第49話 超銭湯 ~歌舞伎町には終夜営業のが本当にあるんだぜ~
「それでは遅くなりましたが、再会を祝して乾杯」
俺の口上で合わさった五脚のジョッキが軽い音を立てた。
ひさしぶりの文明の地での会席。鏡華も水面もツルタ氏も、クールな顔を切らさない針井氏でさえも、肩の力の抜けた笑顔でリラックスしている。もちろんだが俺も。
ここは迷宮エリアのすぐ裏にある二十四時間営業の温泉施設。何日ぶりかの風呂に浸かって迷宮の汚れをすっかり落とした俺たちは、地下一階のごちそう居酒屋に集まって祝杯をあげている。
さすがに平日の午前三時では他の客は見当たらず、広い店内が貸し切り状態になっている。早々に杯を空けた男三人の生ビールのお替りを頼むため、俺は注文ボタンを探した。
ていうか、こんな時間に普通に注文できる方がおかしいだろ。新宿ってのはつくづく魔境都市だよな。
⌚
ほんの一分ちょいで三匹のマンティスを倒した針井氏に俺たちは走り寄った。
「ハリーさん、どうぞ❤」
真っ先に駆け寄った水面が、いつの間にか取り出した真っ白のタオルを差し出した。受け取った針井氏も、まるで自然にそいつで顔を拭っている。
なにこれ? 剣道部の大将と女子マネの関係? ここはどこぞの道場か?
「第六層に向かったんじゃなかったの?」
問い質す俺に、滑らかな口調で針井氏が答えた。
「五層の途中で多くの魔物を切りまして、ミスリルの刃が鈍ってきたのです。研ぎたいと考えたのですが、迷宮ではまともな砥石も見当たらず……」
宝剣もやっぱ鈍るのか? てか、鈍ってもあの切れ味?
今しがた目の当たりにしたばかりの、マンティスの硬い甲殻を一刀両断した一幕を、俺は思い浮かべた。
よほどの数を切り結んできたんだろうな、このご仁は。
「で、やむなく地上に出て買ってこようと思い、上がってきたのですが……」
水面にタオルを返しつつ、針井氏は次のひと言で俺たちを刺してくる。
「あの爆発はみなさんの仕業ですよね」
全員の手が止まった。
「衝撃は四層でも感じました。空気が震えましたから。でも魔物どもの方が僕よりも強く影響を受けていました。あきらかに動揺し、それまでの動きが嘘のようにふらふらしだして。なんていうか、迷宮を覆っていた統制のようなものが突然途切れた、みたいな」
そんなに影響があるのか、オープンな場所での拡散黒玉は。
「それで急いで上にあがってきてみたら、マンティスとあなたたちがいた」
固まった俺たちは、ツルタ氏が発した声で息を吹き返した。
「ここに居続けるのは危険です。ひとまずベースキャンプに戻りましょう。差し支えなければ針井くんもご一緒に」
***
BCセカンドで荷物を解いた俺たちは、風呂に入りたいと言い出した泉澤姉妹の号令の下に、地上へと向かうことにした。もともと地上に出るつもりだった針井氏もミスリルを置いてともに行くと言う。
留守番してもらう龍昇丸には、山盛りのドッグフードと新しい水を用意した。出掛けにごねるかと懸念したが、相当疲れていたようで、むさぼるように餌を食べたあとは、ケージの中の毛布の上で丸くなっていた。
ようやく星空の下に出られたころには午前一時半を回っていた。二時間近くの行軍は、さすがにアラフォーにはこたえる。
歌舞伎町もこの時間では人影まばらで、うろんな様子でうずくまる若者や酔い潰れた同僚を囲むサラリーマンたちと、橙の空車マークを灯した数台のワゴンタクシーくらいしか動いていない。
そんな夜更けの街を、鏡華と水面は迷いのない足取りで進んでいく。俺たち男三人は遅れないようついていくだけだ。
迷宮出口から徒歩五分、「ここ」と鏡華が指した建物はネオンに彩られたスーパー銭湯だった。
「こんな近くに深夜営業の湯殿があったなんて」
見上げるツルタ氏の感嘆に、俺も「まったくもって」と同意する。経歴から知っていたらしい針井氏が肯く顔に、水面がにっこりと微笑みかけた。
「私たちはたまに利用してるんですけど、すっごく気持ちいいですよ」
♨️
数人の先客がいる大浴場で、ツルタ氏と針井氏と俺の三人はゆっくりと湯に浸かった。
熱い湯の中で手足を伸ばせるのがたまらなく心地良い。数時間前の激闘と漆黒の行軍が嘘のように思えるほど。シンプルな白湯で寝そうになった俺は、刺激を求めてジェットバスに移動した。ツルタ氏と針井氏は、連れ立って露天に向かった。昔話でもするのだろう。
俺たちはたっぷり三十分浸かって、汚れと疲れを洗い流した。パウダールームでもゆっくり時間を費やした。瓶のコーヒー牛乳を飲み、待合い室の長椅子に寝そべって新聞を読む。文明社会の一員であったことを思い出すかのように。
だが俺たちは、さらに半時間待たされた。姉妹の長風呂は、都合一時間半に及ぶ。
結局、俺たち五人が地階にある居酒屋の暖簾をくぐれたのは、壁の丸時計の針が第一象限を綺麗に囲むころだった。
⌚
箸に乗せていた鮪を口に運んだ針井氏は、「刺身、うま」と呻いた。
そりゃそうだよな。迷宮じゃ刺身は食えないもんね。
俺は目の前に届いた豚の角煮に箸を伸ばす。頭の端っこにばら撒くように転がっていたオークの死骸が蘇ったが、頭を振ってそれを追いやる。
堪能した鮪をビールで引き締めた針井氏はひと心地ついたのか、ようやく自分の話をする気になったらしい。
「あくまでも僕の見立てに過ぎませんが……」と切り出した針井氏は、俺たち四人を見回してから箸を置き、押さえた声で続きを語りだした。
「新宿ダンジョンは、ヒエラルキーのバランスを崩し始めています」




