第64話 「大胆」
幸か不幸か、俺は雅の家の前で、彼女の母親と出くわしてしまった。
「へぇ、あなたが直之くんかぁ」
「え、ちょ……」
俺の名前が明らかになった瞬間、彼女はニンマリと細い笑みを浮かべながら鼻先が触れるほどまでに顔を近づけて来た。
「ふふーん、君がねぇ。なるほどぉ」
「あの、ちょっと近いんですけど」
ずっと何かを吟味するように俺の顔の隅から隅まで視線を回す彼女に、流石に我慢の限界が来た。
「あら、ごめんなさいね。初めて見たものだから。それで、今日はどうしたのかしら?」
「ああえっと、今日は雅の……雅さんのお見舞いに」
「そうだったのね。それなら遠慮せずにあがって」
彼女は手さげ鞄から家の鍵を取り出し、扉を開けて俺に入るよう促してきた。
「えっと、お邪魔します」
言われるがままに俺は躊躇なく逢坂家の玄関に足を踏み入れた。
雅の母親に出会ったことで、さっきまでの緊張は嘘のように無くなっていた。
結果オーライというやつだ。
────俺は雅の母親に案内され、今現在雅の部屋の前に立っていた。
俺はゴクリと唾を飲み込み、腹を決めたと同時にドアノブに手をかけた。
流れるままにここまで来てしまったが、俺はついに未知の領域に足を踏み入れるのか。
この先には、部屋着姿の雅が……。
「何してるの?遠慮せずに入って」
「え、あ、はい」
思わずはいと言ってしまったが、こっちだって心の準備がある。そんな急かされるとかえって入りずらい。
が、この母親の目下にあると思うと、なんか圧のようなものに突き動かされる。
俺の手はゆっくりと扉を開いていった。
開けた瞬間感じたのは、どこか甘いような、芳醇な香り。
正確には、雅が近くにいる時に感じる匂いと同じ。
これが女子の部屋の匂いか……いかん、癖になりそうだ。
そして、明るい色の部屋の光に慣れた頃、次に視界に入ってきたのは、異様に膨らんだベッド。
「雅ちゃーん、体調どう?」
俺が声をかける前に母親が近づいて彼女の肩をゆすった。
「うーん……ちょっと楽になった、かも……」
「そ。それなら良かった」
俺は彼女らの会話を聞いて少し驚いた。
かなり改善してきたとはいえ、未だにたどたどしい口調は抜けきれていない校内での雅。
しかし、実家で実の母親と会話している時は傍から見ても至って自然だ。
やっぱり家族間にしがらみは存在しないってことなんだろうか。
まあ、とりあえず会話出来るぐらいの元気はあるようで良かった。
「あ、そうだ雅ちゃん。直之くんが来てくれたわよ」
「あー、そうなんだ。直之くんが………え……ええっ!?」
まだ朦朧としているのか、熱のせいで頭が回らないのか、彼女が母親の言葉を理解し、顕著なリアクションをするのにおよそ数秒かかった。
「よ、よう。思ったより元気そうで良かった」
「え、あ、あっ……」
突然の事に言葉が出てこない様だ。
心做しか、さっきよりも顔が赤くなっている。熱が上がってきたのか?
