、魔物の討伐を冒険者たちがしなくなる可能性もある。僕の提案に、エイレーネとソニアは真剣な表情で頷いた。
「分かりました。確かに、目先の利益だけで動いては、長い目で見て損をしますものね」
「さすがエドワード様、考えが深いです。本当にアレン君と同い年なのでしょうか……」
ソニアが魚の仕分けをしているアレンを見る。残念なことにアレンの成長期は凄まじく、僕との差が開く一方だ。
「それじゃあ、流し網の運営は冒険者ギルドに任せるとして、港に戻ろうか。よかったら今夜城に来るといいよ。実際にどのくらいの美味しさか確かめたほうがいいでしょ?」
「「はい! ありがとうございます!」」
二人は顔を見合わせて嬉しそうだ。 船上の空気は明るく、大漁の喜びに包まれている。それにしても、ロートヘルムの稚魚か……どんな味がするんだろう?
僕は足元の木箱の中で、苦しそうに口をパクパクさせている赤い魚を見つめた。やはり蒲焼きが王道だろうな。
「よし、残りの魚も全部箱に詰めて、港に戻ろうか!」
――はっ!
騎士たちの元気な返事が海に響く。ホワイトロア号は、港への帰路につくことになった。
◇
港に戻ると、僕たちの船は大注目を浴びることになった。大量の魚、特に珍しいロートヘルムの稚魚の山を見て、漁師たちが色めき立つ。漁師たちには長年苦しめられていたロートヘルムの稚魚であることがひと目で分かるらしい。
ロートヘルムの稚魚は赤兜には及ばないが、十分美味しかった。それを食べたエイレーネとソニアの気合が凄かったので、定期的に食べられる日は近いだろう。
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