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第72話 「好きの理由 前編」

 



 気がつけば、そこに彼女達の姿はなかった。

 スマホの画面を開くと、俺がメガネケースを取りに行った時間からかなり経っている。

 状況から察するに、どうやらみんなで始めたパーティーはお開きになったみたいだ。しかし何故だか、目が覚める前の記憶が少し飛んでいる。


 俺はこの空白の時間に何が起きたのかを、隣でスマホをいじっている和希に聞いた。



「なあ和希、雅達はいつ部屋に戻ったんだ?」


「あー、いつだったっけなぁ」



 俺の質問に和希は視線を逸らしながら空返事を返してくる。

 若干決まりの悪い顔をしているようにも見える。


 記憶が飛んでいることに関しては多少

 気になるが、まあ言及するほどのことではないかと思い、それ以上は聞かなかった。


 にしても、だいぶ長いこと寝ていたからか、再び瞼を閉じても、眠気が蘇ることはなかった。


 和希もいつの間にかスマホを充電器に差し込み、自分の布団に入って寝る体勢になっている。というか既に寝ているようだ。

 この時間で話しかけるのも悪いし、どう暇を潰したものか。


 考えた結果……何も出てこなかったので、夜風にでもあたって考えることにした。



 部屋の窓から風にあたることも出来るが、確かこの旅館には海の見えるデッキがあったはずだ。そっちの方が気分がスッキリするだろう。


 俺は灯りを消し、和希が起きないように忍び足で部屋を出た。




 部屋を出た先の廊下を右に奥まで進むと、デッキに上がれる階段があった。


 俺は階段を上がり、外に出る扉を開ける。


 微かに潮の香りのする風が優しく俺の頬を撫でる。


 そして、俺は視界に広がる光景に思わずはっとなった。


 それは淡い月明かりが反射して波と共に揺れる、夜の海景色。確かに絶景ではあった。が、俺が目を奪われたのはそこでは無い。


 その美しい景色の真ん中に、浴衣姿の女がいた。


 潮風にその長く艶やかな黒髪をなびかせる可憐な少女は、俺が今日一緒に旅行しに来た5人の中で1番歳上の彼女だったのだ。



「……沙耶香先輩?」


「ナオ、くん……」



 目が合うと彼女は少し表情が揺らぎ、すぐに視線を逸らす。

 一体どうしたんだろうか。


 彼女の言動に若干疑問を持ちながらも、ゆっくりと彼女のもたれ掛かる柵へと近づいていき、少し離れたところに俺も肘を乗せた。



「えーっと、先輩も眠れないんですか?」



 俺と同じ理由でここに来たのかと思いそう聞いた。



「わ、私はその、何と言うか、酔い醒ましに……」


「え、酔い醒まし?」



 何のことだろうか。まさか先輩のような厳格な人が間違いを起こす訳はないし、何かの比喩表現だったりするのだろうか。



「えっとそれは……さっきのこと」


「さっき?すみません、おかしな話なんですけど、ここ数時間の記憶がなくて。だからさっきと言われてもよく分からないんですよ」



 俺が記憶を無くしていることに酷く動揺する彼女だが、どこかほっとしたようにも見えた。



「そ、そう。本当にあんなので忘れられるものなのね……」


「?何か言いました?」


「な、何でもないわ」




 先程から不可解な言動の多い沙耶香先輩。そして俺の記憶から取り除かれた空白の数時間。



 チョコレートの中に含まれたアルコールに酔って、淑女に有るまじき不謹慎な立ち振る舞いをしてしまったため、瀬戸和希の提案で橋田直之の後頭部をいい感じに床に叩きつけ、記憶の消去を試みたのだ。


 そして、その現実を彼が知ることは未来永劫ないのであった。




 ─────────────────────────




「やっぱり夜は夏でもちょっと寒いですね」



 しばらく会話が途切れ、沈黙の時間が続いたからだろうか、心身共に寒さを感じ、自身の二の腕をさすった。



「そう、かしら?私はむしろ暖かいわ」


「本当ですか?もしかしてまた温泉にでも入ってきました?」


「そうではなくて……うーん」



 視線を逸らし、言葉を濁す先輩。またさっきの感じに戻ってしまったのか?



「先輩?」


「……暖かいのは、あなたと一緒にいるから、かな」


「え、それは……」



 なんだよ、その言い方。いや、言わんとしてることは分かるけど、でもこの状況でその言い方は……破壊力強すぎだろ。


「ねえ、ナオくん」


「え、な、なんですか?」


「私、やっぱりあなたが好き」


「………え」



 月明かりに照らされた彼女の顔はほんのり赤く染まり、瞳は同じく月光の下で揺れていた。



 1度聞いたその言葉。だが、初めて彼女から聞いた時よりも、俺にはなんだか重いように感じたんだ。




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