第71話 「チョコレートの恐怖」
フロントにメガネケースを取りに行った俺はちょうど今、部屋に戻る最中だった。
いつもは忘れ物なんてしないのに。
まあ、今日は浮かれてたからだろうな。
それも仕方がない。こんなイベントが俺の人生で起きるなんて考えもしなかったのだから。
そんなことより、早く戻らないとな。
俺は少し急ぎ足で部屋に戻る。と、そんな時だった。
ポケットに入れていた俺のスマホが振動しながらその着信音を響かせた。
「ん、俺の携帯から……誰だ?」
心当たりのないまま俺はスマホ画面に表示された受信ボタンをタップした後に、それを耳に押し当てた。
「はい、もしもし?」
『あぁ。俺だよ、俺』
「あ、えーっと……」
『だから俺だって。ほら、俺俺』
「……」
そのとてつもなくつまらない返しに俺は言葉が出てこなくなった。代わりに出てきたのは深い溜息だった。
「はぁ……んで?何の用だよ、ちさ姉」
俺はそのベタな詐欺台詞を発した主を自身の姉と言った。
『あちゃ、ばれちゃったか〜』
「そりゃ声でわかるよ」
今時オレオレ詐欺とか流行らないし、どうせならボイチェンぐらい使ってみせろっての。
「それで?何か話があるんじゃないのか?」
『いやぁ、ナオがそろそろお姉ちゃんの声を聞きたいんじゃないかと思ってね?』
あぁ、まだそのネタ続いてたのね。姉は俺をどれだけシスコンにしたいんだよ。
『まあ、それは半分冗談として』
半分だけなんだ。全部って言わないあたり姉ちゃんだよなぁ……。
『近々お父さん達が帰ってくるらしいのよね』
「なるほどそれで……」
両親が帰ってくることは割と珍しい。何せ色んな場所を転々としているからな。どんな職柄なのかも教えてくれないし。
帰ってくる時はいつも突然だ。
そして、帰ってきたと思ったら1日2日でまたどこかへふらっと消えてしまう。
そんな両親ではあるが、人並みには仲のいい家族だと思っている。そう思ってるのが俺だけだったらかなり悲しいが。
「話はそれだけか?」
『まだあるよ〜。それでね、さっきこっちにお父さんから電話があって、私達のことを色々と聞かれたんだ』
「なんだ。いつもの事じゃないか」
帰ってくる前に電話で俺達のことを聞くのは毎度の事だ。そんなことを言うためにわざわざ電話してきたのだろうか。
『それがねぇ……お父さんがナオに、そろそろ彼女の1人でも出来たのかーって』
「な、なっ!?」
意表をつかれた姉の言葉に思わずスマホを落としかける。
『それでそろそろあの3人の誰かと付き合ってる頃かなと思ってね』
瞬間、ぴくりと眉毛が反応する。
和希に続いて畳み掛けてくる姉の言葉に動揺したのだ。
「あ、そ、それねー……えーっと」
あまり話をややこしくさせまいと言葉を濁す。
「ナオくんのことだから、どうせまだうじうじ悩んでるんでしょうけどね」
「うぐっ……」
俺は返す言葉が見つからなかった。
流石は姉と言うべきだろうか。良く分かってらっしゃる。
「まあ、そういうのも私としては見てて楽しいからいいんだけど。漫画のネタになるし。ふふ」
……流石は漫画バカの姉だ。いつでもまるでブレる様子がない。
『あ、そうだ。旅行中になんか面白いイベントでもあったら言ってね。参考にするから』
「別に何もねえよ」
『あらそう?残念』
あの王様ゲームではクオリティ不足だろう。てか、あったとしても何も言わねえけどな。
『それじゃあ原稿仕上げないとだからそろそろ切るね。おやすみ』
「はいよ。おやすみ」
姉の方から電話を切ったのを確認し、俺もスマホをワンタップしてポケットに戻した。
それにしても……姉にまであの3人とのことを指摘されてしまった。
いよいよ覚悟を決めなければならないみたいだ。
和希に言われた時と同じような緊張感が俺の体に走る。
今までの弱かった自分を追い出すように俺は短く息を吐き、そして部屋へと戻って行った。
随分時間がかかってしまった。まだ王様ゲームやってるのだろうか。
そう思いながら俺は部屋の扉を開ける。
と、その瞬間。
「へんふぁ〜い!おそいじゃないれふかぁ〜!!」
そんな言葉と共に俺の視界に入ってきたのは、顔と耳を赤くした彩乃だった。
そしてそのまま、俺の体に絡みつくように飛びついてきた。シャンプーの香りと、女性特有の芳醇な香りがふわりと俺の鼻を刺激する。
「あ、彩乃!?ど、どうしたんだ!?」
「別にどうもしませんよ〜?いつものわたしじゃないれすか〜」
「いや、いやいや!どう見ても普通じゃな……って」
俺は現状の彩乃を見て1つの見解が浮かんだ。
別に照れてる訳でもないのに顔全体がほんのり赤い。それに若干呂律が回っていないみたいだ。この症状……もしかして!?
