第7話 革も薪も、届きません
朝のうちに、屋根へ上がりました。
二の間の上です。板が二枚落ちて、そこから空が見えます。落ちた板は下の床に転がっておりましたので、拾って重ねて寸法を測りました。長さは、わたくしの腕を三つ半。幅は掌を二つ。同じものが、あと十四枚要ります。
釘はひと掴み。縄は腕ほどの太さのものを二尋。
屋根は、下から見上げても分かりません。上に乗って、足の裏で踏んでみて初めて分かります。踏んで沈むところは、下の桁が腐っております。二の間の上を端から歩きましたところ、沈んだのは三箇所でした。三箇所とも、南側です。
南から風が来て、雪が吹き溜まるのがこちら側でした。父は毎年、秋の終わりにここへ縄を渡して、竹の棒で雪を落としておりました。三年、誰も落としておりません。
梯子を押さえていたのはジャンでした。厩番の子です。十五になりますが、まだ声が変わりきっておりません。上から数を言うと、下で指を折って覚えます。書きませんので、間違えません。
「板が十四。釘がひと掴み。縄が二尋。ジャン、湯屋のふいごを見てきていただけますか」
ジャンは行って、戻ってきて、両手で四角を作り、その真ん中を指で裂く仕草をしました。
「裂けていますか」
うなずきました。
ふいごの革です。三年使わずに置けば、乾いて縮みます。縮んだものに風を入れれば、裂けます。裂けたふいごでは火の立ちが遅くなりますから、六人を二度に分けて入れるには朝から焚かねばなりません。朝から焚けば、その分だけ薪が減ります。
革が一枚。板が十四枚。釘と、縄。
わたくしは前掛けで手を拭いて、石橋の通りへ下りました。
薪屋は、通りの東の外れです。父の代からの店で、主人は父より十ほど下のはずでした。
「イレーヌさんか」
「おはようございます。太いのを十二束、細いのを二束いただけますか」
主人は店の奥を見ました。薪は、天井まで積んであります。土間にも、まだ縄を解いていない束が三つ出ておりました。
薪の善し悪しは、切り口を見れば分かります。切ってから一年置いたものは、切り口に細かい割れが放射に入ります。割れの浅いものは、まだ水を持っております。積んである束のうち、上の段は割れが深く、下の段は浅い。上から売っていく積み方です。石橋の薪屋は昔からこの積み方で、父はここの薪しか買いませんでした。
「……売れん」
「足りませんでしょうか」
「足りんのじゃない。売れんのだ」
主人は手を前掛けで拭きました。乾いている手を拭く人は、言いにくいことを言う前です。
「三日前に、ベルナール様のところの手代が来た。この冬の分をまとめて買うと言って、証文を置いていった。まだ一束も持っていかん。持っていかんが、うちの薪はもう伯爵様のものだ」
「代金は」
「春に払うそうだ」
わたくしは、束を目で数えました。土間に三つ。棚の上が、たぶん四十ほど。
「うちの娘が春に嫁に行く。相手は峠の向こうの炭焼きだ」
「存じております」
「炭は、伯爵様の問屋を通らんと石橋へ入らん」
主人が頭を下げようとしましたので、わたくしはその前に礼をいたしました。
「お下げにならないでください。下げられますと、こちらがこの店の前を通れなくなります」
馬具屋にも寄りました。二階で六人まで泊める、湯の出ない宿をやっている家です。毛布を四枚貸してくださったのも、この家でした。
「毛布はまだ貸しておける。返さんでいい」
「革は」
「売れん」
主人は帳場の裏の棚を見ませんでした。見れば、革があると分かってしまうからです。
「貸すのは商いじゃないからな。売るのが商いだ。商いのほうを止められた」
「わかりました。毛布は明日お返しに上がります」
「……返さんでいいと言っとる」
馬具屋を出てから、鍛冶屋の前で少し立ち止まりました。鍛冶屋は釘を打ちます。釘は鉄で、鉄そのものはベルナール様の問屋を通りません。ただ、釘を打ってもらうには炭が要ります。炭は峠の向こうから来て、問屋を通ります。誰に頼めるかを順に数えていきますと、最後は必ず同じところで止まりました。
通りを戻りながら、店を数えました。十一軒。そのうち、ベルナール様の問屋を通さずに荷を入れられる店は三軒でした。パン屋と、鍛冶屋と、棺桶屋です。どれも、薪と革は扱いません。
