不思議な言葉Ⅱ
ドンッ、と鈍い音が粗末な救護所の室内に響いた。
「くそっ……!」
治療を受けたばかりの硬い寝台を、俺は力任せに殴りつけていた。
あんな小僧に――若様と背格好も変わらねえようなガキに、たったの一撃で失神させられた。その事実が、焼けた鉄を押し当てられたようにプライドを焼き焦がす。
何が自衛隊の初期メンバーだ。何が護衛だ。
若様を命がけで守るべきあの土壇場において、刃を抜く暇すら与えられず、あっけなく意識を刈り取られた。守るべき主の前に無様に転がり、泥を舐めたのだ。己の不甲斐なさと無力さが、どうしても許せなかった。
目を覚ました直後、若様が無事だと聞かされた瞬間は、確かに胸を撫で下ろした。だが、安堵が引いた後に残ったのは、際限なく押し寄せてくる自己嫌悪の泥沼だった。
ギィ、と古びた扉が開き、バウンドが部屋に入ってきた。
「……大丈夫か、ウカン」
気遣うような相棒の声。だが、今の俺にはその優しさすら己の情けなさを責め立てる刃に思えて、苛立ちを抑えきれずに荒い言葉を吐き捨ててしまった。
「……うるせぇ!」
悔しさのあまり握りしめた拳から、爪が皮膚を破って掌に食い込む。じわりと滲む痛みが、敗北の現実を容赦なく突きつけてくる。
(もし……もし次が許されるなら、俺は絶対に負けねえ)
あの日から今日まで、俺だって何もしてこなかったわけじゃねえ。
自衛隊の連中と血反吐を吐くまで泥臭く鍛錬を重ね、時には武芸百般に通じるライモンド様とも手合わせを願ってきた。戦いというものの厳しさは知っているつもりだった。
だが――あんな化け物は、これまでの人生で一度たりとも見たことがねえ。
ライモンド様の圧倒的な強さとは、根本から何かが違っていた。あのお方の剣には熱があり、誇りがあり、武人としての気配がある。だが、あのガキの動きには一切の理屈も熱もねえ。完全に俺の理解の外にある『異質』そのものだった。
農作業用の深いフードを目深に被り、年の頃は若様と同じ十四かそこら。
そして、何より脳裏に焼きついて離れねえのは、あの顔だ。
怒りも、喜びも、殺意すら浮かべない、まるで面のように無機質な顔。感情の欠片も宿っていない漆黒の瞳。
俺がこれまでの人生で培ってきた「人間」という当たり前が、何一つとして通用しない生き物だった。
(……あいつのツラは、死んでも忘れねえ)
絶対に追いついてやる。あの人外の化け物を叩きのめすだけの力を、この手で掴み取ってやる。
心の中で固く血の誓いを立てると、胸の奥で渦巻いていた黒い澱みが、わずかに熱い闘志へと塗り替わっていくのを感じた。
ここでいつまでもベッドにへばりついて腐っているのは、俺の性分じゃねえ。
絶対に前へ進む。もっと、もっと強くなってやる。
俺は乱暴に寝台から跳ね起き、床に足をつけた。
そして、戸口で佇んでいたバウンドに向き直る。
「……悪ぃ、バウンド。八つ当たりした」
短く謝罪を口にすると、バウンドは咎めることもなく、静かに首を横に振った。
「グラーフさんはどうした?」
「若様を護衛して、一足先に領都へ戻られた」
バウンドの返答を聞いて、俺の眉根が寄る。
歴戦の騎士であるパウロ様に加え、あの頑丈無比なグラーフさんがついている。普通なら「それなら安心だ」と胸を撫で下ろすところだ。
だが――あの異様な暗殺者の影を肌で知ってしまった今となっては、歴戦の二人がついているからといって万全だとはどうしても言い切れない。得体の知れない冷たい不安が、背筋を這い上がってくる。
今更慌てて駆けつけたところで、どうにもならねえかもしれないことは百も承知だ。
それでも、こんなところで指をくわえて待っていることなんてできやしねえ。
「バウンド、俺たちもすぐ領都へ戻るぞ!」
相棒の返事すら待たずに、俺は腰の得物をひっつかみ、救護所の部屋を弾かれたように飛び出した。




