第44話 「看病 午後の部」
────パシャ。
ん?なんの音だろう。
────パシャ。
彩乃はもう帰ったはずだが、誰かがいる。
────パシャ。
これは、カメラのシャッター……?
確か彩乃の次に、姉が電話をかけてたのって……。
「ふひひっ、直之くんの寝顔ぉ……可愛い……」
「……っ!?」
俺はぱっと瞼を開けた。
目の前には、とろけそうな顔でスマホを俺に近づける、黒髪の美少女が。
「な、何してるんですか?」
俺が起きたことに気づいた彼女は、一瞬ビクッとして、そのままフリーズした。
「今……カメラで……」
「な、なんのことかしらっ!?」
そう言って咄嗟にスマホを自分の後ろに隠す。
いや、それはちょっと見苦しいのでは?
俺がジト目で、彼女が逸らした視線を合わせようとする。
「はぁ……俺の寝顔とったって何の得にもなりませんよ」
と、少し煽るような口ぶりで言うと、
「そ、そんなことない!か、可愛いから!写真とりたくなるのは仕方ないわ!!」
思った通り、ぼろを出してくれた。
自分が口走ったことを理解したのか、諦めてスマホを隠すのをやめた。
「……ご、ごめんなさい。勝手に撮っちゃって」
「まあ、別にいいですけど」
「それと、もうひとつ謝らないと……」
彼女は後ろめたそうな表情をしながらそう切り出した。
「直之くんが風邪ひいたの……私のせいだから、その……ごめんなさい」
あぁ、そのことか……。
「別に先輩のせいじゃないですよ。俺がしたくてやったことですから。というか、先輩が風邪ひかなくて良かったです」
彼女が俺のせいで風邪を引いたなんて噂が立てば、今以上に俺への風当たりが強くなるのは目に見えている。
「……そういう不意打ち……ずるいわ……」
そんな時、彼女は顔を沈めて何かぼそぼそと言っていた。
「はい?」
「な、何でもないわ」
また視線を逸らされた。一体なんだったんだ……。
というか、今気づいたが、結構体が楽になった気がする。熱も結構下がってるみたいだ。
体温計を取ろうと、体を起こそうとしたが、まだそこまでの力は戻ってなかった。
「先輩、ちょっと体温計とってくれませんか?」
「あ、これね。はい」
机の上にあった体温計を受け取り、脇に挟む。
ピピピピッ。
38度……少し下がったが、まだ体に力が入らない。風邪って結構辛かったんだな。
眠ろうにも、沙耶香先輩が見てると思うと、うまく眠れない。
「あ、そうだ。ここに来る途中で、こんなものを買ってみたのだけれど」
何かを買ったことを思い出した沙耶香先輩は、鞄から1本の瓶を出した。
「……それっ!」
瓶のラベルが見え、その瞬間俺は目を剥いた。
彼女が手に持っていたのは、スッポンパワーと記されたドリンクだった。
それって………精力剤じゃねえか!!
「これ、男性向けって書いてあるし、一瞬で元気になるって。だから……」
いや間違っちゃいないが……それじゃあ別のとこまで元気になっちまう。
先輩があの後調べたのは、子供の作り方だけだったか……くそっ、不覚だ。こんなところで墓穴を掘るなんて。
「先輩……それ、精力剤です」
「精力剤?」
「ネットで調べて見てください」
俺がそう言うと、今回は自分のスマホで調べ始めた。
しばらくして、自分が渡そうとしていたものにどういった効果があるのか理解したようだ。顔を真っ赤にしながら口をパクパクさせていた。
「な、なななななな………っ!?」
ああもうほんと……まじで無知すぎる。
「そういうことなので、その……それはいらないです」
「ご、ごめんなさい私っ!知らなくてっ!!」
しかしまあ……こうやっていきなり恥ずかしそうにするのって、なんか可愛いな。
「あはは……わかってますから。でもありがとうございます。俺のこと心配してくれたってことでしょ?」
そう、彼女に邪な考えなんて一欠片もないんだ。単純な親切心からとった行動なのだから。謝る必要なんてどこにもない。
「そ、そうだけどっ。……やっぱり、私は何か知らないんだわ。こんな歳にもなって……」
それは貴方のせいじゃないです。周りがこんなになるまで放置してたのが悪い。
まあ、ここまで無知だと、ちょっと教えたくなってしまう。かと言って俺が教えたら、ただのセクハラになってしまう。軽いジレンマだ。
「ま、まあなんていうか……元気だしてください。知らない=悪いって訳じゃないんですし」
「直之くん……」
まあ、知っておいた方が良くはあるが。急に自分の知らない情報に直面した時、彼女が正気を保っていられるとは思えない。
彩乃ならそういうのにも詳しそうだし、今度それとなくお願いしてみよう。
にしても、先輩がかなりショックを受けているみたいだ。どうにかしてこの重い空気から脱出しなければ。
「そ、そうだ。せっかく来てくれたんですし、実の所俺、結構辛いんですよ。だから、何かしてもらおう、かな……」
……何言ってんだ、俺!?