にしても、雅の部屋着……というよりパジャマ。うーん、なんというか……いいな。絶妙なエロさを感じる。
「それじゃあお母さんは下でドラマ見てるから、あとは若い2人でよろしくやっちゃっててね」
慌て出す雅を見て俺も言葉に詰まっていると、空気を読んだのかあえて読まなかったのか、雅の母親がそそくさと部屋を飛び出して行った。
部屋を出ていく直前、ちらっと見えたのは先程と家の前で浮かべたようなにやけ顔。
何故だろう。どこかで見たことがあるような……ああそうだ。雅の母親は俺の身内によく似ているんだ。
だからだろうか。彼女の母親の前で思ったより緊張しなかった。
しかしなんださっきの台詞は。
よろしくやっちゃってって……一体何を促してるんだあの母親は。
病人の前で何かする訳ないっての。
あ、いや、別に体調がいい時だからって何かしようとは思わないけど。
そんな風に自問自答していると、ベッドに横たわる雅が小さく声をかけて来た。
「あ、あの……直之、くん」
「え、な、何?」
「ほ、本当に、来てくれたんだ……」
「そりゃ来るでしょ。普通に心配だったしね」
上辺ではそんなことを言うが、ぶっちゃけ暇だったのだ。
まだ目を通してない漫画とかアニメは山ほどあったのに、どうしてか体がうずうずしていた。
そんな時に雅が夏風邪って言うからちょうどいい機会だと思って家を飛び出した。
「あ、ありがとう。凄く、嬉しい……でも、ちょっと恥ずかしい」
熱のせいか、単に照れているのか、さっきよりも更に赤くなった顔を布団で隠しながらもぞもぞと言った。
恥ずかしい……というのはおそらく部屋着のことだろう。
いや、その照れ方はうーん……けしからんなぁ。
こっちまで顔が熱くなってきた。
「そ、そうだ!せっかく来たんだし、何かして欲しいこととかない?」
俺は視線を逸らしながら話を切り替える。
このどうにも微妙な空気をかき消したいという理由もあったが、やっぱり1番の目的は……。
「ほら、前に俺が風邪ひいた時に来てくれただろ?雅にはちゃんとお礼出来てないなと思ってさ」
彩乃とはデート?をしたし、沙耶香先輩はお礼と言う程ではないが、それなりのことはした。しかし、雅に関してはまともにお礼が出来てなかった。
それを考えると、雅には悪いが彼女の夏風邪はまさに恩を返す好機と言える。
「俺にできることなら何でもするからさ」
「あ、えっと、それじゃあ……あの、これ」
そう言って雅が差し出してきたのは、もう説明不要の3枚のカードだ。
流石にもうこれといったリアクションは取らない。
「おう、じゃあ1枚……」
俺は間髪入れずにカードをさっと引く。
俺がカードの内容に目を通すと同時に、雅からも声がかかった。
「あ、汗をかいちゃったから、その……か、体を拭いて、欲しい、な」
「そっか体を。体を……体……え、体!?!?」
流れでつい頷いてしまったが、カードの内容を一瞥し、早々に気づいた俺は大声をあげる。
え、雅は、体を拭いてって言ったのか?俺が、雅の体を……。
俺が風邪をひいた時にも、俺の体を沙耶香先輩に吹いてもらった。よく似たシチュエーションではあるが、役割が逆転するだけで、俺としての難易度は相当に上がった。
「い、いやそれは流石にまずいでしょ!!」
男である俺が、未婚の女性の柔肌に触れるなんて、ハードモードすぎる。
「み、雅だって恥ずかしいんだろ?無理しなくていいから」
「は、恥ずかしい、けど……直之くんに、拭いて欲しい……」
「なっ!!」
おいおいマジかよ。
なんだかいつにも増して雅が積極的に感じる。それこそ彩乃並に。
そういえばずっと前に姉が漫画を描きながら言っていた事がある。
(弱った女の子って、理性が働かなくなるから、いつもより大胆になる子が多いんだよ)
本当にそうなのか!?雅は今、確かに弱っている。姉の言うことは大概がデタラメだと思っていたが、まさか本当だったなんて……。
とんでもなく恥ずかしいはずなのに、拭いて欲しいって言ってくる雅を否定するのはそれこそ失礼なのではないか。
ここは俺も覚悟を決めるべきだろうか。
「そ、そっか。じゃあ、うん。分かった」
俺は少し悩んだ末に承諾という結論に達した。
「それじゃあちょっと雅のお母さんにタオル貰ってくるから」
俺は視線を逸らしたまま立ち上がり、部屋の扉に向かった。
確か1階にいるんだったっけ。
そう考えながら扉を開けると、そこには既にタオルを持ってスタンバっていた雅の母の姿があった。
「あ、あれ?下にいるんじゃ……それにそのタオル」
「ああ、直之くんに雅の汗を拭いてもらおうと思ってね」
「そ、そうだったんですか」
凄いな。雅と同じことを同じタイミングで考えていたなんて。やっぱり親子だな。
俺は母親から濡れたタオルを受け取り扉を閉めた。
彼女の母親のことを関心しながら雅のいるベッドの方に体を向ける。と、そこには衝撃すぎる光景が……。
「み、雅っ!?お、おま……っ!?」
既に雅が上を全て脱ぎ、上半身裸の状態で待機していたのだ。
恥ずかしそうに顔を赤らめながら胸を両手で隠している。
俺はすぐに視線を逸らした。
体を拭くのだから、服を脱ぐのは当然だ。それは理解していた。
だが流石に急すぎる。こっちにだって心の準備というものがある。
大胆になるとは言っても、これは流石に度が過ぎやしないか!?
