籠の中
「痴漢のことはひとまず置いて、世間話でもしますか……。あなたの部下であった栗田さんが殺害されたそうですが、その辺のお話でもしましょう」
番匠は自分が警察署に連れて来られた本当の理由がわかると、途端に仏頂面になった。
「別件逮捕ですか……こんなやり方が許されると思ってるんですか」
「許されるも何も、単なる世間話ですよ。本題の方も後ほど伺いますのでご安心下さい」
「世間話なら話すことは何もない。あんまりしつこく聞くならマスコミに訴えますよ」
「それはどうぞご自由に。その場合は私の方も〝こちら〟を出させていただきます」
そう言って小川はICレコーダーをポケットから取り出し、再生ボタンを押した。それが自分とデリヘル嬢との会話だとわかると慌ててICレコーダーを取り上げて停止ボタンを押した。
「一体どうやってこれを?」
「まあお互い女には気をつけたいものですね……どうです? お話しいただく気になりましたか?」
「……もう、この録音聞いたんでしょう。だったらそれが私の知っている全てです。それ以上話すことなどない」
「いえ、あなたは栗田さん殺しの犯人に心当たりがあるはずです。それは誰なんですか?」
「知るわけないでしょう」
「お話しいただけないのですか……仕方ありませんね」
そう言って小川が合図すると、マリエッタが画用紙と鉛筆を持って取調室に入ってきた。
「ああっ、君はさっきの目撃者じゃないか! 君も警官だったのか?」
「いいえ。私は警察官ではなく、番匠さんと同じ一般市民ですよ」
「なんで一般市民が取調室に来るんだよ。おかしいだろ」
悪態をつく番匠にマリエッタはニッコリ笑って対応した。
「私、似顔絵が得意なのでボランティアで警察に協力しているんです」
「似顔絵? 誰のだよ」
「栗田さん殺害の真犯人です。全体的な顔の特徴を教えて下さい」
「真犯人なんか知らないと言ってるだろう」
「目と眉はどうですか?」
「だから知らない」
「鼻は?」
「知るわけないだろう」
「口は?」
「いい加減にしろ! 知らないと言ったら知らないんだ!」
番匠が激昂するのにかまわず、マリエッタは平然と画用紙に鉛筆を走らせた。
「お待たせしました、出来ましたよ。どうですか?」
マリエッタはそう言って出来上がった似顔絵を見せた。それを見た番匠はゾッとして震え上がった。そこに描かれていたのはは小川の推理通りの人物であった。番匠は青ざめた表情でマリエッタに尋ねた。
「君は……一体何者なんだ?」
「私? 単なる一市民ですよ」
マリエッタの若干天然な回答にかまわず小川はシビアに切り込んだ。
「真犯人は……栗田さんの同期、北田洋一だったんですね」
「こ、これは偶然だろ。他人の空似だ」
「実は栗田さんはダイイングメッセージを残していたんですよ。ひとつは“E”すなわち手術で亡くなった東さん。もう一つは持ち去られていて定かではないが、おそらく“N”すなわち北田。真犯人を示唆していると思います」
小川が話しているのを聞くと、番匠は急に難しい顔になって言った。
「……悪いことは言わない。この件からは手を引いたほうが良い。あなたがたが思っているほど背後の連中は甘くない」
「承知の上です。北田洋一について知ってることをお話し下さい」
番匠はどうなっても知らないぞ、と念を押した上で次のように語り出した。
栗田の報告によりライフスレッドは塩化ジルトリンと化学反応を起こして断裂を起こす恐れがあることが発覚した。それを受けて調査した結果、現行医薬品で塩化ジルトリンを含むものはなく、安全性に問題はないとされた。
ところが、東敬三の手術において縫合糸の断裂事故が起こった。本社から特殊問題処理班が派遣され、調査した結果、手術で使用していた抗菌剤はプファイファー製薬のノンタニンCXという、すでに販売終了となった薬品であった。しかも使用期限を過ぎていたものを病院では使用していた。
里中病院、重沼化繊双方に落ち度があった……。しかしこれが明るみに出て痛手を被るのは両者だけではない。今や財政を重沼化繊に依存している山岡県全体の問題であった。そこで山岡県知事の中村秀彦、山岡県医師会会長の北田信彦(洋一の父)をも交えて秘密の会合がもたれた結果、執刀医阿部光雄に濡れ衣を着せることに決定した。
この決定に基づき本社の特問班は水面下で迅速に対応した。各病院に納入されていたライフスレッドはあっという間に改良型のライフスレッドαに入れ替わった。遺族には多額の見舞金が支払われ、阿部には北田信彦率いる山岡県立病院への好条件の転属を確約。これで全ては丸く収まったかのように思われた。
ところが正義感にかられた栗田憲彦が内部告発を画策しはじめた。事態を重く見た会社は懐柔策に出た。番匠は本社の命を受け説得に当たった。北田は親友として相談に乗るふりをして、栗田が何を考えているか逐一本社に報告していた。
事件のあった日は創立記念日で、山岡支社のゴルフコンペが開催されていた。これに栗田も北田もエントリーされていた。それが直前になって二人ともキャンセルした。参加料は返却できないという決まりだったので、キャンセルはよほどのことである。番匠が栗田に理由を聞くと、大事な来客があるということだった。番匠は栗田が北田と会う約束をしたのだと確信した。こうして起こったのがあの事件というわけである。
番匠は事件直後、北田洋一に尋ねてみた。
「栗田は……お前がやったのか?」
すると北田は冷酷に口角を上げて言った。
「番匠さん、この件に関してはお互い探り合いはやめませんか。その方が身のためですよ」
それを聞いた番匠は背筋が凍りつく思いがしたという。