いや、まじで何言ってんだ!?
爆弾発言をしてしまい、羞恥心から視線を逸らす。
「あ、すみません。今のは忘れてください」
先程の発言の撤回を求めるが、返ってきた返事は意外なものだった。
「いいえ!私にできることなら、何でもするわ!そのために来たんですもの!」
………あれ?なんか張り切ってる?
さっきまでしゅんとしていた彼女とはとって代わったように、キラキラと目を輝かせていた。
「さあ!何でも言ってちょうだい!」
「あ、えーっと……」
参ったな。
やって欲しいことなんて、正直何もないんだよなぁ。
食事もさすがにまだ喉を通らなさそうだし、精力剤は……だめだな。
何でもと言われると逆に困ってしまうのは俺の悪い所かもしれない。
そして、何でもと言われると必ず……妄想してしまうのも悪い癖だ。
ここでやっぱいいですと言ったら、一層しょげてしまうかもしれない。
何か………あ、そうだ。
「じゃ、じゃあ、一つだけ、いいですか?」
「何かしら?」
「えっと、……ちょっと汗かいちゃって、できればその、背中とか拭いてほしいんですけど……」
風邪の時に汗が出るのはいい傾向だ。が、そのまま放置していたら、汗が冷えて逆に体調を悪くする可能性がある。
汗が冷えないうちに拭き取っておきたい。
俺がそうお願いすると、彼女は露骨に驚いた。
「せ、背中っ!?」
あぁ……そうだよな。
「あ、すみません。嫌ですよね、男の背中拭くとか……キモイですよね」
どこに地味な男の体拭きたい女の子がいるっていうんだ。
普通に嫌だよな。こういうのって、ラノベとかだと普通は、主人公が恥ずかしがるヒロインの背中を拭くっていうのがお約束。
男の裸とか需要ないわ。
「そ、その……せ、背中だけで、いいのかしら?」
これまた、まさかの返事が返ってきた。
「あ、いや、無理にしなくていいんですって。普通に嫌ですよね。配慮が足りなくてすみませんでした」
「い、いえ、そんなことないわ。むしろ、その……私が、君の体に触れていいのかしら」
その言葉の意味を、俺はすぐに理解した。
まだ、あの時のことを引きずっているんだろう。
「……昨日も言いましたけど、普通に触る分には全然いいですって」
俺の理性が維持出来るラインまでは、という限定付きだが。
「むしろ、少しは触れてほしいかなって。今はなんか、妙な距離間ある気がしてちょっと嫌、ですね」
「私、そんなつもりは……」
「わかってますって。でも今は、俺が先輩にその……背中を拭いてほしいって思ってるんで」
自分で言ってて恥ずかしくなるが、今は彼女との間にできていた溝を埋める方が大事だ。
どれだけキモくても、今はこれを貫くしかない。
「もし沙耶香先輩が嫌じゃなかったら、その……背中を拭いてくれませんか?」
さあ、これでどうだ。
これで引かれたら、俺は変態の烙印を押されることになる。
紙一重の策だが、彼女の返答は───。
「……嫌なんかじゃ、ないわ。やる、やります!私に直之くんの背中を拭かせてください!」
何とか変態認定は免れたが、何故に敬語?てゆうかお願いしてきたし。
「あ、はい。じゃあとりあえず、タオル用意して貰えますか?」
「わ、わかったわ!」
棚からハンドタオルを1枚出して、軽く濡らしてもらい、彼女は部屋に戻ってきた。
その頃に、俺は上に来ていた服を全て脱ぎ、上半身裸になっていた。
「じゃあ、お願いします」
「………」
彼女から返事がかえってこない。部屋の前で立ち止まってるみたいだ。
「?どうしました?」
「い、いえ、何でもないわ……」
もう一度声をかけて、ようやく俺の方に来た。
俺は彼女に背中を向け、拭きやすいような体制になった。
「それじゃあ、早速お願いします」
「わ、わかったわ」
そして、汗の垂れる背中にひんやりとしたタオルが接触した。
うん、ひやっとしてて気持ちいい。気持ちいい、のだが………。
俺の顔は一層赤くなっていた。
これって、結構恥ずかしいっ!!
