第452話 知育玩具
カザハナが澄んだ空気を切り裂き、僕たちを乗せてローダウェイクへと入った。フィレール侯爵領での騒動や開発が一段落し、久しぶりに戻ってきた実家は、相変わらずの威厳と温かさで僕を迎えてくれる。
「エドワード様、無事の御帰還、心よりお喜び申し上げます」
僕と護衛のリーリエがカザハナから降りると、家令のルーカスが深々と頭を下げた。カザハナは僕たちが降りると、自分で厩舎へ向かった。
「ルーカス、ありがとう。リーリエのおかげで安全に帰って来られたよ。少し休んで疲れを癒やしてね」
「もったいないお言葉です。ですが、エディ様と長時間密着しておりましたので、まったく疲れておりません」
相変わらず真面目な中にヘンタイが見え隠れする彼女に苦笑しつつ、僕は屋敷の中へと足を踏み入れた。すると、廊下の向こうからパタパタと小さな足音が聞こえてくる。
「にいたま! にいたま、おかえりなしゃい!」
元気な声を上げて駆け寄ってきたのは、三歳になった僕の可愛い妹、ロティだ。彼女は僕の膝にしがみつくと、満面の笑みで顔を見上げてくる。その純粋な瞳を見ているだけで、長旅の疲れが霧散していくのを感じる。
「ただいま、ロティ。いい子にしていたかな?」
「うん! ロティ、お利口さんだったの!」
僕はロティを抱き上げ、その柔らかな頬を撫でた。
「エディ、お帰りなさい」
「エディ、よく帰ってきたね」
母様と父様も僕の帰還を喜んでくれた。
◆
お茶室で落ち着いた僕は、空間収納庫から一つのお土産を取り出した。それは、リュングに依頼して作ってもらった木製の玩具――積み木だ。
「ロティ、これを見てごらん。リュングに頼んで作ってもらったんだ」
布袋から取り出したのは、面取りが丁寧に施された立方体や円柱、三角柱の積み木たちだ。香りのよい木材を使い、表面はロティが舐めても大丈夫なようにクルミ油で仕上げてある。
「これ、なあに?」
「積み木というんだ。こうやって上に重ねたり、横に並べてお城を作ったりして遊ぶんだよ」
僕がお手本として、三つの立方体の上に三角柱を乗せて小さな家を作ってみせると、ロティの瞳がキラキラと輝き出した。
「すごーい! ロティもやる!」
彼女は小さな手で一生懸命に木片を掴み、慎重に積み上げていく。ガシャーン、と崩れてはケラケラと笑い、また一から積み直す。その集中力はすさまじく、三歳児とは思えないほどだ。ロティは天才かもしれないな。
そんな僕たちの様子を、背後から父様が微笑ましそうに眺めていた。
「ほう……エディ。それはまた珍しい玩具だな。ただの木切れのようだが、ロティがこれほど夢中になるとは」
「父様、これは『積み木』といいます。アルクロの子どもたちでいろいろ試して評判が良かったので、ロティ用に作りました」
積み木の起源は、ウルスの知識によれば古代エジプト時代まで遡るが、それが体系的な「知育玩具」として注目されたのは十九世紀になってかららしい。決まった形がないからこそ、子どもは自分の頭で考えて形を作り出す。これこそが、感受性豊かな時期に最も必要な刺激のはず。
しかし、この世界に知育という考えはまだない。貴族でない子はロティくらいの歳で手伝いをさせられるのが一般的だ。
そこで、アルクロの町では小さな子を集めて面倒を見る、保育園的なものを実験的に始めていて、そこで積み木は人気のアイテムとなっている。
「なるほど、確かに、ただ与えられた人形で遊ぶのとはわけが違うね。エディ、この積み木をヴァルハーレン家でも製造・販売する許可をもらえるか? これは王国の子どもの教育にも役立つはずだ」
さすが父様。ロティが遊ぶ姿を見て、これが知育に良いと感じ取ったようだ。
「もちろんです、父様。これが量産されれば多くの子どもたちが喜ぶと思います」
父様は満足そうに頷き、再びロティの遊びに目を向けた。しばらくの間、僕たちはロティが作り上げた「大きな塔」が崩れるのを、温かい気持ちで見守った。
