第435話 古の叡智
ヒュスミネ大峡谷に架かる橋から、王国軍の最後尾が見えなくなるまで、僕たちはその場に留まっていた。
やがて、霧の向こうに消えていく軍勢を見届けた僕たちは、ローダウェイクへの帰路につく。
「それにしても、アルバンが自慢話ばっかりするから、あたしも少し体を動かしたかったんだけどねぇ」
帰りの馬車の中、おばあ様が少しだけ残念そうにハルバードを撫でている。
結局、予想通りおばあ様の出番は一度もなかった。
「おじい様には、おばあ様を煽らないように、フィレール侯爵領に戻ったら言っておきます……」
呆れる僕の言葉に、おばあ様は愉快そうに笑うだけだった。
トゥールスとミュールの街道は整備が進んでいないので、ローダウェイクまでの道のりは長く感じる。
陛下はトニトルス公爵領の主都イストモスまでの街道は整備すると言っていたが、ミュールまでの街道整備も必要だろう。
城では、父様や母様、そして僕の可愛い妹のロティが出迎えてくれた。
ロティもようやく僕の顔を見て笑ってくれるようになった。天使の微笑みは、どんな高価なポーションよりも僕の心を回復させてくれる。今後は忘れられないよう、頻繁に訪れるようにしよう。
トーゲイの工房で新たな文化の息吹に触れ、ジョーモンから能力の変化という未知の謎を提示され……短いながらも、非常に濃密な帰郷だった。
そして、すべての用事を済ませた僕は、再びフィレール侯爵領へと出発する。
順調に王都を通過しヴァールハイトに差し掛かったとき、ひとつの約束を思い出す。
順調に王都を通過し、ヴァールハイトに差し掛かったとき、ひとつの約束を思い出す。
「そうだ。ヴァールハイトの町に寄って行こうか」
王都へ向かう途中、宰相メルヴィンさんのご子息・サージュさんとご令嬢・レイラさんと交わした約束。
『会議の後、またゆっくりとお話しできるのを楽しみにしておりますわ』
あの時のレイラさんの笑顔が脳裏に浮かぶ。街道もつながり、今なら時間にも余裕がある。
僕の提案に、護衛の騎士たちに異論はなかった。早馬で先触れを出し、王家の直轄領であるヴァールハイトへと向かった。
◆
ヴァールハイトの町は、相変わらず整然としており、どこか緊張感を漂わせた空気に満ちている。
僕たちが到着すると、町の管理を任されているサージュさんとレイラさん兄妹が、自ら屋敷の門前で出迎えてくれた。
「これはこれは、フィレール侯爵様。ようこそお越しくださいました。お立ち寄りいただけると信じておりましたわ」
レイラさんが、花が綻ぶような笑みで優雅にカーテシーをする。その隣で、兄のサージュさんも理知的な表情を少しだけ和らげ、丁寧に頭を下げた。
「急な訪問にもかかわらず、ご丁寧なお出迎えをありがとうございます」
「とんでもない。父からも、侯爵様にはくれぐれも非礼のないようにと、きつく言われておりますので」
サージュさんはそう言って、苦笑する。
僕たちはひとまず、騎士たちを町の宿舎で休ませ、アザリエ、マルシュ君、ジョセフィーナ、アスィミだけを伴って、彼らの屋敷へ案内されることになった。
歩きながら、僕は改めてこの町の成り立ちについて尋ねてみる。
「このヴァールハイトは、王都の巨大な備蓄庫と伺っていますが、王都の外にわざわざ専用の町を作った理由などあるのでしょうか?」
「さすが、侯爵様。目の付け所が違いますね」
サージュさんが、よどみない口調で説明を始める。彼の話は、まるで歴史書を読み解くように明快で、聞いていて心地よい。
「このヴァールハイトの町は、有事の際に王国全土へ物資を円滑に供給するための、巨大な備蓄庫として機能しております。食料はもちろん、武具や資材など、あらゆる物資がここに集められ、厳重に管理されているのです。王都の備蓄庫というよりは、王国領で災害や戦争など、非常用の備蓄庫ですね。なので、今回のライナー男爵領やイグルス帝国進軍の件のために、資材や食料などを放出しております」
「なるほど……。確かに、予期できない有事に備えるのは大切ですね」
「ええ。そして、わたくしたち兄妹の役目は、この町の管理と、もう一つ……古の時代の調査も兼ねているのです」
レイラさんが、いたずらっぽく片目を瞑る。その言葉に、僕の好奇心が刺激された。
やがて到着した屋敷は、石造りの重厚な建物だった。華美な装飾はないが、そのどっしりとした構えは、長い年月を経てきた歴史の重みを感じさせる。
「こちらの屋敷ですが、実は王都ヘイレムの城と、ほぼ同じ時代に建てられたものだと考えられているのです」
