第47話 暗夜行 ~インフラクラッシャーは使用上の注意をよく読んで~
あのときと同じ、空気ごとぶつかってくる激しい音が耳をつんざいた。
俺は「口を開けとけ」と伝えるのを忘れたことに気がついた。だがもう遅い。そもそも鼓膜なんて些末な話だ。
まぶたがちりちりする。固くつぶっているのに真っ白の世界にいるようだ。
「目をつぶれ」も言い忘れた。でもまあいいか。目ぐらいは言われんでもつぶってるだろうし。
不思議なのは身体だった。オーク集落を葬ったときはウェットスーツ越しでも皮膚のざわつきはあった。なのにいまは、まったくなんともない。
ラムが焼ける香ばしい匂いがしてきた。俺は目を開き、顔を上げる。が、思わずうしろに向かって飛び退いた。目の前に赤黒い口腔が花開いていたのだ。
赤いのは炭化した肉の熾きだった。めくれあがるほどに大きく開かれた六枚の顎と、中心の暗渠を隠すように繰り出される三枚の舌が、活きたまま電磁調理される苦悶に耐え切れずうねったまま煙をあげている。真っ暗の中、仄暗く浮かび上がる白い羊毛は針のように逆立ち、そこここで蒼白い火花を散らせている。
仔羊たちのシルエットはめちゃくちゃな方向に手足を伸ばし、あるものは立ったまま、あるものは横臥して動きを止めていた。
明りを失った世界で見えるのは、自らが光るものだけ。帯電した羊毛、赤熱した肉、とびちる火花。俺は身を起こし、周りを見た。どっちが前かうしろなのか、方向感覚がまるでない。それどころか真っ直ぐ立ち上がることすら覚束ない。
鏡華は、水面は、ツルタ氏は、リュウは。誰も、何も見えない。誰か……
「……返事をくれ」
口走ったモノローグに反応があった。
オンッ。
「耳元で吠えんなリュウ。頭がわぁんてなる」
「ここにいますよ」
「ツルタです」
よかった。
全員無事だった。
⌚
「このあと右側に一足分のくぼみがあるから気をつけて」
前を行く鏡華が間欠的に灯す光を追って、俺たちは壁に手を当てながら無言で進む。
鏡華が照らすスマホのライトの先で、くるりと巻いたリュウの尻尾が左右にふりふりと揺れている。
幸いなことに、バフォメットが現れることはなかった。洞内であれだけの音を轟かせたのだから気づいてないわけはないだろうが、あまりの異常事態で様子を窺っているのかもしれない。
早急な撤退を図った俺たちは、ツルタ氏がスーツの内側に入れていたスマホ一台だけを頼りに、第三層の備蓄基地を目指し彷徨っているところだ。
「アンテナはまだ立たないか?」
俺の質問に足を止めて手元を確認した鏡華は、「まだぁ」と短く応えた。
拡散黒玉の放電は随分と先までおよんだらしい。記憶に間違いなければ、今日の昼間に取りつけたメッシュWiFiもその前のDASもすでに過ぎているはず。実際、途中の岩壁で、そのとき貼ったステッカーを見かけた。今日の作業ではそれほど複雑な道選びはしなかったから、そろそろ昨日立てた基地局の範囲になるはずなんだが。
俺は頭の中だけで損害を計算する。
本日作業分のDAS二基とメッシュWiFi二セットは完全におしゃか。さらに持ってきていたもう半日分の追加機器も全損だろう。それだけじゃない。作業記録用のCCDカメラもチェック用のノーパソとタブレットも、当たり前のようにやられた。ヘルメットに付けていたライトも、過放電の影響だか何だかでどこかが焼き切れたようだ。
私物だって被害は免れない。泉澤姉妹の配信用機器はすべてやられたし、俺のを含め、スマホも死んだ。生き残っていた電子機器は、普段まったく使わないツルタ氏が首から吊ってスーツに守られてたスマホ一台のみ。さらにそいつも、バッテリー残量は25%だった。
こうなるのは想像ができたはず。せめてスーツの内側か、そうでなきゃ絶縁ポーチかなんかを用意して、ライトと情報端末くらいは俺が準備しとくべきだった。
「悪かった。こんな目に合わせちゃって」
俺のつぶやきに反応してか、前方でなにかを翻す気配があった。
「マジで言ってんの? あんたの黒玉であたしたちは助かったんだよ。いまこうやって誰も欠けることなく歩いてられるのは、ランボの電撃のおかげなんだから。なのに、なにあやまってんの。ランボって馬鹿?」
「ほら、行くよ」と付け足した鏡華は、再び歩き出したようだ。
俺は息を吐きだす。乱暴な物言いだが、鏡華のこのメンタリティには正直救われているのだ。
そうか。俺は役に立ったのか。
背後から、ふたつの含み笑いが聞こえた。
⌚
「ふわぁああ。光があるって最高っ!」
備蓄基地の簡易照明に照らされた鏡華が両腕を突き上げて伸びをしている。
いや、ホントその通りだよ。ハリーとか逃亡者とかって、あの暗闇をどうやって進んでったっつーんだよ。鬼メンタルの持ち主か?
俺と目が合ったツルタ氏が充電器からスマホを外しながら声をかけてきた。
「装備が整ったら、もう一度あそこまで潜らないといけないですね」
さすがはツルタ氏。手抜かりはない。俺も「ンですね」と応える。
ツルタ氏と俺のやりとりに鏡華が異議を唱えてきた。
「え? なんで? あんなたいへんな目に遭ったんだし、今日はもういいじゃん」
「そう言いたいのは山々なんだが、ほっとくワケにはいかんのよ。なんせ……」
「そう、国家機密ですからね、蓄電石は」
俺の返しをツルタ氏が引き取った。
そうなのだ。心情的には俺も鏡華と同じなのだが、こればっかりは見過ごすわけにはいかない。なにしろあの石は、一個失うごとに最低でも一億五千万の負債が発生する。あのエリアには、基地局ルーターとメッシュWiFiのコントローラーのそれぞれに繋いだ電源器四台が残されている。起動している間はロックがかかっているので鍵無しに石を取り出すことはできないのだが、機器異常で停止している今なら簡単に開けられてしまう。
すぐに持っていかれるとは考えにくいが、確率よりも掛け金が多過ぎる。
「鏡華たちは休んでてもいいんだぜ。こいつは俺の都合だからな」
首に回していたタオルを膝に叩きつけ、鏡華は立ち上がった。
「行かないわけないでしょ! ダンディはともかく、あんたが出るんじゃ安心して休めやしない!」
うしろで水面もサムアップしながら笑っている。
ホント、頼りになるよ、こいつらは。
ツルタ氏は、奥の棚から黄色い筒を二本取り出した。一本を俺に手渡してくる。
「宗旨替え?」と笑う俺に、ツルタ氏は生真面目な表情で応えた。
「警棒だけではさすがに限界です。距離を置いた攻撃の必要性を痛感しました。背に腹は代えられません」
歴戦の剣士ですらテーザーガンを必要と感じるエリア。
たしかに、鏡華の台詞は冗談だけじゃないってことか。
俺は気を引き締める。




