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糸を紡ぐ転生者【WEB版】【書籍3巻3月30日発売!、1巻重版】  作者: 流庵


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第434話 ヒュスミネの大峡谷

 ローダウェイクでの短い滞在を終えた僕たちは、おばあ様を伴ってトニトルス公爵領の町――ミュールへと到着した。

 この公爵領の主都はイストモスだが、これからはミュールがイグルス帝国攻略の前線基地になるはずだ。


 ミュールの町には、建設中の砦がそびえ、行き交う兵士たちの顔にも緊張が浮かんでいる。けれど、それ以上に活気に満ちていた。


 町の門では、なんとトニトルス公爵本人が出迎えてくれた。僕とおばあ様は、そのまますぐに公爵邸の会議室へと案内される。


 すでに何人かの貴族たちが集まっていた。中央に座していたのは、若き当主――バージル・ヴァーヘイレム・トニトルス公爵。その隣には、厳格な雰囲気をまとった武人、ハットフィールド公爵の姿もある。


 でも、僕の目を引いたのは、その二人じゃなかった。

 少し離れた席に並ぶ、見慣れない顔ぶれの貴族たち。きっと王家から派遣された、領地を持たない新興貴族だろう。


 彼らの視線が僕に向けられた瞬間、その目に侮蔑の色が浮かんだのを、僕は見逃さなかった。


「……あれがフィレール侯爵か。噂には聞いていたが、まだ子供じゃないか」

「ヴァルハーレン大公家の威光だけで爵位を得た、って話だったが……まさかここまでとはな」


 ひそひそ声が、静まり返った室内に意外と響く。

 どうやら彼らは、僕がシュトゥルムヴェヒターを討伐したことも、共和国を倒したことも、ただの噂としか思ってないらしい。

 ――実績じゃなく、見た目と年齢で人を判断する。まぁ、よくあることだけど……いい気分ではない。


 僕が黙って席に着こうとした、その時だった。


「――控えよ、愚か者どもが」


 地を這うような低い声が会議室を貫いた。

 声の主は、ハットフィールド公爵。彼の鋭い眼光が、侮辱を口にした新興貴族たちを貫く。


「貴殿らの前におられるのは、海神シュトゥルムヴェヒターを単独で討伐し、マーリシャス共和国を滅ぼし、陛下より直々に侯爵位を賜ったお方だ。その功績も知らず、見た目で侮るとは、騎士として恥を知れ! その目は節穴か!」


 ビリビリと空気が震えるほどの迫力に、貴族たちは青ざめ、縮こまった。

 まさか、あのハットフィールド公爵から直接叱責されるとは思っていなかったんだろう。


 僕は少し驚きながらも、公爵に向かってそっと頭を下げた。


「お気遣い、痛み入ります」


「事実を述べただけだ。それより――始めるぞ」


 ハットフィールド公爵は素っ気なくそう言うと、正面を向いた。

 王都でもそうだったが、彼の態度は、僕をヴァルハーレン大公家の子供としてではなく、ひとりの侯爵として認めている証のようだった。


 トニトルス公爵が咳払いひとつ。いよいよ会議が始まる。

 議題はもちろん、大峡谷を越えて帝国領シュミットへ進軍する作戦についてだ。


「皆、よく集まってくれた。明日、我々は大峡谷を渡り、イグルス帝国領へ侵攻する。フィレール侯爵の力によって、我らの前に道が拓かれる。橋が架かり次第、全軍で渡河し、シュミットを一気に制圧する!」


 トニトルス公爵の堂々たる宣言に、貴族たちからは感嘆の声が上がった。


 作戦はシンプルだが、だからこそスピードと連携が求められる。


 質疑応答を交えつつ、作戦の細部が詰められていき、会議は滞りなく終了した。



 新興貴族たちが退出すると、会議室には僕、おばあ様、トニトルス公爵、そしてハットフィールド公爵の四人だけが残った。


「――さて。ここからは、内密の話になります」


 僕がそう切り出すと、二人の公爵は眉をひそめて僕を見た。


「実は、明日架ける橋には……大きな弱点があります」


「弱点だと?」


 僕はうなずき、アーススライムの糸で小さな橋を作ってみせる。

 硬化すれば、鋼鉄に匹敵する強度を持つ素材だ。

 

