第101話 「自分の気持ち」
「し、篠崎さんっ!?」
「やっほ〜、久しぶりだねぇ、橋田く〜ん」
彼女とも、夏祭り以来会っていなかった。
夏祭り……篠崎さんが俺に、告白してきた、あの日以来だ。
それにしてもどうして調理室に。
「ひ、久しぶり。ど、どうしたの?」
あの日のことを思い出し、俺は少し気まずさを感じていたが、彼女の方は何ともなさそうだ。
「私はラップを借りに来たんだ〜」
「そ、そうなんだ。俺も紙コップとか貰いに来たんだけど、中に誰もいなくてどうしようかなって」
「大丈夫だよ〜。中に名簿のファインダーがあるから〜、クラスと名前と持っていくものを書くんだよ〜」
相変わらずのゆったりとした口調で説明してくれる。
もう一度中を覗くと、1番前の教卓にファインダーに挟んである紙が見えた。
彼女の言っていることは正しいみたいだ。
「そ、そうだったんだ。ありがとう篠崎さん」
彼女にお礼を言って、俺達は一緒に調理室に入った。
それぞれ入用の物を持ち、名簿に記入事項を書き込んだ。
「ありがとう篠崎さん、それじゃあ」
もう一度彼女にお礼をし、俺が先に調理室を出ようとした、その時。
「あ、待って橋田く〜ん」
「え、な、何?」
彼女に呼び止められた瞬間、俺の中で少しだけ動揺があった。
篠崎さんに呼び止められる理由なんて、あの日のことしかないだろう。
返事をしながら後ろを振り向くと、すぐ近くに篠崎さんの顔があった。
まるで、キスをする直前ぐらいまで、彼女の顔は近かった。
「し、篠崎さんっ!?!?」
「ねぇ〜、橋田くん……あの日のことなんだけどねぇ」
彼女から発せられたその言葉で俺は全てを察した。
夏祭りのことで間違いない。
「やっぱりぃ、私と付き合おうよ〜」
「……っ!?」
ある程度想定はしていたものの、実際に言われるとそんな想定は何の役にも立たず、俺は激しい動揺に駆られた。
彼女の放つ言葉の意味、思い、信憑性……その全てが測定不能だ。
篠崎さんの真意が分からない……。
「私と付き合ったら〜、絶対楽しいよぉ?」
そう言いながら、彼女は俺を押し倒さんばかりに密着してくる。
俺の腹部には、彼女の柔らかく膨よかな胸部の感触が……。
でも、そんな感覚など気づかないほどに、俺は焦燥していた。
「ね〜?私だけだよぉ?橋田くんのこと、分かってあげられるのは〜。橋田くんだってぇ、もう悩まずに済むんだよ?」
どれもこれも、彼女の本当の気持ちが分からない。が、彼女の放つ言葉は俺にとって、全て納得のいく言葉だ。
彼女といると……俺と同じ趣味を持っていて、好みも一緒で、俺の話をちゃんと理解し、共感してくれる彼女といるのはとても楽しい。
俺を1番理解してくれるのは、雅でも、彩乃でも沙耶香先輩でもなく、篠崎さんなのかもしれない。
あの時だって、俺は想像した。
もし、篠崎さんと付き合ったら……きっと、充実した時間を過ごせるだろう。
いつまでも好きなことを話して、それをお互いに話し合って、楽しんで……それがこんな可愛くてスタイルもいい同い年の女の子なんて……これほどの理想像はない。そう確信できる。
きっと楽しい。でも……。
────「楽しい」が、好きってことなのか?
ふと、そんな言葉が脳裏を過ぎった。
一緒にいて楽しいということは、誰かを好きになるのにあたってとても重要な要素の1つだろう。
しかし、それは他のみんなだってそうだ。
皆と過ごしたこれまで時間は、どれもかけがえのない宝物だ。
だから俺は思ったのだ。
楽しいことと恋とは、また別の感情なのだと。
そんな時、俺は少し前に和希に言われた言葉を思い出す。
(大事なのは、ナオの気持ちだ)
俺の、気持ち……。
────誰かを楽しませたいんじゃない。
────自分が楽しみたいんじゃない。
俺は………幸せにしたいんだ。
この世界中の誰よりも、幸せにしたいんだ。
その人の幸せが、俺の幸せ。
そう思える時間を、その人と過ごしたい。
これが俺の……恋なんだっ。
「篠崎さん……」
小さいが芯の入った声でそう言いながら、そっと彼女の肩を持ち、ゆっくりと彼女との距離を離した。
「……俺もそう思うよ」
「それって……?」
「確かに、篠崎さんは俺の理解者だ。篠崎さんとだったらいつまででも話してられるし、きっと楽しい……いや、絶対楽しい」
俺は、今感じていることをなんの偽りもなく正直に言葉にした。
「だったらぁ……」
「でもっ!」
俺は少し強めの口調で彼女の言いかけたことを遮った。
「でも、それは違うんだ」
「違うって……?」
俺の言ったことの意味が理解できず、彼女は首を傾げる。
そして、俺はそんな彼女にたいして小さく笑った。
「ごめん、俺にもよく分からないや」
「楽しい」と「恋」は違う。
俺の中に生まれた確かな思考だ。
でも、どうしてそう思うのか、俺にも分からない。
それは気持ちの問題だから。
理屈じゃ測れないのが恋なんだと、そう思ったから。
でも、これだけは言える。
「でも……俺には、好きな人がいるんだ」
