第74話 「覚悟」
「我儘、ですか……?」
先輩が俺に我儘って……一体どんなことなんだ。
「急がなくてもいいって言っておいて、とても図々しいのだけど……それ、やっぱり無しにしてくれないかしら」
「え、それって……」
今回は先輩が何の話をしているのかすぐに分かった。
少し前に先輩は……先輩達は言った。
急がなくてもいい。少なくとも先輩が卒業するまでは決めなくてもいいと。
しかし、それを彼女は無かったことにして欲しい。そう言っているのだ。
「私、高校を卒業したら、祖母の地元で進学しようと思っているの。少しでも祖母の近くにいたいから」
そうか。確かに、介護施設にいるとはいえ、体の弱ってきている祖母に寂しい思いはさせたくないだろう。
そっちの大学に進学するのは理にかなっている。
「それに、大学にはなるべく少ないお金で進学したい。そのためには特待生で受験に合格しなければならない」
「でも、先輩の成績なら」
「そんなに大学は甘くないわ。自分の成績におごっているうちに、他のライバル達にすぐ追い抜かれてしまうものなの。だから……」
彼女はそこで1度言葉を噤み、軽く拳を握る。まるで、何か大きな覚悟をしたかのように。
そして、俺の推測は正しかった。
「だから……この旅行が終わったら、私は受験に切り替える。しばらく皆とは会わないわ」
「会わないって……」
俺は動揺が隠せなかった。
まさか、俺達の知らないうちにそんなことを考えていたなんて。
しかし考えてみればそうか。沙耶香先輩は受験生。その年の夏をこうして俺達と一緒にいることの方が普通じゃない。先輩は俺達のために、自分の勉強時間を削ってまで旅行に来てくれたんだ。
「それに多分、受験に合格すればすぐにあっちへ行く準備をしなくちゃいけないから、その後もほとんど会えないかもしれない」
「そんな……」
「だからね、お願い……もう少しだけ早く、あなたの答えを聞かせて」
そこで初めて、彼女は俺の方に体を向けた。
淡い月明かりでもはっきりと分かるぐらいに、彼女の顔は赤1色に染まっている。
「出来れば私を選んで欲しい。けど……あなたが誰を選んでも構わない。早く答えを聞きたいの。じゃないと、いつまでも心残りがあって勉強に集中出来ないから……」
俺達の中の誰よりも堅実で、真面目な彼女だ。勉強と恋愛を両立できるほど、器用ではないのだろう。どちらが1つに集中したいという彼女の考えはよく分かる。和希やちさ姉にも早くした方が良いと言われた。
「もう一度、ちゃんと言うわ。橋田直之くん……私は、あなたが好き」
「先輩……」
「今とは言わないわ。催促するようで申し訳ないのだけど、でもなるべく早くに返事が欲しい。多分それは、私だけじゃなくて、他の2人の為にもなると思う」
彼女は、自分だけではなく、他の2人……雅達のことまで考えている。そうだ。本当は、「急がなくてもいい」という言葉に甘えてはいけないんだ。
「それじゃあ私はそろそろ部屋に戻るわ。明日も遊ぶのだから、ちゃんと寝ておかないとね。おやすみ」
そう言って、俺に1つ笑みを残して彼女は踵を返す。
これまで先輩は、俺に悟られないように、必死に考えて、悩んで……そして決めたんだ。
俺がうじうじしている間に、彼女はいくつもの決断をしたのだ。
俺はただ、向き合って、考えて、決めようとする格好をしていただけだった。
でも、もうそんなことは言ってられない。
俺は、彼女達に見合うだけの努力をしなければならない。
ちゃんと真に向き合い、そして決断する努力を。
この一瞬で全ての物事を処理できるほど頭の回転は早くないし、心の準備もままならない。
だが、俺は1つ覚悟を決めることにした。
そして、既に背中を向けていた彼女を引き止めにかかる。
「先輩のこと、まだよく分かってない部分もあります……でも俺、決めました!」
彼女はピタリと立ち止まり、俺の言葉に耳を傾けてくれた。
「夏休みが終わってすぐにある文化祭……それまでに絶対答えを出します!」
なるべく早く、と言っただけで、彼女はいつまでという期限を設定していなかった。
それは、俺にそこまで決めるようにというメッセージなのではと思った。
例えそうでなくても、俺は自分で、自分の言葉で意志を決定しなくてはならない。それが俺に出来る最低限のことだ。
俺の声高らかな宣言に、彼女はくるりと振り返り、振り向きざまに穏やかな笑みを見せた。
「……うん。待ってるわ」
「はい!」
その後、彼女はすぐに方向を転換させ、すたすたと部屋へ戻っていった。
興奮と緊張のし過ぎで更に火照った体を覚ますのに、俺はもう少しだけ夜の潮風にあたっていくことにした。
スマホの時計を確認し、俺はぼそりと呟いた。
「もうすぐ、明日……か」