宿へ戻ると、マノンが厨の戸口に立っておりました。
「顔に書いてありますねえ」
「何と書いてありますか」
「売ってもらえなかった、と」
マノンは鍋の湯を捨てて、逆さに伏せました。
「三年前にもありましたよ。あのときは塩でした。半月で解けましたけどね。解けたのは、親父さんが峠向こうから塩を回したからです」
「父は、どこから回しましたか」
「知りません。あたしは荷を受け取っただけです」
わたくしは帳場に座って、紙を三枚出しました。
書いてから折って、端を糊で留めて、それぞれに印を一つずつ入れました。輪と、点を二つと、斜めの線です。
「マノン。峠から下りてくる馬方に、これを渡していただけますか。輪のついたものは、右の耳が半分欠けた方に」
「読めやしませんよ、あたしは」
「読まなくて結構です。印だけ見ていただければ」
峠から下りてくる馬方には、順番があります。荷の軽い者が先に下りて、重い者は峠の途中の小屋で一晩置きます。ですから、朝いちばんに坂を通るのは空荷の馬方で、その次が塩や革の荷、いちばん遅いのが炭です。右の耳が半分欠けた方は、いつも二番目に下りてこられます。父の古い宿帳に、その順で名前が並んでおりました。
マノンは三通を受け取って、しばらく手の中で並べ替えておりました。それから前掛けの下に入れました。
「お嬢さん。屋敷にいたときも、こういうものを書いてましたねえ」
「書いておりました」
「そうですか」
マノンは、それ以上聞きませんでした。
日が傾いてから坂を上がってきたのは、馬が一頭でした。
乗っているのは、若い男です。外套の襟に留め具が二つ。真鍮と、銀。銀のほうに、鷲の脚が三本ありました。
「サンドラール家の者だ。一晩頼む」
「いらっしゃいませ。一の間へどうぞ」
男は土間で外套を脱ぎながら、伝えることを先に済ませてしまおうという顔をしました。
「伯爵様からの言伝だ。この宿は買い戻す。値は追って知らせる。それまで勝手に手を入れるな」
「承りました」
「……それだけか」
「はい。ほかにご用がなければ、湯を使われますか」
男は少し待ってから、うなずきました。
「湯は沸いております。ただ、いつもより時がかかります」
「なぜだ」
「薪が、思うように入りませんもので」
男は口を開けて、そのまま閉じました。
一の間には、寝台を一つだけ整えました。六人が入れる部屋に一人をお泊めするときは、真ん中ではなく壁際の寝台を使っていただきます。広い部屋の真ん中で寝ると、人は夜中に一度目を覚まします。父の言い方では、宿は広さで褒められて、狭さで礼を言われる、ということでした。
毛布は三枚です。馬具屋から借りたもののうち、いちばん厚いものを下に敷きました。
夕餉は、麦の粥にしました。塩漬けの肉は、樽の底が見えております。肉を落とさない代わりに、塩を一つまみ多く入れました。馬で峠の下の道を見てきた人の足は、翌朝つります。
男は、粥を二杯食べました。
「……宿の飯にしては、味が濃いな」
「明日、馬でお戻りになりますでしょう」
「戻る」
「では、ちょうどよろしいかと存じます」
夜、帳場で宿帳をつけました。
十の月の三日 サンドラール家 使い 一名 一の間 銀貨十二
顔:右の眉の上に、新しい切り傷。落馬。
匂い:新しい革。蝋。
湯屋の火は、客が上がってから落とします。落とすといっても、水はかけません。かければ石が割れますし、翌朝に熾が残っておりません。灰を寄せて、上から薄くかぶせて、風の通る口を半分ふさぎます。そうしておきますと、朝には掌ほどの熾が残ります。その熾で沸かせる湯は、ちょうど桶に一杯ぶんでした。
寝る前に、薪置き場を見に行きました。
束が三つ。縄を解いて数えると、四十一本ありました。一の間に一晩で六本。湯屋に十二本。厨に四本。明日も客が入って湯を使えば、明後日の夜には十二本を割ります。
十二本を割ったら、誰かが凍えます。
わたくしは灯を近づけて、もう一度数えました。
四十一本でした。
次話「父の帳面」では、薪の代わりに古い木箱が一つ出てまいります。
中身は宿帳ではありません。父が宿帳とは別に、ひとりで書き続けていた帳面です。ただし、最後の頁がありません。




