第73話 「好きの理由 後編」
「私、やっぱりあなたが好き」
ふと、唐突に放たれたその言葉。
とても単純で、とても不可解なその2文字の言葉は、一時的に俺の体を硬直させた。
「ねえ」
「え……あ、はい?」
「……好きになるって、どういうことなのかな?」
間髪入れずに飛んできた謎の質問は、俺の思考をさらに混乱させた。
やばい。マジで意味わからなくなってきた。さっきから本当に先輩は何が言いたいんだ?全然理解してあげられない。
けれど、俺に質問してるみたいだし、何か答えないと。
「えっと、好きになる、ですか……俺にはよく分からないです」
なにせまともに恋愛したことがないから、彼女の求める答えを考えることが出来ない。
「人が誰かを好きになるのって、やっぱり何かしらの理由があると思うの」
「ま、まあそうですよね」
「雅さんは小学生の時に……彩乃さんは中学生に。あなたに助けられてるでしょ?」
先輩が雅達とのことを知っていることに疑問は感じていないが、俺は言葉を返すことができなかった。
自分で助けたとか、恩着せがましいことは言えない。
「みんなそうやって、ナオくんのこと好きになって……」
そう言って彼女はまたどこか遠い目をする。
「私には、あの二人みたいな理由はないなぁって」
「先輩……」
沙耶香先輩が、何を考えているのか……俺にはよくわからなかった。けど、何かに悩んでいることは分かる。
「だからずっと考えてた。ううん……探してたの。私が、あなたを好きな理由を……」
そう聞いて、少しだけ話が見えた気がした。
彼女は……他の2人と比べてしまっているんだ。
「初めてあなたを見た時……あなたがおばあさんを助けてた時、私はすごく胸がドキドキしたの」
あぁ、そういえば、初めて顔を合わせた時にそんなことを言っていたっけ。
あの時、まさか誰かが俺の事を見ていたなんて思いもよらなかったからな。
「あんな経験初めてだったけど、何となくこれが恋なんじゃないのかなって思って……それであなたのことを追いかけてたの」
何とも曖昧な感情に困惑し、それをはっきりさせるために俺に付きまとっていたということなんだろうか。
「でも、よく考えてみると、ただあなたの笑顔を見ただけで……それだけの事で人を好きになるのかなって。私にも、2人のような理由が何かあったんじゃないかって、ずっと考えてた」
先輩と初めてあってもう数ヶ月経つが、あの暴走事件以来1度も過度な接近はしてこなかった。
それは、自身の恥と愚かさの戒めの為だと思っていたが、もしかしたら、その理由を考えていたからだったのかもしれない。
曖昧な物事ははっきりさせたそうな人だもんなぁ。
「それで、1つ思い当たることがあったの」
「それは……?」
「私は……両親がいないの」
「ッ!?」
またしても唐突に放たれた言葉は、俺だけでなく、彼女にも相当な精神的負荷がかかっているように見えた。
「私がまだ幼い頃に交通事故でね。だから私は両親のことをあまり覚えていないわ」
「そんな……でもなんでそんなことをっ」
他人に話すようなことじゃない。口にすれば、自身を苦しめることにもなりかねないと言うのに、何故彼女は俺にそのことを話したんだ?
