第102話 「親友にしかなれなかった」
直之がその場を去った後、彼の姿が見えなくなったところで、篠崎は振っていた手を下ろした。
そして、下ろした手をポケットに入れ、自分の携帯を取り出し、どこかに電話をかけた。
電話は3コール程で相手へと繋がる。
「あ〜、もしもしぃ?」
『あなたから電話が来るってことは……そういうことなの?』
すでに分かったような口ぶりで返してくる相手に、真帆は口元に笑みを浮かべながら言った。
「あはは〜、私ぃ、振られちゃいました〜」
『そう?なんだか嬉しそうに聞こえるんだけど?』
「えへへ〜、そうですかぁ?」
『……へぇ』
やや高揚した声色の真帆に、相手は何かを察した。
『それがあなたの狙いだった……てことなんでしょ?』
電話越しに聞こえてくる意味深な台詞に彼女はクスリと笑う。
「さぁ〜、どうですかねぇ〜」
『ふん、まあいいわ。それで?肝心のナオはどうだったの?』
少し真剣さを感じたその質問に、篠崎はさっきの出来事を頭の中で思い出す。
橋田直之との会話の中に、彼の真意が垣間見えた場面がいくつかあった。
それを再確認し、自信気な声色で篠崎は答える。
「……もう、大丈夫だと思いますよぉ。千咲さん」
『そう……ありがとね、真帆ちゃん』
その後、もう一度篠崎が別れの言葉を返し、お互いに通話を切った。
「……さて、じゃあ後はぁ、見届けさせてもらおうかな〜」
そんな言葉を最後に残し、篠崎は鼻歌交じりに歩き出した。
目的を果たし、何の気兼ねもないような軽い足取りで。
─────数週間前のこと。
篠崎真帆が初めて直之の家に上がった時のことだ。
彼女は偶然にも、自分の好きな漫画家だった直之の姉を目の前にし、柄にもなく少し高揚していた。
直之が自室で待機していた頃、篠崎は千咲の部屋へと招かれていた。
「私ぃ、あなたの漫画が大好きなんです〜!」
開口一番、純朴に目を輝かせながらそう言い放った。
「そっかぁ、いやぁ改めて聞くとすごい嬉しいね〜。あ、というか私のことは名前で呼んでいいよ?本名でね」
「わかりましたぁ、千咲さ〜ん!私ぃ、千咲さんの漫画の、特に絵が好きなんです〜!」
名前呼びついでに漫画の話をしようとそう切り出した。
「あ、やっぱり?私もあの絵に関しては最高だと思ってるのよね〜」
そう言う千咲に篠崎は少し違和感を感じた。
一見、自画自賛のように思えるが、「あの絵」という言葉が引っかかる。
「えっとぉ、あの絵は全部千咲さんが描いてるんじゃないんですかぁ?」
「いやぁ恥ずかしながら、全部私が描いてるわけじゃないのよね〜半分くらいはアシスタントにお願いしてるからね」
「アシスタントさん、いるんですね〜」
一瞬驚いたものの、これだけ売れてる漫画家が、アシスタントをつけない方がおかしい。
さぞ優秀なアシスタントなのだろう。
「そうそう。次の展開とかも一緒に考えてるの」
「凄いですね〜。アシスタントさんってぇ、どんな人なんですかぁ?」
特に知りたいとも思ってなかったが、流れに任せそんな質問をした。
まあでも、少女漫画のアイデアを一緒に考えているのだから、きっと女の人なのだろう。と、そんな予想をしていたが、千咲から放たれた名前に彼女はその眠そうな目を少しだけ開いた。
「あぁ、アシスタントっていうのはウチの弟……ナオのことなの」
「ナオ……橋田くんが、ですか〜?」
これまでの会話から推測していたことを全て覆されたような感覚だった。
彼からそんな話は1度も聞いていない。
彼はただ、自分の姉が漫画を描いているとしか言っていなかったから。
「そうそう。今はナオと2人で描いてるようなものかな」
「そう、なんですかぁ……」
「ごめんね、なんか理想と違ったでしょ」
