第82話 「楽園」
───なんだ、これ。
さっきから、体の震えが止まらない。
高揚してるんだ。
俺は今……ココ最近で1番昂っている。
目の前に広がる光景がそうさせているんだ。この場所はまさに……そう、楽園だ。
ここは楽園と呼ぶに相応しい。
「どーしたのぉ?橋田くん〜」
「……いやぁ、すげぇなって」
はち切れそうなまでに目を開き、瞳を揺らしている俺の横顔を見て、隣を歩く彼女の口元にも笑みが零れていた。
「え、何?篠崎さん」
「ううん、喜んでくれたみたいで良かったよ〜」
あぁ、そうだった。ここに連れて来てくれたのは、篠崎さんだった。
急に押しかけてきた時はどうなるかと思ったが、まさかこんな所に来させてくれるなんて。
こういう場所があったのは知っていた。確か2ヶ月ぐらい前だったか。
ここ……超大規模アニメショップが隣町に開店したのは。
この辺りには今まで、こういったヲタクにとっての憩いの場がただのひとつもなかった。
みんな少し離れた大きな街に行くか、インターネットを介してヲタクライフを過ごしていたはずだ。
そんな時、この街にできたアニメショップはまさに天国。
ずっと来てみたいとは思っていた。
でも、なかなかそういった機会は訪れなかった。
……いや、機会はたくさんあった。
でも、それどころじゃないくらい、他のことに夢中だったからな。
みんなとの時間を過ごすことに。
だからといって、俺はやっぱり生粋のヲタクだったみたいだ。
この場所に来てからずっと浮かれているんだから。
俺、ここに来れて良かった。本当に良かった。
「ねえ、橋田くん〜」
「な、何?」
「気になってたんだけどぉ……なんで入ってから1歩も動かないのぉ?」
「……」
俺は辺りを見回す。背後にはいまさっき入った自動ドアがあった。
「あれ、ほんとだ」
いかんいかん。感動に浸りすぎて全く動いていなかった。
「せっかく来たんだからぁ、もっと色々回ろうよ〜」
「あ、そ、そうだね。うん、そうしよう」
そうだ。せっかくこの暑い中来たんだから、思い切り楽しまねば。
「じゃあ〜、どこから行くぅ?」
「え、あぁ、そうだな。それじゃあまずは……」
そしてついに、俺達はこの広大なアニメショップを歩き出した。
「すごい!こんなのまであるんだ!!」
「さっきからそればっかりだね〜」
その通り。さっきから俺は、「すごい」だの「やばい」だのとしか言ってない。
だって本当にそう思うのだから仕方ない。
俺の見るアニメ……もとい、俺の好きなアニメや漫画は世間一般でいうマイナーなものが多い。
あんまり人気にならないアニメばかり好きになってしまう。
だからだろうか、あまり自分と同じ趣味の人とは会ったことがない。
でも周りを見ると、俺の見たいコーナーに何人もの人がいる。
ここには、俺の好きなものがたくさんある。
俺の好きなものを同じく好きな人達も大勢いる。
流石に話しかける気にはなれないけど。でも、いるっていう事実を知れただけで俺は嬉しい。
……ダメだな。ここは本当に現実世界だろうか。もしかして異世界なのではないか?
「あ、橋田くん〜、それ〜」
俺が気まぐれに持ち上げたクリアファイルに描かれたキャラを篠崎さんが指さした。
「え、あ、これは……何のキャラだ?」
俺の知らないキャラだ。
……いや、多分知っている。俺はこのキャラを見たことがある。
この辺は最近のラノベ原作アニメのグッズが並んでるコーナーだけど、一体何のアニメだったっけ。
篠崎さんの口ぶりからして、彼女はこのキャラを知ってるみたいだけど……。
「ねえ篠崎さん、このキャラ何だっけ?」
「これはね〜、前期やってた『閃光のエルドラド』のキャラだよ〜」
「え、それ見た!!こんなキャラいたかなぁ……」
「8話で少しだけ出てきたかなぁ。原作ではメインキャラになるんだよぉ?」
そっか道理で……アレは原作読んでないからなぁ。というか、アニメでもほとんど出てきてないのにグッズがあるのか。流石はアニメショップ。
……と、いうよりも。
「凄いな篠崎さんは!!」
「うん〜、ガチ勢だよぉ?」
「ガチ勢って……」
うおっ、女の子の口からそんな言葉聞いたの初めてだ。
それにしても、篠崎さんは俺が思っている以上にアニメ好きなんだな。というか……ヲタクだな。
「あ、そういえばあのアニメで気になってたんだけどさ!」
「どうしたのぉ?」
「ラストのシーンで主人公のライバルみたいなキャラが出てくるよね!あのキャラって……」
原作を知っている篠崎さんに、俺は気になっていたことを全て質問する勢いで彼女へ距離を詰める。
この時の俺には、アニメのことしか考えられなかった。
同じ場所で、何時間も彼女と話をした。最初は俺だけ熱くなっているような気もしたが、多分彼女も楽しそうにしていたと思う。でないと、いつまでも俺の話に付き合ってくれないだろう。
「それでさ!あの時の……って、もうこんな時間!?」
店内のデジタル時計に目をやると、午後3時という表示が出ていた。
ここに来たのが11時半だったから……もう3時間半も経っていることになる。
そんな長時間アニメの話をしたのは初めてかもしれない。
これ以上長居するのもあれだし……そういえば俺、今朝から何も食べてなかった。
そろそろ家に帰って飯を……。
「……そろそろ帰ろうか」
「そお〜?橋田くん、何も買わなくていいのぉ?」
「あ、うん。なんか見るだけで満足しちゃって……それに、俺今朝から何も食べてなくて、腹減っちゃって」
正直もうちょっと物色していたいところだが、それよりも今は何か食べないと、アニメショップを楽しむ所ではない。
そう考えての提案だったが……。
ポンっと、何か閃いたように彼女は手を軽く叩く。
「そうだぁ、じゃあ〜今から食べに行こ〜」
「えっ、このまま!?」
「うん〜。行こうよ〜」
まじか……。
これは想定外だった。というか、俺の今の状況って……。
アニメの話に夢中になりすぎてすっかり忘れていたけど、俺の横にいる子ってうちの高校トップクラスの美少女なんだよなぁ……。
そんな子が一緒にご飯食べようなんて、普通にびっくりだわ。
しかしまぁ……せっかく隣町まで来たんだし、ただ帰るだけというのも勿体ない気がする。
家に帰るのにも時間がかかるし……彼女の提案は正しい。
「そう、だな……せっかくだし、この辺りで食べていこうかな」
俺がそう言うと、彼女は急に俺の手を握ってきた。
「じゃあ早速行こ〜」
「え、ちょっ、どこ行くか決まってるの!?」
「う〜ん、どこにしようかなぁ」
またノープランかよ……。
まあ、ここに来る前も考え無しに歩いてるくせに、なんだかんだでここにたどり着いたし……また彼女の気まぐれに身を委ねるか。
俺は手を引かれるがまま、長時間居座ったアニメショップを後にした。
そんな俺達の姿を偶然、本当に偶然目にしていた者が───3人いた。
1人はすぐ近くにある商店街の一角から……
「直之、くん……?」
1人は少し離れたところに位置する移動販売のクレープ屋から……
「せんぱい……?」
そして1人は、隣接する歩道の端から……
「ナオ、くん……?」
彼女達は偶然にも、その光景を目にしたのだった。