◆
夕食の後、遊び疲れたロティは僕の膝の上でスヤスヤと眠りについてしまった。メイドに彼女を運んでもらった後、食堂には僕と父様、母様、そしておばあ様の四人が残った。
「ふふ、ロティは本当にエディが大好きなのね」
母様が優しく微笑む。しかし、その表情はどこか少しだけ青白く見えた。テーブルの上には、母様が好きそうな特製のお菓子が並んでいる。甘い香りが部屋に漂い、いつもなら母様が真っ先に手を伸ばすはずなのだが。
「母様、お菓子は召し上がらないのですか? これ、ピエールの新作なんだそうですよ」
僕が勧めると、母様は一瞬、困ったような顔をして口元を押さえた。
「ええ……ごめんなさい、エドワード。今日はなんだか、甘いものの匂いが受け付けなくて……」
「えっ!?」
その言葉に、僕だけでなく父様とおばあ様も動きを止めた。あの、お菓子大好きで有名な母様が、お菓子を食べたくないと言い出すなんて。これはアルクロで雪が降るレベルの異常事態だ。
「フィア、少し顔色が悪いね。どこか具合でも悪いのかな?」
父様も心配そうに身を乗り出した。
「いえ、少し気分が優れないだけで……すみません。先に自室で休ませていただきますね」
母様は弱々しく微笑むと、足早に食堂を後にした。残された僕たちは、しばらく沈黙した。不穏な空気というよりは、何か大きな予感に包まれているような、不思議な静寂だった。
僕はふと、前世の知識と今の母様の様子を照らし合わせてみた。甘いものがダメになる、急な気分の変化、そして顔色の悪さ……。
「父様……。もしかして、母様は妊娠しているのではありませんか?」
僕の言葉に、父様とおばあ様が同時に顔を見合わせた。おばあ様が顎に手を当て、鋭い眼光を向ける。
「……そういえば、ソフィアの様子が最近おかしかったね。食事の好みが変わったり、やけに眠そうにしていたり。ハリー、すぐにハンナを呼んできな。今すぐにだ!」
「分かりました!」
父様は弾かれたように席を立ち、メイド長のハンナのもとへと走っていった。呼べばすぐ来るだろうに、二人が慌てることがほとんどないので、微笑ましく感じたのだった。
◆
それから一時間後。ハンナが連れてきた産婆による診察が終わった。
応接室で待機していた僕たちの前に、産婆が晴れやかな表情で現れた。
「大公様、おめでとうございます。ソフィア様のご懐妊に間違いございません。現在は三ヶ月ほどといったところでしょう」
その瞬間、父様が「おお……!」と声を漏らし、天を仰いだ。おばあ様も豪快に笑い、僕の肩を叩く。
「やったね、エディ! また家族が増えるよ。あんたももうすぐ、二人のきょうだいの兄としてさらにしっかりしなきゃいけないね。まあ、十分すぎるぐらいしっかりしているんだけどね!」
「はい、おばあ様。本当に……嬉しいです」
僕の胸には、温かな喜びが広がっていた。ロティが生まれた時も嬉しかったが、今度は僕も少し成長し、兄としての自覚がより強くなっている。
「エディ、お前には弟と妹、どちらがいいという希望はあるか?」
父様が少し落ち着きを取り戻し、僕に問いかけてきた。僕は少し考えてから、微笑んで答える。
「そうですね……ロティという可愛い妹がいますから、次は元気な弟がいいなと思います。一緒に剣の稽古をしたり、勉強をしたりしてみたいですから」
「それはいい。エディが師匠になれば、きっと賢い弟になるだろうな」
父様は上機嫌で笑い、おばあ様は「あたしが鍛えてやるさ」と物騒なことを言っていた。新しい命の誕生はまだ先のこと。けれど、ローダウェイクの屋敷には明るい光が満ち溢れていた。
僕にできることは、母様を支えることだな。
「さて、明日からはもっと忙しくなりそうだね」
僕はベランダに出て、星が輝く夜空を見上げながら、まだ見ぬ弟――あるいは妹――に思いを馳せた。
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