第63話 「見舞い」
水着を選び、そのまま購入した各々はその後帰宅し、メールにて旅行についての細かい事項を決めた。
予定通りに今度の土日を使って1泊2日となった。
泊まる場所は和希に全て任せ、俺達のやることはもう荷物の準備程度。
旅行までの数日は何もない。
せいぜい学校から出された課題をやるぐらいだ。
他のことは何も計画してないし、誰かと約束もしてない。
例年通り、俺はエアコンの効いた自室で優雅に引きこもりをエンジョイすることになる。
少なくとも、夏休みが始まってから2日間はそうだった。
がしかし、俺は今、灼熱の太陽が照りつける猛暑の中を歩いていた。
そして、とある場所で俺は立ち止まる。乾ききったコンクリートにポタリと汗が垂れ落ち、瞬く間に蒸発する。
この汗は、暑さから来ているのは勿論、緊張からも滲んできていた。
そう、なぜなら……。
俺は目の前に佇む一軒家の表札に視線を送る。
表札に刻まれていた姓は……「逢坂」の2文字。
俺が今いるのは───逢坂雅の家の前なのだ。
ほんの2時間ほど前のこと。
日の上りきった真昼間からカーテンを締めきり、人工の明かりに満たされた自室でクーラーをギンギンに効かせながら俺は漫画を読んでいた。
しかし、そう長いこと漫画を読んでいると意外にも疲れるものだ。
キリのいいところで1度漫画を閉じ、手に取ったスマホの電源を付ける。
ここでいつもならインストールしてあるアプリを1つ1つ開いたり、インターネットの小説投稿サイトからブックマークを付けた作品の更新状況を確認したりするところだが、俺は真っ先にメールを開いた。
通知マークがついているトーク画面を開く。
まあ、彩乃なんだけどな。それもよく分からん顔文字やらスタンプばかりだし。これには一体何の意味があるのやら。うーん……まあいいや。こういうのは気にしないのが1番だ。
そうだ。一応、他の2人にもメール送ってみよう。
そう思い、俺は彩乃の個人トーク画面を閉じて、沙耶香先輩のトーク欄を選択した。
いや。そういえば沙耶香先輩、夏休み中は図書館で勉強するって言ってたっけ。
受験生だもんな。あんまり邪魔はしない方がいいか。
ならメールを送るのは雅だけでいいな。
さて、なんて送ろうか。彩乃みたく適当に思いついたことを送ればいっかな。
『最近どうだ?』
送信ボタンを押した。
これはちょっと安直すぎるか?まあ定番なのが1番だ。素人が無理に変な言い回しをする必要はない。
3分程して既読がつき、直後返事が来た。
『ちょっと夏風邪ひいちゃって。旅行までには治ると思うから』
まじか。やっぱり夏でも風邪ってひくもんなんだな。というか、風邪か……そういえば俺が風邪ひいた時は皆でお見舞いに来てくれたっけ。
この前のお礼も兼ねて、俺も行った方がいいだろうか。
『大丈夫?お見舞いにでも行こうか?』
……うわ、ちょっとキモかったかな。
なんか上から目線っぽくなってしまった。でも、「お見舞いに行ってもいい?」とか聞いた方がなんか気持ち悪いな。
『そんな、悪いよ。外暑いし』
まあ確かにこの暑さだと外出は厳しい。しかし、あの時も姉の無理なお願いでわざわざ来てくれたし、ここで行かないのはなんだか示しがつかない気がする。
旅行の時も外に出るわけだし、この暑さには少し慣れておいた方がいい。
『家にいても暇だし行くよ。あ、嫌だったらいいけど』
『そんな、全然嫌じゃないよ』
『じゃあ今から行くから』
『うん。気をつけて来てね』
雅からのメールに既読をつけて、スマホの電源を切る。
部屋着からまともな格好に着替え、軽く支度をした後に俺は家を飛び出した。
そして今に至る訳だが……。
俺は雅の家の前でピタリと立ち止まってしまった。
チャイムのボタンは手の届くところにある。
しかし、どうにも手が震えて上手く動かない。
ふと俺は思い出した。
そういえば俺……女子の家に来たの、初めてじゃね?
自宅を出て、真っ直ぐここに来るまでは良かった。むしろ張り切っていたぐらいだ。
だが、いざ目の前まで来ると緊張に体が震えていた。
走ってきた訳でもないのに、心臓の鼓動が異常に早い。
すぐそこにあるボタンを押すだけなのに、それだけなのに……。
何を今更緊張することがあるのか。
相手が女子だからか?
関係ない。そうだ、普通に、自然に、何も考えずに振る舞うだけでいいんだ。
和希の家の扉を叩く感覚で、雅の家のチャイムを鳴らす。それだけだ。
決意を固めた俺は、未だ震えなが汗を滲ませている手をゆっくりとチャイムへ近づけていく。
そして、ボタンと指が触れそうになったその時。
「うちに何か?」
「びぎゃっ!!」
背後から届いた女性の声に、気を張りつめていた俺は咄嗟のことで思わずおかしな声を漏らす。
せっかく後少しだったのに、今ので完全に集中が切れてしまった。
一体誰だよ。俺の気合いを削いだ奴は。
手を引っ込め、俺は後ろを振り返った。
そこに居たのは、40……いや、30代ぐらいの女性だ。
見たことはない。ないのだが……何故だろうか、どこか誰かに雰囲気が似ているような……。
「あれ?あなたもしかして……」
「え、え?」
目を細めながら俺の顔を覗き込んできた時、俺はふと思い出した。
この目鼻立ち。そしてさっきの言葉────もしかして。
「あ、そうだ!もしかして君が直之くんかな?」
「え、あ、はい。そうですけど……」
「やっぱり!ひよっとして娘に会いに来たの?」
俺の名前を聞き、ぱぁっと表情を輝かせるその女性が何者なのか、これで確信した。
「は、はい。えっと、あなたは……」
「ええ。私は雅の母です」