急に裸の女の子が視界に入ったらびっくりするし、妙に意識してしまう。
「な、直之くん。その、お願い、します……」
「あ、あぁ……」
俺はなるべく視線を雅に合わせないようにしながらベッドの方に近づいていく。
視線を逸らしたままなのでよく分からないが、多分雅は今俺に背中を向けている。
天井を見ながら、俺は手探りに雅の背中にタオルを伸ばす。
背中の部分にタオルが接触したのを感じ取った。
「んっ……」
瞬間、雅の方から何やらいやらしい声が聞こえた。
くぅ……その声やめてくれ。そんな声聞いたら余計に意識してしまう。
「よ、よし、じゃあ拭くぞ」
「う、うん……」
俺はぎゅっと瞼を固く閉じ、感覚に身を任せるようにして手を動かし始めた。
見えてないけどよく分かる雅の小さな背中。
タオル越しなのに、雅の華奢な体の中にある確かな柔らかさを感じる。
柔らかい、あったかい、柔らかい、柔らかい……ああ、ダメだ。こんなの、意識するなという方が無理な話だ。
何も見ていないのに、手から伝わる感触だけで、俺の股間の辺りが妙に疼いている。
これは仕方がない。抑えられるわけが無い。
何度も思うよ。世のラノベ主人公達は、こういうイベントの時どうやって理性を保っているんだ??
彼らは俺と同じチェリーボーイじゃないのか!?どんだけ不屈な精神力なんだ。
俺はそんな精神力は持ち合わせていない。取り返しがつかなくなる前に早急に事を済ませる必要がある。
俺は少し背中を拭くペースを上げた。
「ん、んぁ……」
タオルを動かす度にとんでもなくエロい声を漏らす雅。
やめてくれ……本当に、その声は反則すぎる!!
両手でタオルを持っているので耳を塞げない。目を瞑り、できる限り別のことを考えながら拭いているうちに、その小さな背中を拭き終えた感覚があった。
俺はすぐにタオルを雅に渡す。
「はい!ま、前は自分で出来るよな!」
「う、うん。ありがとう……」
雅は俺からタオルを受け取り、そのまま前の部分を拭き始めた。
その間、俺は1つ重要なミッションが課せられていた。
雅が体を拭き終える前に、爆発寸前の俺の体を鎮めなければならない。
しかし、さっきの柔らかい感触と、雅のいやらしい声が頭から離れてくれない。
何か、何か別のことを考えないと。
俺は目を開け、何かないかと雅の部屋のあっちこっちに視線を向けた。
すると、あるものが目にとまる。
「雅、あのフィギュア……」
だいぶ前にショッピングモールのゲームコーナーに行った時に、雅にプレゼントしたアニメキャラのフィギュアが机の上に飾られていたのだ。
「あ、うん。あの日からずっと、飾ってるの。直之くんが初めて、くれたものだから……」
「そ、そうなんだ……」
なんだろう。なんか……凄く嬉しい気持ちになる。
たった100円で獲得したものを、今も大事に飾ってくれているなんて。涙出そう。
そんな風に1つのきっかけが出来たおかげで、俺はいつの間にか理性を取り戻すことができた。
旅行イベント前のちょっとした繋ぎのつもりで書いたこのお見舞いイベントでしたが、作者が妄想爆発させすぎて尺が長くなってしまいそうです。あと2話ぐらいに分けて書くつもりなので、軽い気持ちで読んで下さると幸いです。