「だから私は、今までずっと祖父母に育てられてきた。何不自由なく幸せを与えられてきた。祖父母には本当に……本当に感謝してるわ。両親がいなくても、2人がいてくれれば全然寂しくなんてない」
確かに先輩を見ていて、寂しそうに見えたことは1度もなかった。彼女は本当に幸せなのだろう。
「でも、いつまでも一緒にいることは、年齢的に無理な話しよね……中学生の時に祖父が老衰で亡くなったわ」
「そんな……っ」
幸せを感じられる存在がたったの2人しかいなかったのに、その1人を失って、悲しくないはずがない。それでも彼女は涙を流すことなく、俺に淡々と話してくれる。
「今は祖母だけになってしまった。その祖母も体が弱ってきて……今は地元の介護施設にいるわ」
「そう、なんですか」
いつも最年長として凛とした立ち振る舞いをしてきた彼女。しかし堅くなりすぎず、俺達と遊ぶ時はいつも楽しそうにしていた彼女。今日だってそうだ。そんな彼女が、俺達に決して見せなかった悲しみを抱えていたなんて。
でも、やっぱり分からない。この話と、俺を好きになる理由が俺の中で噛み合わない。
「そうやって、私は身をもって高齢者の体の脆さを知った。私達若者が、彼らの体を労り、支えなければならない。そう思った。でも、そう思っていても、行動に移せる人はとても少数だとも実感したわ」
そう。現実はそんなに上手いこと出来ていない。
高齢者を大事に……そんな言葉を真に受ける人は年々少なくなっていると思う。
口では簡単に言えても、実際目の前にそういった状況があっても、行動に移せる者はそう多くない。非情とまでは言わないが、それでもひどい話だと思う。
「だからあなたがおばあさんを助けてるのを見て、私はすごく嬉しくなった。すぐに動けなかった私なんかよりも、あなたの方が高齢者を大事にできる人なんだって。だから……私はあなたを好きになった。きっとそれが理由なんだって……思ってた」
それを聞いて、ようやく話が見えてきた。彼女が俺に何であんな質問をしたのか、何を伝えたかったのか、少しだけ分かった気がした。
でも、理解しかけた矢先の、言葉の最後に口にした幻怪な言い回し。何か含みがあるように感じた。
「でもね……違ったの。そんな大層な理由なんてなかった」
「理由がなかったって……」
「そんなのは、もうあなたを好きになった後に付け足したものだったの」
付け足したって……なんだよそれ。まるで理屈に合わない。やっぱり彼女の言っていることは分からない。分かりかけていたと思っていたのに。
「じゃ、じゃあなんで、その……俺のことを……」
「一目惚れだった。あなたの笑った顔に胸が高鳴ったの」
「え……っ」
そういえば、初めて会った時もそんなことを言っていた。
「恥ずかしい話だけれど、私はとても単純な女だったということよ。あなたもそう思うでしょ?」
「あ、えっと……」
確かに、俺は何度もそう思った。この人はなんて単純なんだと。俺のどこを見てそんなに……。
「でも好き。雅さんや彩乃さんのように、強い理由はないけれど、あなたが好きだというこの気持ちは本物。それだけは胸を張って言えるわ」
「……っ」
もう何度も口にしている「好き」という言葉。数を重ねる度に、なんだか重みが強くなっている気がする。
いつの間にか、俺も体の芯から暖かくなっていた。
こうも好き好き言われると、どれだけ平静を装っても、恥ずかしさに体が熱くなってしまう。
「ねえ、こんな単純な理由で好きになる私はおかしいかしら」
「そ、それは……」
俺にはどう答えていいのか分からない。
こんな風に自分を想ってくれている相手に、俺はどう答えるべきなんだろう。
自分の恋愛経験を引用して饒舌に語ることは出来ない。かといって、こんなに真剣に考えている人に適当なことを言うのも失礼だ。
好きになるのは何かしらの理由が付きまとう。俺も沙耶香先輩もそう思っている。
経験がなくとも、それぐらいは分かっているつもりだった。
でも、先輩の話を聞いて、俺の考えは少しだけ揺らいだ。
好意を芽生えさせるにあたって起因する事象など、単純なものでいいのでは、と。
そうさ。好きになってしまえば、それまで過程は大して問題視することではない。
なら、俺が先輩に言ってあげられることはほんの一言だけだ。
「俺は……別におかしくないと思います」
次に言おうと考えていた言葉に少しばかり照れくさくなり、視線を夜空へと移した。
「その、俺がどうこう言っていいことかは分からないですけど……好きになる理由なんて人それぞれだと思いますし、好きになっちゃったらそれまでにどんな過程があったって関係ないんじゃない、かと」
「そう、なのかしら……」
根拠の無い御託を並べただけじゃ納得は出来ないのだろうか。でも、俺にはこれしか言えることがない。
「すみません。俺にはこう言うことしか出来ません……でも、少なくとも俺は、先輩がおかしいなんて思ってませんから!それだけは本当です!」
「ナオ、くん……ありがとう。あなたからそう言って貰えるだけで、私はすごく嬉しいわ」
「い、いえ……」
朗らかな笑みを浮かべた彼女に俺は一瞬ドキッとする。
「だからね、もう1つだけ……私の我儘を聞いてもらえるかしら」
「我儘、ですか……?」




