第97話 「かつての因縁」
考え事をして、浮ついていた俺を引き寄せ、迫り来る大型車から守ってくれた者がいた。
振り返ると、そこには顔なじみこそないが、よく知っている男子生徒の顔があった。
「おい。何してんだよ、橋田直之」
「君は……っ」
「何考えてんのかしんねーけど、下手したら死んでたぞお前」
「あ、ああ。ごめん、ありがとう」
「どっちだよ……」
後頭部に手を置き、少し困惑しながら視線を横に逸らす笹原裕翔。
呆れたような顔でこちらを見てくる彼は、かつて俺を憎く思い、未遂に終わったものの俺を陥れようとしたことのある男子生徒……笹原裕翔だった。
しかし、どうして彼がここにいるのだろうか。
俺は思ったことをそのまま彼に聞いてみた。
「で、でもどうしてここに?」
「あぁ、買い出しだよ。お菓子とか飲み物とか」
「なるほど……」
つまり彼も俺と同じように……。
そんな風に納得の表情を浮かべていると、笹原は訝しげな視線を送ってくる。
「……なんか勘違いしてないか?」
「え、どういうこと?」
「俺はお前と違ってパシリとかじゃないから」
「え、そうなの!?」
俺が露骨に浮かべた驚愕の表情に彼は深い溜息をつく。
しかし、お菓子や飲み物をパシリ以外で買いに来るなんて……他に理由が見つからない。
「はぁ……俺は生徒会に差し入れを買いに来たんだよ。ちょうど休憩を貰ってな」
「生徒会……あぁ、そっか」
笹原が何を言いたいのかようやく理解した。
そうだ。毎年学校祭を運営し、取りまとめるのは生徒会だった。
各学年、クラスからくる申請書全てに目を通し、確認印を押したりするのも彼らの仕事だ。
他にも会場準備や当日の司会としての台詞やスピーチ、スケジュール管理などと、生徒会には教員達に勝るとも劣らない程に多くの仕事がある。
生徒会長で、実行委員長でもある沙耶香先輩はきっと大忙しのはずだ。
そんな中休憩を貰ったら……俺も彼と同じような行動に出るだろう。
「わかったか?俺はお前と違って忙しいんだ」
「そっか。勘違いして悪かった」
「ふんっ、わかればいいんだ」
そういった彼の顔はまだムスッとしていた。
しかしそれとは別に、俺はある疑念を抱いていた。
彼は1度たりとも、俺とまともに視線を合わせようとしない。
目が合う時も、笹原が情動的になっている時だけだ。
こういう時間が続くと、なんだか気まずくなる。
まあそれはそれとして、行先は同じだったので、信号が青になったと共に、俺は彼と並んでスーパーへと向かった。
隣を歩いていても、嫌がっている様子はないが……
そんなことを考えながら、俺達は各自お菓子や飲み物などをカゴに入れ、レジに並ぶ。
会計の際に、財布の中身を確認すると、意外と持ち合わせが少なかったことに気づいた。
不安を抱えながら合計金額が出るのを待つ。
金額が表示され、俺はもう一度財布を確認する。
どうやら100円程足りないみたいだ。
学校に戻ったらクラスの人達から割り勘という形で返ってくるだろうが、問題は今この状況をどう乗り切るか。
そう考えていると、後ろに並んでいた笹原が何も言わずに100円を渡してきた。
「え、なんで……」
「……いいから使え」
俺の手のひらに置いた瞬間、彼は俺がお金を戻さないように両手を引っ込める。
やはり目も合わせてくれないので、彼の言葉通り、受け取ったお金を使わせてもらった。
会計後、俺達は帰りも同様、並んで学校まで帰ることになった。
帰り道と言っても、歩いて10分と言ったところなので、学校まではすぐなのだが、ここまで会話は1つもなかった。
そして、依然として視線は合わない。
彼の考えが全く分からないが、このままの雰囲気を保ち続けるのはあまり好ましくないな。
何か場を和ませられるような言葉を探しながら歩いていた。そんな時だった。
「……なぁ、橋田直之」
視線は合わせないものの、ようやく彼から口を開いた。
「あ、えっと、何?」
「……まぁ、なんだ、その……あの時のことだがな」
「あの時の……?」
俺と笹原が実際に関わったのは1度だけだ。
つまり、彼の言う「あの時」というのが何かすぐに理解した。
そう、あの時……彼がとある理由から俺を陥れようとした時のことだ。
しかし、今になってあの時のことを掘り出すのは一体どうしてだろうか。
「あぁ……あの時のことはその……悪かったと思ってる」
そっぽを向いていた彼の目は少し下を向いており、その横顔にはどこか申し訳なさそうな表情が見られた。
でも、その事ならあの時ちゃんと謝ってもらったし、もう解決したものだと思っていたが、彼の表情からして、未だにあの時のことを気にしていたのだろうか。
「恥ずかしい話だが、あの時俺はお前がとてつもなく妬ましかったんだ。それで……」
彼の顔を見て、彼が何を言いたいのかわかった。
ふとして生まれた嫉妬心。そんな負の感情に身を任せて一時の理性を欠いて俺にあんなことをした。
それを本気で申し訳なく思っている。
確かにそう伝わってきた。
「わ、わかってるって。あの時も言ったけど、俺も気持ちは分かるから」
「そ、そうか……。それと、お前にちょっと見てもらいたいものがある」
そう言って彼はポケットからスマホを取り出し、片手で何か操作をした後に俺に画面を見せてきた。
「これっ、て……」
画面に移る1人の男を見た時、俺は言葉を失った。
それはおそらく中学生2、3年ぐらいの写真だ。
とてもじゃないが、これを普通の人間と呼ぶには見た目が酷すぎた。
前髪は両目を覆うほど長く、髭は中途半端に伸びている。
その頭はボサボサで、顔にはいくつものニキビができていた。
「そん時のクラスのやつがからかって撮った。……昔の俺だよ」
「昔のって……え!!?」
衝撃の事実に俺は目玉を飛び出させる勢いで驚いた。
こんな不潔の塊みたいな男が中学時代の笹原裕翔だなんて……っ。
「ずげーだろ?これから今の俺になったんだぜ?」
「え、いやすごいなんて次元じゃないだろこれ」
むしろ全くの別人じゃないかって本気で思ってるくらいだ。
「はは。まぁこれが現実だ。そして俺がこんなキモイやつから今の自分になったのにはちゃんと理由があるのさ」
「理由って……」
「あぁ、あれは俺が中2ぐらいの時だったかな」
そう切り出した笹原は、俺に過去の話を淡々と語り始めた。
彼が変わるきっかけを与えてくれた、ある人との出会いの話を────。




