第44話 玉突き ~迷宮世界が書き換わっていく音がする~
第二層からの登り路は随分と整備されていた。手摺代わりにもなる発光ケーブルと足元の反射板。道幅も気持ち拡張されて、二人並んで歩ける余裕が先まで続いている。新宿区も商店会も本気らしい。第二層までのクリヤランスが完了したって話も眉唾ではなさそうだ。
「人のチカラってのはたいしたもんスね」
つぶやきのようにこぼした俺の台詞を、うしろを歩くツルタ氏が拾った。
「ですね。先週末にはこんな明るさはなかったですし」
思いのほか低い声色は、「それよりも」と続く。
「ランボさんはどう思われました? 今日の現場を」
ツルタ氏が指摘するのは今日の昼間に作業した第三層の輻輳回廊のことだ。いくつかの隧道が寄り集まるハブのような回廊で、機器の設置数も大いに稼げたところではあった。が、隣り合わせの部屋のように並んだ二つの洞窟の片方に、とんでもない惨劇の跡が残されていたのだ。
⌚
異臭ただよう回廊を慎重に探っていた俺たちは、匂いの元がそこだと見当をつけた。
「見てくるからちょっと待ってて」
先鋒を務めている鏡華が洞穴の入口に向かった。異臭がきつくなったらしく、鼻と口に手を当てている。ヘルメットに付けたライトが、鏡華が覗き込む穴の内部を照らし出しているはず。
刹那、鏡華の口から、これまで聞いたこともないくぐもった悲鳴があがった。鏡華らしからぬ不安定な足取りで後ずさっている。あきらかに動転した様子だ。
ふらついた彼女の肩を両手で受け止めたツルタ氏が、替わって洞穴の中を覗き込む。メデューサと目が合ったかのように硬直したツルタ氏は、俺にも聞こえるくらいの音を立てて唾を飲み込んだ。
「ランボさん。ちょっときてください……」
二灯のライトで照らされた洞穴は、大会議室ほどの広さだった。生き物の気配はない。いたって普通の洞窟。だが、地面に散らばっていたものはまったく普通じゃなかった。
そこにあったのは、夥しい数のオークの死体。
足元が重心を失った。
殺戮のフラッシュバック。胎児のように縮こまった黒焦げの燃えカス。くすぶった熾きを明滅させ煙をくゆらせる赤黒い肉塊。小さきものを抱え込んでうずくまる数多の黒い人型。何重にも重なり合った映像が頭の中を覆い尽くしていく……。
「ランボさん、ランボさん!」
耳元で叫ぶツルタ氏の呼びかけで、俺は正気を取り戻した。どうやら膝をついていたようだ。
「大丈夫ですか?」
片手をあげて支障なしを示した俺は、もう一度目を開いて洞穴の実情を見直した。俺が幻視した記憶のイメージと違い、そこで死んでいるオークたちは焼け焦げてなどいなかった。
ざっくり数えて三十はある死体の四肢はほとんどが折れ曲がっていて、刃物や銃器ではなく打撃によって倒されている。よほど強い力を持った敵と遭遇したのだろう。
そして致命的なのは、すべての死体が後頭部をかち割られていたこと。どす黒く地面を覆う水溜まりは、彼らの破裂した頭から流れ出た大量の血。異臭の源だった。
「どういうことだ、これは」
一頭残らず殺し尽くされたオークの集団をいきなり見せられてその要因を特定するなど、いくら認知が拡張されたツルタ氏であっても答えられるはずはない。
「わかりません。なぜ脳だけが失われているのかも」
「脳?」
「ええ。ちゃんと検分してみないと断言はできませんが、頭蓋骨の中味はおそらくどれも空っぽでしょう。たぶんですが、そこだけを選んで食われている」
ツルタ氏のヘッドライトが指し示しているのは数歩分先でうつぶせになっているオークの死体。言うとおり、開いた後頭部の内側はがらんどうだった。
背後でえずくうめき声がした。
振り向くと、むこうを向いてうずくまる鏡華の小さな背中を水面がさすっている。
「バランスが崩れたんじゃないでしょうか」
ツルタ氏の冷静な声色が、この異常な状況から理性を繋ぎとめてくれる。
「ゾーニングが破れた。自分はそう解釈します。このオークたちは、今はトヴォトリエと名付けられたあの広場を根城にしていた集団ではないかと。自分らがおこなったあの掃討作戦で、あそこにいたオーク集団は一斉に第三層へと逃げ込みました。ここは彼らがこの地に落ち延びた仮住まいで、それが元から第三層に棲んでいる別の魔物の縄張りと被り、襲われて餌食となった……」
目の前がまっくらになった。
ツルタ氏の推測通りだとすれば、玉突きの最初のキューを突いたのは俺たちだってこと。俺が投げ込んだ蓄電石の放電は、いままで均衡が保たれていたエコシステムを根底から破壊する、まさにブレイクショットだったのだ。
「先日の、針井くんと出会った際も妙な気はしていました。あのとき先に遭遇したミノタウロスは、自分らを襲いにきたのではなく追撃するマンティスから逃れての遁走でした。経験や情報が不足しているので断言はできませんが、あのような魔物同士のクリティカルな会敵は、いままではあまり聞いたことがなかったので」
「俺の暴走が迷宮の均衡を破る引き金だったのか……」
「そうは言ってません」
頭を抱える俺に、ツルタ氏は強く反証してくる。いや、してくれる。
「いま上で行われている開発を見ればわかります。彼らは、人間は、このタイミングを待ち構えていたのです。シナリオをつくり、思い通りになるよう布石を打って、最後の一藁を誰かに乗せさせる。そうやって版図を広げてきた生き物ですから」
⌚
「ツルタさんのあの言葉には正直救われたっスよ。俺がやったことはもちろんとんでもねえ悪行なんだけど、俺一人が背負うもんでもないって感じで。や、アタマでは前からわかってたんスけど」
小さな声で「おそれいります」と応じたツルタ氏は、半歩詰めて言葉を続けた。
「それも、ですが人間は、いや、王塚スタアはどこまでやるつもりなんでしょうか。この迷宮を新大陸のように征服し、完全に人間の世界に書き換える気なんですかね」
連絡路が終わり、第一層のとば口に出た。広場は地方駅のショッピングセンター並みの明るさで賑わっていた。探索者のファッションに身を包んだカップルと擦れ違う。
あの細っこい腕じゃ、バットだって振れないだろうに。
地上と見紛う日常風景に出たからか、ツルタ氏は口をつぐんだ。たしかにこの景色を見ていると、ひと月前までの迷宮が嘘に感じられるくらい俗化が進んでいる。
こりゃ、グランドオープンを謳いたくもなるよな。
迷宮ジビエののぼりを立てた屋台を横目で見ながら、俺はつぶやいた。
「いまごろあの洞窟じゃ、食肉業者がてんてこ舞いしてんだろうな」




