第46話 激闘篇 ~これじゃあまるで冒険者パーティーじゃねえか~
上顎下顎が各二枚、頬は左右で一対。計六枚が縦長の花弁となって水面の頭を包み込もうと開いた情景が、ストップモーションのように目に焼きついた。
いつまでも続くかと思われたその一瞬は、ガチリと閉じられた六枚の顎とともに時間の流れを戻す。水面の頭は、ない。
あ、いや。頭だけじゃなく、身体も消えている。
「ったあぁ! ちょっとねっちゃ、なにすんのよ!」
いつものゆるふわ丁寧とはイントネーションからしてぜんぜん違う、方言そのままの水面の罵声が視界の外から聞こえてきた。見るとスカイブルーのスーツを土だらけにした水面が大きな体を起こして姉を睨みつけている。
そうか。鏡華が蹴り転がしてくれたのか。
「うっさい! それどころじゃない」
正体を晒した魔物の仔羊がすでに、鏡華を次の標的にしている。伸びきった左脚を包み込もうと再び六対の咢を開いた。
が、【精度】を発動させた鏡華の反応速度は魔物のそれを凌駕する。
コマ落としにしか見えないスピードで足を引いた鏡華は、二段蹴りの要領で再度左脚を蹴り上げた。食らいつきに空振りした仔羊の右頬を、完璧な軌跡でヒット。ウエイトの軽い鏡華のキックでも、相手が小柄なら効き目もある。仔羊はもんどりを打って倒れ込んだ。
間髪空けずリュウが前に出て、大音声で吠えつける。【威嚇】だ。
動きを封じられた仔羊は、もはや|みちのくサスケファミリーズ《チームMSF》の敵ではない。両サイドから取りついた、ツルタ氏の特殊警棒と水面のダブルスレッジハンマーで頭と背骨を叩き折られた魔物仔羊は、その二撃で完全沈黙。俺がウエストポーチのポケットから黒玉を取り出すころにはすべての戦闘に決着がついていた。
もしかして俺、要らない子? カレー担ってこのチームに必要なの?
⌚
ツルタ氏が特殊警棒で魔物の口を検分しはじめた。百合の花弁のように開かれた六対の顎には細かい牙が無数に並んでおり、その奥からざらざらした表面の三枚の長い舌がだらしなく垂れ伸びていた。
「あのオークたちはこいつにやられたのかもしれませんね」
ジュラルミンの警棒で魔物の歯を叩く音が隧道内にキンキンと響く。ツルタ氏は言葉を続けた。
「この硬い歯と、口を閉じるときのあの勢いからすれば頭蓋骨に穴を開けるのも容易でしょう。長く伸びる舌はあきらかに中味を吸い上げるのに適しています」
水面が身震いをしている。
そりゃそうだ。なにしろ、自分の頭があのオークたちと同じく空っぽにされるところだったんだから。
「でも、あれだけの数のオークを全部こいつが一匹で……?」
「いや、それはさすがにないでしょう」
鏡華の疑問にツルタ氏が考察で応えた。
「前に針井くんが言っていましたよね。一年近く前に薬事犯を追ってこの迷宮に入ったとき、第四層で双頭の羊と邂逅した、と。人を食うその魔物が雌で、もしも子どもを産んでいたら」
「……バフォメット」
水面がその名を口にした。
「もしくはそのつれあいでもいい。とにかくそいつ、バフォメットが複数の子を成していたら、三十余匹のオークを皆殺しにできたかもしれない」
独り言のような語尾で腕を組んだツルタ氏は、ひと呼吸ぶんの思案顔を浮かべたあとにふたたび口を開く。
「あの死体を見た際に、自分は針井くんの話を思い出しました。でもサイズに問題があり過ぎる。彼の言葉を信じるとするなら、対峙したバフォメットは相当な大きさになるはず。自分らが出くわしたあの部屋では、たとえ中で暴れることができたとしても出入りは不可能です。だからその想像は成立しなかった」
仔羊の死体を一瞥したツルタ氏は、顔を上げて俺たち全員を見回した。
「でもその子どもたちなら、このままのサイズであれば出入りの件は完全にクリヤします」
俺にもイメージができた。この魔物仔羊が十頭、いや五頭いれば、あの数のオークを全滅させることも可能だったかもしれない。
「オークが家族を重んじ、一族で暮らす動物だとしたら、こいつらの見た目は間違いなく油断に繋がります。さきほどの水面さんのように、庇護欲にかられたオークは警戒心を解いて自ら近づいていったことでしょう。あとの想像は、みなさんにおまかせします」
水面も鏡華も、むろん俺も、思いあたるものがあり過ぎて黙ってしまった。
はっきり言おう。こいつは人品にもとるとんでもねえトラップだ。その昔、どっかの国で子どもを使った自爆テロがあったと聞くが、それに匹敵する所業だよこれは。あんな愛らしい顔で相手の警戒心を骨抜きにしたうえで、思い切り寝首をかく。それどころか、頭をかち割って脳味噌を食うなんて。悪行にしたってほどがあるってもんだろう。
俺たちは三人とも頭に血がのぼって、完全に視野狭窄に陥っていた。周りも可能性も、いま自分たちが居る場所のことさえも考えから抜け落ちていた。
霧に紛れた意識の向こうでツルタ氏の声がぼんやりと聴こえてくる。
「……この仔羊が一頭だけの存在でないとしたら。こいつの兄弟姉妹が他にいるとするならば、いまここで死体となったこの一頭がなぜ一頭だけでここにいるのか、他の兄弟たちはどこにいるのか。そして、針井くんによって手負いとされた彼らの親は……」
リュウの唸り声で意識が繋がった。
まだいるのか?
脇道を振り返る。俺のライトを反射して、いくつかの星がまたたいた。よっつ、むっつ、やっつ……。
「六匹もいるよ!」
鏡華の叫び声が響く中、仔羊の群れは脇道から俺たちのいる交差点に現れた。慎重なでも確実な足取りで群れを広げ、俺たちを追い込んでくる。もはや様相は愛玩動物のそれではない。なんていうか、無表情の西洋人形に囲まれた気分だ。背筋が凍る。
大きめの四つ角程度の広さしかない場所だが、こう広がられてはリュウの【威嚇】も二頭止めるのがやっとだろう。たとえわかっていても、こいつらの嚙みつきの素早さは鏡華以外は対応できない。彼女にしたって多方向から襲われたら無事では済まないはず。
俺は即決した。
今日の仕事がフイになり、手持ちの機材すべてが遺失対象になろうとも、ここでやられるわけにはいかない。
「みんな伏せろ! バイザーおろして顔を覆え!!」
意図を読んだツルタ氏がうずくまる。遅れて鏡華と水面も、リュウに覆いかぶさるように身体を丸く固まった。
あとはスーツのスペックを信じるしかねえ。
「行っけええええっ!」
思いっきりの勢いをつけて、俺は両手に持った拡散黒玉を群れの足元に投げつけた。




