第92話 「夏祭り 5」
「今、なんて……」
俺は困惑した。
……いや、困惑する間もなかった。
ただ、その一言だけが俺の口から放たれた。
本当に一瞬の出来事だ。
彼女は今、一体なんて言ったんだ。
はっきり聞こえた。が、どうしても1度で飲み込めるような言葉ではなかった。
「だからねぇ、もし私がぁ……付き合ってってぇ」
「オーケーもういいよ篠崎さん」
少々変な風にツッコミを入れてしまったが、これ以上聞いても認識が変わる訳でもない。
こんな時、「え、どこに付き合えばいいの?」なんて言うアホが偶にいるが、俺はそういった部類ではない……
ま、まぁ一応聞いてみよう。
「え、えーっと、どこかに付き合ってとか、そういうベタなやつじゃない、よね?」
「う〜ん、そういうのじゃないかなぁ」
「で、ですよね……」
まあ分かってたけど。
て、いやそうじゃない。
とりあえずもう一度冷静に状況を整理しよう。
えーっとつまり……今俺は、篠崎さんにこ、告白?されたってことなのか?
う〜ん……ちょっと状況が分からないよね。
いきなりすぎるでしょ。
「え、えっと……なんで急にそんなことを……?」
全然そんな雰囲気じゃなかったし。というか、篠崎さんが俺の事を……そこがよく分からない。
そんな素振りはなかった。
しかも、篠崎さんとは会って間もないんだ。そんな気持ちになる時間も、理由もなかった……はずだ。
「え〜、だってぇさっきもそうだけどぉ……橋田くん、私といると楽しそうだからぁ」
彼女の放った言葉に俺は反論することが出来なかった。
確かに、篠崎さんといる時、話している時、俺はとても自然体だった。
好きなもので語り合える楽しさは存分に感じていた。
彼女といると、とても落ち着く。
この感覚に嘘はない。嘘はない、が……。
「私もねぇ、橋田くんといるとすごく楽しいの〜。だからねぇ、このまま恋人とかになったらもっと楽しいのかなぁって〜」
とうとう彼女はストレートな言葉を混ぜてきた。
このまま恋人になったら、か……。
俺はふと頭の中に思い浮かべてみた。
このまま篠崎さんと付き合ったら……。
毎日一緒にいて、アニメとか漫画のことを話し合ったり、一緒にアニメショップとか行ったり、聖地巡りなんかもしたりして……。
ほんの僅かな想像ですぐに分かった。
そんな毎日はきっと、楽しいんだろうな。
だけど……。
俺の頭の中には、他にも別の風景が思い浮かんだ。
そう。あの3人といる時の光景が。
彼女達との時間もまた同様に、楽しくて、幸せなものだった。
その時間はもう、俺の中でかけがえのないものとなっている。
そんな思い出と、篠崎さんといる時間を秤にかけることなんて出来ない。
誰といるのが1番楽しいか、そんな風に考えること自体間違っている。
俺が今やるべきことはただ1つだ。
俺が……誰といたいか。この手で誰を幸せにしたいか。
あまりにも分不相応で、おこがましいこと限りないが、それが今、俺ができること。俺が考えなければならないことなんだ。
だから……。
「……ごめん」
そんな言葉と共に、俺は軽く頭を下げる。
「私のこと、嫌いなのぉ?」
「そうじゃない。嫌いな訳ないよ」
「じゃあ、なんでぇ?」
「それは……」
俺は1度口を噤み、少し俯く。
考えていた理由はすっと言葉に変換されていった。
「好きって……そう言ってくれる人がいるんだ」
「それってぇ、あの3人のこと?」
「……うん」
どうやら彼女は最初から知っていたようだ。
まぁ、この状況から見て普通の人間ならすぐに分かるか。
「情けない話なんだけど、俺はまだ返事ができてないんだ」
言葉にすると、本当に情けない話だ。
ずっと待たせて、もどかしい思いもさせてしまっているかもしれない。
だからこそ俺は……。
「だから俺は、皆のことを1番に考えなきゃいけないんだ」
俺に想いを伝えてくれた皆のため、俺は皆のことを何よりも最優先に考えなければならない。そして……。
「そして……俺は皆の気持ちに答える」
たった1人を、俺自身の意思で選ぶ。
何度もそう言い聞かせてきた、俺が今唯一できるけじめだ。
「だから……篠崎さんの気持ちには、今は答えられない」
「そっ、かぁ……」
「でも、篠崎さんのこともちゃんと考えるから」
まだ会って日は浅い。でも、彼女が俺に伝えてくれた想いは、雅達と何も変わらない。
彼女の言葉を紳士に受け止め、真剣に考えて決める。そうしなければ篠崎さんに失礼だ。
「だから篠崎さん!俺はっ……」
「うん、わかったぁ」
「……え?」
俺がその考えを伝えきる前に、彼女は承諾の言葉を放った。
「わ、分かったって……」
「うん〜。だからそれまで待っててってことだよねぇ?」
「え、まぁ、そうなんだけど……」
俺は正直、肩透かしを食らった。
まさか、こうもあっさりとした表情で首を縦に振ってくれるとは思っていなかった。
やっぱり、まだ篠崎さんのことはよくわからない。
「ならいいよぉ。ちゃんと皆のことを考えてくれてるのがわかったから〜」
「そ、そっか……」
「うん。それよりぃ……」
そう言いながら、篠崎さんは視線を下の方に向けた。
「さっきねぇ、橋田くんの携帯鳴ってたよ〜?」
「え!?」
俺は慌ててポケットからスマホを取り出し、電源を入れる。
ロック画面には、1件の着信通知が表示されていた。
彩乃からの着信だ。
同時に画面上の時計を見ると、篠崎さんと出発してから既に30分以上過ぎていた。
「やば!もうこんな時間!早く入口に戻らないとっ」
「先に戻ってていいよ〜。私ぃ、すご〜く足が遅いからぁ」
「え、でも……」
「私ぃ、もうちょっとあの屋台にいたいからぁ、大丈夫だよ〜」
「そっ、か……じゃあ、ごめん。先に戻る」
彼女の言葉に甘えて、俺は先に入口へと走り出す。
横目には、微笑みながら手を振る篠崎さんが見えた。が、次第にそれも遠のいていく。
人の影に隠れたのを確認し、俺は前を向いて全速力で駆けた。
そんな頃……篠崎真帆は、直之が見えなくなったのを確認し、振っていた手を止めた。
「……そっかぁ……そっかぁ」
そんな言葉を繰り返す彼女の顔に、一切の翳りはない。
むしろ……彼女は満足そうな表情を浮かばせ、そして────
「……よかったぁ」
小声で放ったその言葉と共に、彼女は口元に細い笑みを見せた。