もっと凄い漫画家を想像していたのだろうと思っていた千咲は軽く手を合わせて謝った。
「あ〜、いえ、そんなことはないですけど〜」
「そ、そう?あ、でもナオに絵を教えたのは私だからね!」
気を使わせてしまった真帆にすかさずフォローの言葉を後付けする。
しかしこれは本当の事なので、千咲は自慢するように言った。
「だから実質私が2人で描いてるようなものかな!あはは!」
「な、なるほどぉ……」
普段は顔色一つ変えない真帆も、急に自慢げになる千咲を見て少し困った顔をする。
しかし、千咲の言葉を受けふと思いついたことがあった。
「あ、あの〜」
「ん、どしたの?」
「私にもぉ、その、絵を教えてくれませんか〜?」
望み薄なのは承知していたが、それを言わずにはいられなかった。
昔から密かに憧れていた漫画家になるという夢。
そして今、目の前に憧れの人がいて、少しでも可能性があるのなら、この機を逃す訳にはいかない。
そう思っての頼みだった。
「ほほぅ、なるほど……真帆ちゃんも私に絵を……つまり弟子になりたいと?」
「え〜っとぉ……そう、ですねぇ」
実際の目的とは少し違い、一瞬考えたものの、願ってもないことだとすぐにそう答える。
「なるほどなるほど、ふふん〜」
真帆の返事を聞くと、千咲は何やら企むような笑みを浮かべた。
「……わかった、真帆ちゃんに絵を教えてあげよう!でもその代わりに、ちょっとしたお願いを聞いてもらっていいかな?」
「お願い、ですかぁ?」
ただで教えて貰えるとは思っていなかったが、お願いというのは一体何なのだろうか。
割と軽い気持ちで考えていた真帆だったが、千咲から放たれたのは予想もしなかった頼みだった。
「そう。お願いっていうのは、ナオのことなんだけどね……」
「橋田くん、ですか〜?」
「うん、信じられないかもだけど、実は今、ナオにすごいモテ期が来てるんよ」
「な、なるほどぉ……?」
自慢しているのか妬んでいるのか……千咲の表情からはっきりとは伺えなかったが、どっちにしろ真帆にとっては反応しずらい発言に困惑の色を浮かべる。
「まあ姉としては、ナオのこと好きって言ってくれる人がいるのは嬉しいんだけどね。でも肝心のナオの方が、ねぇ……」
会話の中に混ぜた「嬉しい」という言葉とは裏腹に、千咲の表情はなんだか後ろめたさのようなものが見受けられた。
「もう半年くらい経つのに、未だに答えを出せずにいるみたいなの。ぶっちゃけナオのこと、意気地無しのクズだなぁと思ってる」
「そ、それはぁ……」
先程から反応に困る発言の連続で、穏やかな真帆の顔も歪み始めている。
「でも家族だから……ナオには普通に幸せになってもらいたいわけだよ」
どう返していいか分からないのは同じだが、少なくともさっきのような眉をゆがめるようなものではなかった。
彼女もやはり彼のことを大切に思っているのだと感じる。
「なるほど〜」
「うん、でも私がどうこう言って誰かとくっつけるのも違うでしょ?だから真帆ちゃんにその役をお願いしたいんだよね」
「それは〜……?」
その役────その言葉が何を意味しているのか、説明無しでは察することは出来なかった。
千咲は自分に何をさせようとしているのか……。
「まあ簡単に言うと、ナオの近くで色々やって、背中を押してあげてほしいの」
「背中を、押す、ですか〜?」
「そう。私の勘だけど、ナオの気持ちはもう決まってるはず。気づいてないだけでね。それを気づかせるように動いて欲しいってこと」
千咲の言いたいことはだいたい理解出来た。
何の冗談かとも思ったが、弟に対してここまでおかしなことを言うような人とは考えられない。
つまり本当なんだろう。
「ちょっとしたアドバイスでも、揺さぶりでもなんでもいい。ナオが自分の気持ちに気づければ」