自分の発した言葉にどれだけの重みがあるのか、ちゃんと理解した上でのことだ。
今までの思い出……皆と過ごした輝かしい思い出と、和希や篠崎さんの言葉を振り返ってみて、俺はようやく気づけた気がする。
特に、篠崎さんからの告白が、俺の心にかかっていたモヤを晴らして、自分の気持ちを明らかにしてくれたんだと思う。
俺の気持ちは……とっくに決まってたんだ。
「だからごめん。篠崎さんの気持ちには、答えられない!」
短い期間だったとは言え、一緒に遊んだり、話したり、笑ったり……とても楽しい時間をくれた彼女の気持ちに答えられないという罪悪感で、俺は深く頭を下げた。
でも、もし叶うなら……。
「でも!これからもずっと、友達でいて欲しい!」
俺の発言がどれだけ身勝手で、おこがましくて、都合がいいか分かってる。でも、彼女と過ごした時間は俺にとって、とても大切なものだった。
だから、これからも篠崎さんとは仲良くしていきたい。
それが、今の俺の本心だ。
「そっかぁ〜……」
頭を下げ続けている俺には、今の篠崎さんの表情は見えない。
もしかしたら、幻滅されているかもしれない。でも、それはそれで仕方の無いことだ。
「ねぇ、橋田く〜ん」
「はい」
名前を呼ばれ、俺はゆっくりと顔を上げる。
「ちょっとぉ、確認したいことがあるんだけどね〜。橋田くんの気持ちはぁ、もう決まってるってことで、いいのかなぁ?」
さっきの会話を辿り、そう認識した篠崎さんの質問に、俺はこくりと頷いた。
「うん、ようやく気づけた。篠崎さんのおかげだよ」
一緒にいて1番楽しい人が、好きな人とは限らないと、俺に気づかせてくれた。
彼女の告白が、それを気づかせてくれたんだ。
そして、一連の会話を踏まえ、もう一度今までの事を鮮明に思い出すと、俺が誰に想いを寄せ、誰を幸せにしたいと願っているのか……これまでずっと出てこなかった答えがすんなりと頭に浮かんだ。
それは全て篠崎さんのおかげだと思っている。だから………。
「だから、ありがとう」
「あはは〜、振られたのにお礼を言われるなんて〜、なんか変な気分だなぁ」
少し眉をゆがめた篠崎さんが微笑を浮かべて言った。
俺もそう思う。こうして笑ってくれるのも、彼女の気遣いだろう。
お礼もしたいし、謝りもしたい。
なんとも複雑な感情だ。
だけど……。
「これが俺の本音だ。出来ればこれからも友達でいて欲しい」
「友達かぁ〜、ちょっとやだなぁ」
……やっぱり、そうだよな。
仕方の無いことだ。分かっていたことだ。でも、やっぱりショックだな。
「そ、そっか……そうだよね」
一抹の後悔を残し、俺は苦笑いでそう返した。
が、その直後。
「友達じゃなくてぇ……親友になりたいなぁって〜」
「ごめん、ワガママだったよね……って、え!?親友!?!?」
全く予想だにしなかった言葉が返ってきて、俺は大声を上げてしまった。
「ちょ、篠崎さ……今、親友って……」
「そう〜、親友〜」
それは俺の聞き間違いでもない。
相変らず、のほほんとしてはいるが、冗談で言っているようには見えない。
実際に聞くとやっぱりむず痒いその言葉だが、俺にとっては喜ばしい限りだ。
思いがけなかったため、一瞬驚いてしまったが、その提案への答えは言うまでもない。
「も、勿論!篠崎さんが良かったら、だけど……」
「も〜、篠崎さんて呼び方ぁ、やめてよぉ。親友なんだからさ〜」
1度距離を離した彼女は再び俺のそばへと歩み寄り、上目遣いで少しムスッとした顔をする。
「そ、そう、だな……じゃあ、えっと……ま、真帆……」
「うん、ナオユキぃ〜」
彼女はにこやかと笑いながら、その甲高い声で俺の名前を呼んだ。
思えば、「ナオユキ」と呼ばれるのは初めてかもしれない。
彼女が俺の………親友、なんだ。
和希以外にできると思わなかった。
彼女には感謝の念しかない。
「ありがとう……本当に、色々と」
「ううん〜、私は何もしてないよ〜。なおゆきに振られただけ〜」
「ぐ……っ」
彼女からそれを聞くと心にグサッとくるものがあるな。
「ふふ、冗談だよ〜」
自分の言葉に振り回される俺を見て真帆はくすりと笑いながらぐるっと一回転した。
「私〜、応援してるから。なおゆきの恋がうまくいくように〜」
「ありがとう。色々と決着がついたらまたアニメの話でもしよう」
「うん、いつでもウェルカムだよ〜」
まさかこんな所で色々と吹っ切れるとは思ってもみなかった。
彼女の行動が、俺を変えてくれたんだ。
……いや、彼女だけじゃない。
この気持ちに気づけたのは、今まで俺と関わってくれた、全ての人のおかげだ。
そして何より、みんながくれたこの場所があったから、今の俺がある。
俺は色んな人に感謝しないとな。
「それじゃあ俺、そろそろ戻らないと。また後で、真帆!」
ふと目に止まった時計の時刻を見て流石に長居しすぎたと感じ、俺は真帆に手を振りながら走り出した。
彼女の方も、にこりといつもの緩い笑みを浮かべながら手を振り返してくれる。
……本当に、ありがとう。
彼女が見えなくなるまで、俺の中にはその言葉しか出てこなかった。