 二人には、実際に触れて、踏んで、叩いて、その強さを確かめてもらった。


「このアーススライムの糸は、物理的な衝撃には非常に強いのですが……魔力には極端に弱いのです。ハットフィールド公爵、少しだけ魔力を流してみていただけますか?」


「……うむ」


 ハットフィールド公爵がアーススライムの橋に魔力を流した瞬間。

 あれほど頑丈だった橋が、まるで砂の城のように崩れ落ちた。


「なっ……!」

「これは……」


 驚きに、二人が息を呑む。


「これがアーススライムの糸の唯一にして最大の弱点です。もし敵に橋を奪われた場合、魔力を持つ者一人で簡単に破壊されてしまいます。この情報は、最高機密として扱ってください」


 僕の言葉に、二人の公爵は険しい表情でうなずいた。


 続けて、僕はもう一つの切り札を差し出す。ローダウェイクから持ってきた通信機だ。


「それからこちらを。前線での迅速な連絡手段として、ご活用ください」


「おお……これはありがたい。すでに試してみたが、実に便利な代物だ。これがあれば、戦況は大きく変わるぞ」


 トニトルス公爵は心からの感謝を述べたあと、ひとつ願いを口にした。


「この橋の弱点……我が妻、フランシスにも伝えても構わないだろうか?」


 彼の妻は、ハットフィールド公爵の長女で、アリシアのお姉さん。今は公爵領主都のイストモスにいるのだとか。


「もちろん構いませんが、その理由を伺っても?」


「もしもの時……私が戻れなかった場合、敵に橋を奪わせないためだ。最悪の時は、彼女に橋の破壊を命じる」


 その言葉には、前線を預かる指揮官としての重い覚悟が込められていた。

 僕は、静かにうなずく。


「……承知いたしました」



 ◆



 翌朝、夜明けと共に僕たちは出発し、大峡谷へと向かった。


 道中、トニトルス公爵が馬を並べながら、ふと話しかけてくる。


「フィレール侯爵。この大峡谷は、イグルス帝国では『ヒュスミネ大峡谷』と呼ばれているそうだ。彼らの信仰する唯一神ヒュスミネが、遥か昔、西からの侵略者を阻むために創り出したのだと」


 眼前に広がる光景は、まさに神業としか思えなかった。


 幅はおよそ三キロ。切り立った断崖はどこまでも続き、谷底は霧に覆われて見えない。対岸がぼんやりと霞んで見えるが、距離感は絶望的だ。


「……確かに、自然に作られたというよりは、切り裂いたように見えます」


「ああ。だが――今日は我々が、その神の壁を越える」



 公爵の瞳には、確かな決意の光が宿っていた。


 僕はうなずき、全軍が見守る中、谷の縁に立つ。


 魔力を集中し、アーススライムの糸を放つ。

 茶褐色の糸が生き物のように対岸へと伸び、複数の線となって絡まり合い――ついに幅四メートルの頑丈な橋を形成した。


「……道が、できた……」


 兵士の一人が、呆然と呟く。



 だが、いざ橋が完成すると、先頭にいた新興貴族たちがたじろいだ。


「お、おい……これ、本当に大丈夫なのか?」

「下は奈落だぞ……崩れたら……」


 そんな不安が隊に広がり、進軍の動きが止まりかけた、その時だった。


「何をためらうことがあるかッ! 道はフィレール侯爵が拓いてくれた! 我らはただ、前へ進むのみ! ヴァーヘイレム王国の栄光のために――全軍、続けぇっ!!」


 トニトルス公爵が馬の腹を蹴り、誰よりも早く橋へと突っ込んでいく。

 その勇姿に、兵士たちの士気が爆発した。


 ――うおおおおおおっ!


 地響きのような(とき)の声と共に、兵士たちが雪崩を打って橋を渡り始めた。甲冑の擦れる音、軍靴の響きが、大峡谷にこだまする。


 僕はその光景を静かに見守る。やがて、殿を務めるハットフィールド公爵が、僕の前で馬を止めた。彼は馬上から僕を真っ直ぐに見下ろすと、深く、力強く頷いた。


「――感謝するぞ、フィレール侯爵」


 短い言葉だけを残し、彼もまた橋を渡っていく。

 その背中は、ヴァーヘイレム王国が誇る武人の、揺るぎない覚悟を示していた。


 軍勢が、霧の中に完全に姿を消すまで、僕はその場から一歩も動かず、じっと見送っていたのだった。

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