「……わかりました〜」
自分のやるべき事は決まった。
そう思ったら、すぐに返事ができた。
その役を果たせば、この凄い漫画家から絵を教えて貰える。
そして何より、直之と距離を縮めることが出来る。
自分と趣味が同じで、いつまで話してても飽きなくて、ずっとありのままの自分でいられる……そんな彼ともっと仲良くなれるかもしれない。
だったら、やるべき事は一つだけだ。
「私ぃ、一つだけ思いついたことあるんですけどぉ、いいですか〜?」
「お、いいね!なになに?」
「はい〜、私ぃ、橋田くんに告白しますね〜」
「なるほど告白ね、うんいいね告白。告白…………ん、告白!!??」
いつもの穏やかな笑みを浮かべながらそう言う彼女に一瞬納得した千咲だが、真帆の口にしたことがとんでもないものだったと気づき、すぐに目の色を変えた。
「え、ちょ、あれ?私の聞き間違い??今真帆ちゃん、告白って言った?」
「はい〜」
「いやどうしてそうなった!!?」
「う〜ん、何となくぅ、それがいいかなぁって〜」
千咲の渾身のツッコミをのほほんとした返事で軽くいなした。
それを見て、いちいち驚くのも馬鹿らしくなったのか、千咲は冷静さを戻し、小さくため息をつく。
「はぁ〜……ま、まあどうやるかは任せるわ。真帆ちゃんなりの考えってことだもんね」
「じゃあそうさせて貰いますねぇ〜」
「う、うん、よろしく……」
お互いの当初の目的とはとてつもなくかけ離れたものの、両者の利害は一致した。
こうして、千咲と真帆の密かな計画が動き始めたのだ。
そして今─────
直之は自分の気持ちに気づくことができた。
真帆の気持ちは直之には届かなかった。
だが、直之と仲良くなるという、真帆の当初の目的を形式的に達成出来た。
彼の親友という地位を手に入れたのだから。
だからだろうか……直之の後ろ姿を眺める真帆の表情はとても穏やかだった。
まるで、こうなることを全てを悟っていたかのように。
そして、彼の姿が見えなくなった頃、彼女はぼそりと言ったのだ。
「……これで、よかったんだよね〜」
小さな笑みを浮かべながら彼を見送るその少女は、自分の本当の気持ちに気づいていなかった。
彼女はいつの間にか、彼に異性としての好意を抱いていたことを。
不器用で、少し情けないところもあるけれど。
好きなことを楽しそうに話して、人の話を真剣に聞いて、友情だとか愛情だとか、分からないなりに必死でもがく彼を本気で好きになっていたことを。
────私は、親友にしかなれなかったんだなぁ〜。
そして、その感情は誰も気づくことなく彼女の中でひっそりと眠りにつくのだ。
直之と、真帆の間でそんな出来事があったその頃、別の場所でも一悶着起きようとしていた。
「すいません、今ちょっといいですか?」
中庭の一角でたこ焼き屋を出していた2年4組の生徒達の元に、1人の女子生徒が現れた。
「あれ?あなたもしかして春川さん?」
屋台の傍らで休憩していた女生徒が彼女の存在に気づき、瞬く間に生徒が集まりだした。
特に男子生徒が。
「え、マジかよ!春川ってあのっ!」
「そうそう、学園三姫の1人だ!」
「初めて見た!」
「うわっ、めっちゃカワイイっ」
取り巻く男子達を掻き分け、彩乃はこのクラスの代表者っぽい女子生徒の元に近寄った。
「どうしたの春川さん?たこ焼き買いに来た?」
「違います。ここにはある人を探しに来て」
「そうなんだ。このクラスの人なら呼んでこよっか?」
「はい、お願いします」
「おっけー、それで誰なの?」
女子生徒は屋台の調理場や会計スペースをくまなく見渡しながら聞いた。
そして彩乃も同様に屋台内を見回し、そして1人の女子生徒を見つけ、彼女の名前を呼んだ。
「逢坂雅せんぱいです」