屋敷の中に通されながら、サージュさんが言った。その言葉に、僕は思わず足を止める。
「王都の城と……?」
「はい。建築様式や使用されている石材など、共通点が非常に多いのです。そこで、わたくしたちは一つの仮説を立てました」
レイラさんが、楽しそうに話を続ける。
「もしかしたら、この屋敷と王都の城は、地下通路で繋がっているのではないか、と」
その仮説は、あまりに突飛で――しかし、どこか僕の心の琴線に触れるものがあった。
「その調査、陛下や宰相閣下はご存じなのですか?」
僕が尋ねると、兄妹は顔を見合わせ、少し困ったように微笑んだ。
「もちろんです。しかし、あくまでわたくしたちが個人的な興味で調べているだけですので。この町を管理する傍ら、古の謎を解き明かす……それが、わたくしたちがここにいる、もう一つの理由なのです」
学者的な探求心。彼らはただの管理者ではない。過去の遺産に眠る謎を解き明かそうとする、情熱を持った研究者なのだ。
僕の頭の中で、おばあ様の言葉が蘇る。
――ローダウェイクの城を建てたのは、ルトベアル王国。そして、そのルトベアル王国を滅ぼしたのは、王城の持ち主であったトルズベール王国。
そして、僕たちヴァルハーレン一族は、ルトベアル王族の生き残り……。
「フィレール侯爵様も、何かご意見がおありですか?」
黙り込んでしまった僕に、サージュさんが問いかける。
「いえ……とても興味深いお話だと思っただけです。ぜひ、調査の様子を見せていただけますか?」
僕の言葉に、兄妹は嬉しそうに頷いた。
◆
サージュさんとレイラさんの後について、屋敷の奥深くへと進んでいく。
案内されたのは、地下へと続く石の階段だった。ひんやりとした空気が、頬を撫でる。
「この屋敷の地下はかなり広く、隠し部屋も多く存在しております。……その中でも、最も不可解な場所があるのです」
たどり着いたのは、何の変哲もない石壁の前だった。しかし、ローダウェイクやニルヴァ王国のダンジョンでの経験が、僕に告げている。こういう場所こそが怪しい。
「ここが、わたくしたちが最も怪しいと睨んでいる部屋です。壁の石材の組み合わせが、他とは微妙に異なっていて……それに、この部屋だけ、空気が澱まず、まるで生き物のように、静かに流れているのです」
レイラさんが壁にそっと手を触れながら言うと、壁に掛けてある燭台に火を灯し、その炎の揺れから空気が動いていることがはっきりと分かる。
魔道具のランプでは分からない、些細な変化に気づく……宰相の一族は、やはり頭が切れる人が多いようだ。
僕はその壁をじっと観察した。
間違いない。ローダウェイク城の地下で見た隠し部屋、そしてニルヴァ王国のダンジョンにあった転移装置の部屋。それらとまったく同じ様式だ。石の種類は違うが、構造は同じはず……。
おそらく、これも【空】属性の魔力に反応して開くのだろう。
しかし、おばあ様から、この能力のことは決して他言無用と言われている。僕がこの壁を開けられることが知られれば、面倒なことになるのは間違いない。
「……確かに、何かありそうな雰囲気ですね。この壁、押してみてもびくともしないのですか?」
僕はあくまで何も知らないふりをして尋ねた。
「ええ。あらゆる方法を試しましたが、まったく……。まるで、特定の鍵がなければ開かないとでも言うように」
サージュさんが悔しそうに言う。
僕は壁に軽く手を触れ、内心で溜息をついた。鍵は――ここにある。僕の中に。
だけど、今はまだ、その扉を開ける時ではない。
「不思議な部屋ですね。何か分かったら、ぜひ教えてください」
僕はそう言って微笑むに留めた。兄妹は少し残念そうな顔をしたが、僕の態度を察してか、それ以上は追及してこなかった。
その夜、用意された客室のベッドに横になりながら、僕は天井の模様をぼんやりと見つめていた。
ヴァルハーレン一族は、ルトベアル王家の生き残り。
ローダウェイクの城、王都の城、ニルヴァ王国のダンジョン、そしてこのヴァールハイトの屋敷……。
点と点が、徐々に線で結ばれていく感覚。
もしかして、これらの建造物はすべて、僕のご先祖様――ルトベアル王家が遺したものなのだろうか?
もしそうだとしたら、彼らは一体、何を目的として、これほど広範囲に同じ様式の建物を残したのだろう。
答えの出ない問いが、頭の中を巡る。
今はまだ、何もかもが謎に包まれている。だが、いつか必ず、この謎を解き明かしてみせる。
そんな決意を胸に、僕は深い眠りへと落ちていった。
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