「お、お前まさか、酔ってるのか!?」
「よってなんかないれすよぉ?えへへ〜」
うっわ。これ完全に酔ってるわ。酔ってるやつが絶対言うやつだもん。でもなんで彩乃は酔っているんだ?お酒なんてなかったはずなのに。
俺は抱きつく彩乃を優しく振りほどきながら部屋の奥へと進む。
そこには、無言で座る沙耶香先輩と雅。そして俺と目があった和希は何やら苦笑いを浮かべていた。
「おい和希。これは一体どうなってるんだ?彩乃が酔ってるみたいなんだが!?」
「いやぁ、こいつらが買ってきたお菓子の中に少しだけアルコールが入ったチョコがあったみたいで。気づいた時にはこの有様さ」
そういう事か。これまたベタな展開だな。こういうお菓子は普通酔う程アルコールは入ってないんだけど。どんだけ弱いんだって話だ。
そういえば、彩乃はあんな風になっていたが、他の2人はどうなんだろう。
俺は試しに話しかけてみた。
「あ、あの、沙耶香先輩?大丈夫ですか?」
「……あぁ、ナオくん」
お?沙耶香先輩はそうでもないのか?普通に冷静そうだ。
「良かった。先輩は流石に酔ってないですよね」
「勿論よ。こんなことでひっく……私が酔うわけないでしょ」
ん?ん?今、ひっくって……。
よく見たら、ちょっとふらふらしているような……。
「それより……ナオくん!!」
そう叫びながら、彼女は勢いよく俺の上に覆いかぶさってきた。
「ちょ、先輩!?何してっ……」
やばい!これはマジであかん。お腹の部分に先輩のお尻の感触がダイレクトに伝わってくる。
浴衣が少し緩んで胸元が……っ。
「……ずっと、ずっと我慢してたんだから」
何を我慢しているのかはまるで分からないが、先輩はゆっくりと俺の体に顔を擦り寄せ、服の隙間から手を突っ込んでくる。
「はぁ〜、ナオくんの匂い好き〜。肌もすべすべで気持ちいい〜」
やばいやばいやばい!!このままだと俺の股間がっ!!なんとか、なんとかしないと!
そうだ。雅はどうなってるんだ。さっきから何も喋らないけど。
「み、雅は大丈夫か?」
「……」
返事がない。ふと、彼女が寝返りのように体を回転させ、こちらに顔が見える体勢になった。
そして、すぐに分かった。
「雅、まさか……」
顔中真っ赤にさせ、目をぐるぐるさせている雅。
……酔いを通り越して完全にダウンしている。
この中で1番酒に弱いのは雅だということがハッキリした。まあそもそも基準が低すぎるんだけど。
「もうどこ見てるの!私の方を見てよ!」
「え、ちょ、やめ……」
完全に暴走した沙耶香先輩が俺の精神状態を無視してグイグイくる。
「せぇんふぁ〜い、私を放って何イチャイチャしてるんレスかぁ〜」
そんな状況に畳み掛けるように彩乃もゆっくりと近づいてくる。
「お、おい和希!見てないで助けてくれ!」
そうだ。こいつは酔ってない。最初から和希に助けを求めればよかったんだ。
しかし、俺の求めに彼は応じるどころか、この状況をどこか楽しんでいるようにも見えた。
「はは、いいじゃねぇか。美少女達に迫られて羨ましい奴め」
「こんな時まで何冗談言ってんだ!早く助け」
「あそうだ!俺は愛しの妹に電話しなければ。ちょっと席外すわ〜」
鞄から携帯だけを取り出した和希は、俺を見捨てて本当に部屋を出ていった。
「この薄情者ぉ!!」
そう叫んだ頃には、和希はもう部屋から出た後で、目の前には俺に覆い被さる沙耶香先輩に、じりじりと距離を詰めてくる彩乃。そして伸びちゃってる雅。
雅はともかく、この2人の酔い方は半端なものじゃない。
この時の俺は、彼女達が怖かった。
悪酔いした人間がこんなにも恐ろしいなんて思わなかった。
チョコは……怖い食べ物だった。
────この後、俺は彼女達に一体何をされたのか、1つも覚えていない。