俺、今女の子に背中拭かれてる……!?
タオル越しに沙耶香先輩の柔らかい手の感触が伝わって……なんか、ムラムラする。
いや、いかんいかん!!せっかく先輩が厚意でしてくれているというのに、俺だけ邪な考えをするのは失礼だ。
ここは我慢だ。我慢………。
───しかし、邪念を抱いていたのは、沙耶香もまた同じだった。
黙々と直之の背中を拭く沙耶香だが、内心では酷く……興奮していた。
───私今、直之くんの背中拭いちゃってる……っ!!
決して口には出さないが、沙耶香はこの状況をとても喜んでいた。
───男の子の背中って、こんなに大きいんだ。やだ、なにこれ……私、変な気分にっ……。
直之の背中を見て、沙耶香は自分の体に何らかの異常が起きていることに気づいた。
───体が熱くなって、体の芯からなんかうずうずが止まらない。こんな感覚、初めて。
沙耶香は顔を真っ赤にしながら息を荒らげていた。
そしてその頃、精神統一に没頭していた直之は、まるで気づかなかった────。
背中を拭き終え、俺は彼女の方に視線を向けた。
「ありがとうございました。体の熱が抜けた感じがします……て、どうしました?」
激しく息を荒らげている先輩に、俺は疑問符を浮かべる。
「な、何でも、ないわ……」
「そうですか。でも本当にありがとうございます。このお礼は風邪が治ったら必ず」
彩乃もそうだが、ここまで良くしてくれたんだ。それ相応のお返しをしないといけない。
「じゃ、じゃあその、今お願いしてもいい、かしら?」
「え、別にいいですけど、今でいいんですか?」
今の体ではまともに動けない。一体何をお願いしようと言うんだろう。
「ええ、今がいいの」
「あ、そうですか。じゃあ、どうぞ」
「その……君のこと、これから、な、ナオくんって、呼んでもいい、かしら……」
相当恥ずかしいのか、赤くなった顔を両手で隠しながらそう言った。
「え、急にどうしたんですか?」
「だ、だってお姉さんや瀬戸くんは、ナオって呼んでるし、私もその、あだ名?というのかしら、それで呼びたくて……」
確かに、ナオと呼んでくれるのは姉と和希だけだ。
そういえば、姉以外の異性から、あだ名で呼ばれたことなかったっけ。
「私も、特別な呼び方がしたくて……ほら、『直之くん』だと、逢坂さんと同じじゃない」
「え、別にいいんじゃないですか?」
「い、嫌なの!私だって、あの二人に負けたくないんだから!」
……ここでその台詞は破壊力やばいって。どんだけ乙女してるんだよ……。
しかし、彩乃はわからなくもないが、雅はただの友達だし、張り合う理由がわからない。
「え、っと、じゃあ、はい。別にどんな呼び方でもいいですけど」
「本当?これからナオくんって呼んでもいい?」
瞳をキラキラさせながらそう言ってくる。なんか恥ずかしいな……。
「は、はい。どうぞ」
形こそあれだが、これはこれで先輩との溝を埋められた気がする。
「あ、ありがとう!それじゃあ私はそろそろ帰るわね、な、ナオくん……」
早速使ってきた。なんか照れる……。
「は、はい。気をつけて帰ってください」
そう挨拶を交わて、彼女は俺の部屋を出ていった。
結局、2時間ぐらい一緒にいた。感覚的にはもっと長い気がするが、なんだな色んな意味で疲れたな。
だが、体はだいぶ楽になっているみたいだ。熱もあまりなさそうだし、これなら今日中には治りそうかもしれない。
なんだかんだで、女の子の看病には相当な治癒力があるんだろう。
熱が抜け、少し軽くなった体を再びベッドにたおし、俺はもう一眠りすることにした。




