庶子Ⅲ
今年で十六歳を迎えたが、私は父パウロや兄のように騎士の叙勲は受けなかった。
剣の手習いが苦手というわけではない。幼い頃から武芸の手ほどきは受けてきたし、同年代と比べても引けを取るつもりはなかった。
だが、私の心を捉えて離さなかったのは、レオナルド様がその類まれなる才覚によって切り拓かれた「官僚」という生き方だった。
かつてウェルマ村でレオナルド様の改革を間近で支え、荒れ果てていた村が見る間に豊かになっていく奇跡を共にしたあの日々が、私の進むべき道を決定づけたのだ。
剣を振るって戦うだけが領地を支える道ではない。帳簿を精査し、税を正しく配分し、物流と法を整えることで、何千、何万という領民の命と暮らしを守ることができる。
文官としてこのリオネル領を、そして敬愛するレオナルド様をお支えしたい――そう強く願った。
武門の家系でありながら、父パウロも兄も、そして母ロザリンダも誰一人として私の決断に反対はしなかった。
父と母は「自分の信じる道を、立派に務め上げなさい」と温かく背中を押して励ましてくれた。
「ほら、オズモ。今日は祝いだ、遠慮はいらんぞ」
賑やかな町の酒場へ連れ出してくれたのは、ウェルマ村の改革を共に駆け抜けた同志であり、グレリオ家の従士であるジェロット殿だった。
このところ、シエル伯領との境界に近い丘陵地に急ピッチで新設された簡易砦の整備と、そこへ運び込む食料備蓄の割り振りという大仕事が控えており、新米の文官である私は忙殺される毎日を送っていた。そんな私を見かねて、息抜きの場を設けてくれたのだ。
「ありがとうございます、ジェロット殿。……ところで、そのお顔のやけどはどうされたのですか?」
向かいに座るジェロット殿の、ぽっちゃりとした愛嬌のある右頬に、真新しい赤いやけどの痕が残っているのが目に入った。
問われたジェロット殿は、何ともバツの悪そうな顔をして視線を泳がせる。
「いや……なぁに、ちょっとフローラとな」
口ごもるその様子に、私は思わず苦笑してそれ以上深く追及するのをやめた。
なるほど、奥方と何か夫婦喧嘩でもされたのだろう。
かつてレオナルド様の幼少期にメイド見習いを務めていたフローラ殿は、二人のお子様を育てながら、少し前から再び男爵館のメイドとして奉公を始められたと聞いている。確か、生まれつき炎の精霊の加護をお持ちだとか。
頬のやけどの原因にすっかり得心がいった私は、ジェロット殿に勧められるがまま、木製のジョッキに注がれた人生初めての酒を口に含み、喉へと流し込んだ。
独特の苦味と熱さが、胸の奥へと滑り落ちていく。
(……ん?)
息を吐き出したその時、ふと背後のボックス席から流れてくる声に、私は違和感を覚えた。
何気なく視線を走らせ、息を呑む。
薄暗い酒場の片隅、隣のテーブルを囲んでいるのは、あまりに奇妙な顔ぶれだった。
上級騎士のゼノス卿。その息子であるユーゲル。
そして――今年十七歳で成人の儀を終えて騎士の叙勲を受けられたばかりの、マルチェロ様。
(なぜ、あの方々がこの席に……?)
思わず身体が強張った。
とりわけ、杯を傾けている騎士ユーゲルの存在が、私の胸に鋭い緊張を走らせる。
なにせ私は現在、彼が執政官として赴任している村の過去数年分の帳簿を精査している真っ最中なのだ。
数字の辻褄がどうしても合わない箇所が幾つも見つかっており、かなりの確度で私的な横領が疑われる節があった。相手は領内でも屈指の権勢を誇る上級騎士の息子。告発には揺るぎない証拠と極めて慎重な裏付けが必要であり、私にとっても神経をすり減らす案件だったのだ。
その渦中のユーゲルが、父ゼノス卿、そして男爵家の血を引くマルチェロ様と膝を突き合わせ、親しげに酒を酌み交わしている。
(まさか、何か良からぬ企みでも……?)
幸いなことに、相手は誇り高き上級騎士たちだ。文官の小倅や従士の顔など知る由もないのか、こちらの存在にはまったく気がついていない様子だった。
私は身をわずかに屈め、ジェロット殿へ向けて声を極限まで潜めて囁いた。
「ジェロット殿、落ち着いて聞いてください。隣の席にゼノス卿とユーゲル、それにマルチェロ様がいらっしゃいます。ユーゲルには今、重大な横領の嫌疑がかかっているのです」
ジェロット殿の丸い目がわずかに見開かれ、表情が引き締まった。
事情を察した彼は、何食わぬ顔でジョッキを傾ける仕草を取りながら、私の合図に応えてくれた。
喧騒のざわめきに紛れながら、私は耳を研ぎ澄まし、背後の席から漏れ聞こえてくる不穏な囁きに全神経を集中させた。
-----人物紹介-----
マルチェロ・グレリオ
人族・十七歳
リオネル男爵アントニウスの庶子
同じく庶子として生まれた姉マティルダを持ち、正妻カタリナの子であるライモンド、ロメロ、レティーシャ、レオナルドとは異母兄弟にあたる
幼い頃から武芸や座学を学び、父アントニウスの血を受け継いで剣の才にも恵まれている
十七歳となった年、前年の服喪によって延期されていた成人の儀を迎え、グレリオ男爵家より正式に騎士として叙勲された
穏やかで謙虚な性格
庶子である自らを分け隔てなく扱ってきた兄弟たちを慕い、グレリオ家の一員として家に尽くすことを自らの務めと考えている
一方で、姉マティルダの縁談などを通じて、嫡子と庶子の間に存在する見えない身分の差を意識しており、自らの出生に対して複雑な思いを抱くこともある
母方の叔父であり男爵家の宰相を務めるゲオルグを敬愛しており、幼い頃に告げられた「グレリオの家の者として、家に尽くせ」という言葉を今も胸に刻んでいる




